68 / 105
エディブルフラワーの言伝
隣席の修羅場 -3-
しおりを挟む花音はずっと無言だった。
レストランを出て、ホテルの外に出てからも無言で咲の手繋いだまま歩く。
「あ、あの、花音さん?」
一体どこに向かっているのかもわからない状況に、咲はオズオズと呼びかけた。それにピタリと足を止め、花音が振り返った。
いつもとは違う、男らしい顔つきに、一瞬、ドキリとする。
思わず俯き、「……えーっと、本当に花音さんですか?」と尋ねた。
そうだよ、と花音が答える。
「しばらく会ってないから、僕のことなんて忘れちゃった?」
優しい声で、少し嫌味っぽい言葉を投げてくる。
「いいえ、そんなことは……」
咲は俯いたまま、フルフルと頭を振った。
「でも、髪が……」と花音の髪へと目を向ける。
ショートヘアになった髪型のせいで、いつもの中性的な感じがなくなり、男の人みたいだ。
「ああ、これ?」
花音がクスリと笑い、前髪を一束、親指と人差し指で摘んだ。
これね、とそのまま摘んだ指で前髪を力任せに引っ張る。
「えっ、花音さん?」
ギョッと目を丸くした咲の前で、花音の髪がありえない量の束となって抜ける。その抜けた髪の下から、いつもの艶やかで長い黒髪が現れた。
「……ウィッグ?」
そう、と花音がニコリと笑った。
「親父が髪を切れって言うから、ウィッグ被っていたの」
「ああ、そうなんですね。よかった」
咲はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった?」
「はい──ショートヘアの花音さんは男の人みたいで、どう接したらいいのか分からなくて」
「……咲ちゃん、僕、男だよ?」
花音が惚けた顔で言う。
「あ、もちろん、そうなんですけど」
咲はワタワタと手を振った。
「ただ、あまりに男らしいっていうか……ちょっと違う人に見えて、人見知りしてしまいました」
「咲ちゃんは、髪型で僕を認識してるのね……」
花音はガックリと肩を落とした。
「あ、決してそういうわけでは──でも、花音さんと言ったら、長い髪がトレードマークですから」
「トレードマークって」
花音は苦笑いを浮かべる。
「ま、いいや」と息をつき、クルリと方向転換をした。
スタスタと歩き出した花音に引きずられる形で、咲も歩き出す。
「あの、どちらに?」
「駐車場。僕、車で来たから」
顔だけこちらに向けて、花音が答えた。
「駐車場……」
咲はピタリと歩みを止めた。
それに引き止められた花音が「咲ちゃん?」と身体ごと向き直る。明るい茶褐色の瞳が心配そうに咲を見つめた。
「──あの、私、電車で帰ります」
花音の視線が眩しくて、咲は目を伏せた。
花音さんと二人っきりになる状況を想像すると、どうしても観覧車での出来事を思い出してしまう。恥ずかしくて、逃げ出したくなる。
咲は繋いだ手を離そうと、指の力を緩めた。
「待って、咲ちゃん……」
その指を花音がギュッと握る。
「花音さん……」
驚いて顔を上げると、ひどく焦った花音の顔が咲を見下ろしていた。
「──この前は、ごめんなさい」
手を繋いだまま、花音が勢いよく頭を下げた。
「え?」
「その、……観覧車で、あんなことしたから、怒っているんでしょ?」
「それは……」
咲は口籠る。フルフルと首を振る。
「怒ってないです──ただ、恥ずかしくて」
「恥ずかしい? それだけ?」
それだけって、それ以外に何があるのだろう?
「その、嫌だったとか……」
咲の考えを見透かしたように花音が付け加える。
「嫌ではありません」
「嫌じゃない……」
花音の顔がパッと明るくなった。
「ただ恥ずかしかっただけです──だって、私があの状況で花音さんを見つめたりしたから、誤解させたんですよね?」
「誤解?」
花音が首を傾げる。
「その……キスをねだっているみたいに」
「え?」
花音はキョトンとし、目を瞬かせた。
「だから、恥をかかせまいと、キスしたんですよね?」
「はっ?」
「そんなふうに花音さんに誤解させてしまって、それが恥ずかしいな、と。だから、こちらこそ、ごめんなさいっ」
咲は深々と頭を下げた。
「え、いや、それはこちらこそ、本当にごめんなさい」
困ったように顔を歪め、花音も頭を下げた。
「でも、それなら、キスしたことは怒ってないってことでいいのかな?」
戸惑ったように尋ねた。
「怒るもなにも、私の落ち度ですから」
「落ち度……」
花音は呆れた顔で押し黙った。
「花音さん?」
何か気に障ることでも言ったかしら?
咲は不安になり、花音を見上げた。花音は複雑な顔で咲を見返すと、ユルユルと首を横に振った。
「──ねぇ、咲ちゃん、仲直りしようか」
いつもどおりの穏やかな笑みを浮かべて花音が言う。
「仲直り?」
でも、別に喧嘩しているわけでは。
咲は眉根を寄せた。それを花音がクスリと笑う。
「僕たち、お互いに悪いと思っているんだから、もういいでしょ。あんまり拗らせてると、悠太くんが悲しむよ?」
今ここで悠太くんの名前を出すのはズルいと思う。咲の心が微妙に揺れた。
「ねっ、咲ちゃん?」
明るい茶褐色の瞳に覗き込まれ、咲はドキリとする。
それから、急に悠太の淹れたカフェラテが恋しくなった。
「──します。仲直り……」
咲はオズオズと頷いた。
「やったぁ」
花音は両手を挙げ、「よかった」と咲をハグしたのだった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
八奈結び商店街を歩いてみれば
世津路 章
キャラ文芸
こんな商店街に、帰りたい――
平成ノスタルジー風味な、なにわ人情コメディ長編!
=========
大阪のどっかにある《八奈結び商店街》。
両親のいない兄妹、繁雄・和希はしょっちゅうケンカ。
二人と似た境遇の千十世・美也の兄妹と、幼なじみでしょっちゅうコケるなずな。
5人の少年少女を軸に織りなされる、騒々しくもあたたかく、時々切ない日常の物語。
【本編完結】繚乱ロンド
由宇ノ木
ライト文芸
番外編は時系列順ではありません。
更新日 2/12 『受け継ぐ者』
更新日 2/4 『秘密を持って生まれた子 3』(全3話)
02/01『秘密を持って生まれた子 2』
01/23『秘密を持って生まれた子 1』
01/18『美之の黒歴史 5』(全5話)
12/30『とわずがたり~思い出を辿れば~2,3』
12/25『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』
本編は完結。番外編を不定期で更新。
11/11~11/19『夫の疑問、妻の確信1~3』
10/12 『いつもあなたの幸せを。』
9/14 『伝統行事』
8/24 『ひとりがたり~人生を振り返る~』
お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで
『日常のひとこま』は公開終了しました。
7/31 『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。
6/18 『ある時代の出来事』
-本編大まかなあらすじ-
*青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。
林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。
そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。
みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。
令和5年11/11更新内容(最終回)
*199. (2)
*200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6)
*エピローグ ロンド~廻る命~
本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。
※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。
現在の関連作品
『邪眼の娘』更新 令和7年1/25
『月光に咲く花』(ショートショート)
以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。
『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結)
『繚乱ロンド』の元になった2作品
『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる