華村花音の事件簿

川端睦月

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三本のアマリリス

顔合わせ -2-

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 ラウンジはホテルの最上階にあった。

 大きなガラス窓から覗くパノラマの夜景は、天と地が逆転したかのように色とりどりの光が地上を煌めかせる。

 咲は窓際の二人掛けのソファ席で、外の景色をぼんやりと眺めていた。

 すぐ目の前には、先日、花音と二人で乗った観覧車が七色に光を変えながらゆっくりと回る。

 ──どうしてあのとき花音さんは……

  ふと観覧車での出来事が思い出され、唇を指で触れ、頬を赤く染めた。

「おや、もう酔いましたか?」

 隣に座る二階堂が揶揄うように咲の顔を覗き込む。

「いえ……」

 咲はユルユルと頭を振った。

 それからシャンパングラスを手に取り、口へと含む。途端にシュワシュワと爽やかな酸味が広がり、いくらか気持ちを落ち着かせる。

 そんな咲を二階堂が愉快そうに見つめている。

「……あの」

 咲はその視線に耐えられず、口を開いた。

「なに?」

 二階堂は距離を詰め、聞き返す。やけに距離を詰める二階堂に、咲はソファの端に寄り、身を縮めた。

「二階堂さんはどうして私との結婚をお受けになったのですか?」
「別に」

 二階堂はつまらなそうに答えた。

「別に?」

 二階堂の意図が分からず、彼を見返す。

「そう。別に」

 二階堂は咲の髪を一束手に取り、それからそっと自分の唇へと押し当てた。

「……僕と君は政略結婚だから。特段、君のどこが気に入ったとかはないよ」

 嫌味っぽく口の端を歪めた。

「ま、君はこんな僕と結婚できるんだから、幸運だよね」

 そう言って、咲の髪を離す。咲は髪を取り戻すように慌てて抑えると、ますます身を縮めた。

 もうお酒が回ってきたのか、頭がぼんやりとする。二階堂はさらに愉快そうに笑い、咲の肩を抱き寄せた。

「だから、結婚しても、僕が他の女性と付き合うことは理解して欲しいんだ」

 耳元で堂々と浮気宣言をする。耳にかかる息が妙に熱っぽく、咲は両手で二階堂の胸を押しのけた。が、思うように力が入らない。

 そんなに飲んだ覚えはないが、少し酔っているらしい。

「それでしたら、私も自由にさせていただきます」

 咲は辛うじて二階堂を睨みつけて言った。

「……自由?」

 二階堂はキョトンとした顔で咲を見た。

「そうです。二階堂さんの浮気を許すかわりに、私も他の方とお付き合いすることを許していただきます」

 虚勢を張って出た言葉だが、今もこの先もそんな相手は現れないだろう。

 それでも傍若無人な二階堂の態度に一矢報いたかった。

 二階堂は一瞬ポカーンとしたが、すぐにハハッと声を上げて笑った。

「……それは無理な相談かな」
「無理?」
「そう。無理」

 そう言った二階堂の顔が酷く冷ややかに見えた。背筋がゾクリと冷たくなる。

「だって、どうして僕の物を他の人と共有しなきゃいけないの? 僕の物は僕だけの物だよ」
「物って……」

 咲は愕然とし、二階堂を凝視した。

 二階堂にとって、自分は物でしかないのだ。

「えっ、というか、咲さんにそんな相手いるの?──ああ、もしかして……」

 二階堂は咲の顎を指で抑え、ニヤニヤと笑った。

「その相手って鬼柳おにやなぎ武雄たけお?」

 耳元で囁く。

「それとも、華村はなむら花音かのんかな?」

 ──どうして二階堂が花音さんとの関係を知っているの?

 探るように見つめる咲に、二階堂はニッと笑う。

「知らないと思ってた? 僕、こう見えて政治家の卵だよ。情報は何より大事だからね」

 そう言って、再び咲を抱き寄せようとする。

 咲は二階堂の腕を振り払い、立ち上がった。身体が火照ったように熱く、頭がぼんやりとする。足にも力が入らない。

 ──おかしい。

 咲は直感的に悟った。

 元々、お酒には強くはない咲だが、だからこそ飲み方は心得ているつもりだ。

 先ほどのお酒の量で、ここまで我をなくすことはない。

 ──もしかして……

 チラリと二階堂を振り返ると、彼もまたソファから立ち上がり、咲の背後に立った。そのまま、膝から崩れ落ちそうになった咲を抱き止める。

「少し飲みすぎたかな?」

 咲の耳元で白々しい二階堂の声が響く。咲はぼんやりとする意識で、二階堂の体を押しのけようとした。しかし、力が入らない。

「大丈夫ですよ。部屋を用意していますから」

 二階堂は咲をさらに抱き寄せ、ラウンジの出口へと歩き出す。声を上げようにも、うまく口が動かない。

 そんな二階堂に引きずられるように歩く咲の手を、ふいに何かが掴んだ。

「──咲ちゃん?」

 聞き慣れた声が背後からする。咲はゆっくりと振り返った。

 背中まで伸びた黒い髪を緩い三つ編みにした端正な顔立ちの男。

「……か、のん……さん」

 咲は声を絞り出し、彼の名前を呼んだ。

「咲ちゃん、大丈夫?」

 花音は眉を顰める。

「かのん、さん……」

 咲はなけなしの力を振り絞って、二階堂の腕を払いのけ、花音へと飛びついた。

「鬼柳……」

 二階堂が忌々しそうに花音を睨みつけた。

「彼女は僕の婚約者だ。返してくれないか」

 その言葉に、花音が咲を見、視線で尋ねる。咲はギュッと花音にしがみつき、小さく首を振った。

「残念ながら嫌がっているようです」

 花音は咲の背中に腕を回し、二階堂から庇うように抱き寄せた。

「ふざけるなっ。力ずくでも返してもらうぞ」

 二階堂は声を荒げる。そのせいで、周囲の視線が一気に集まる。

「僕は構いませんが、あなたはこんなところで騒ぎなんて起こして大丈夫なのですか? もし警察沙汰にでもなったら……」

 花音の言葉に二階堂が怯む。それから小さく舌打ちをし、「今日だけだぞ」と捨て台詞を吐いてラウンジを去っていった。

 その背中を見送り、

「帰りましょう、咲ちゃん」

 花音はすでに意識のない咲を抱え、ラウンジをあとにした。
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