華村花音の事件簿

川端睦月

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水仙の誘惑

元カノ -3-

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「……文乃ふみのさん」

 花音がぽつりと呟いた。

「武雄くん」

 女性は花音を見て嬉しそうに笑い、手を振った。

「お知り合いなんですか?」
「うん、ちょっとね」

 咲の問いに、花音は神妙な顔で曖昧に答える。

 それから、「どうしてここに?」と文乃に近寄りながら尋ねた。

「近くで貧血を起こして、咲さんに助けていただいたの」

 文乃が咲を見つめ、ニコリと笑みを投げる。

「咲ちゃんが?」と花音も咲を振り返り、「偉いね、咲ちゃん」と満足げに頷く。

「いえ、当然のことをしたまでです」

 咲は謙遜して、両手を顔の前で振った。そんな咲を凛太郎がジーッと見つめる。

「なんですか?」

 居心地の悪さに咲が眉を寄せると、「べつに」と凛太郎は不機嫌そうにそっぽを向いた。

 ──あー、そうですか。

 そんな凛太郎に呆れ、咲もふいっと視線を逸らす。その目の端に、花音が文乃の向かいの席に座るのが見えた。

 それを潮時に、咲は店を出ることにした。服装を整え、入り口に向かおうとしたとき、「あ、咲さん」と悠太に呼び止められる。

「咲さんもお茶を飲んでいってください」とニコリと笑う。

「ありがとございます。でも……」と言いかけた咲の横を悠太は素通りし、凛太郎の座る席にティーカップを置いた。

「えっ」

 咲はパチパチと目を瞬かせた。

 凛太郎とのやりとりは、厨房の奥にいた花音にも聞こえていたのだから、悠太が知らないはずがない。

 なのに、わざわざ同席を勧めるなんて。

 チラリと凛太郎を窺うと、不服そうな顔をしていた。

 ──そうですよね。それが普通の反応ですよね。

 咲はうんうんと心の中で頷いた。

 だが、悠太はニコニコと咲が座るのを待っている。

「ありがとうございます」

 咲は結局断り切れず、不承不承、凛太郎の向かいの席に座った。

 ──こうなったら早めに飲んで、退出するしかない。

 そう思ったのに、「今、ケーキも用意しますね」との悠太の声が咲の目論見を打ち砕いた。

 悠太が厨房に戻ると、気まずい沈黙が流れる。

 仕方なく咲は、花音と文乃のほうに意識を向ける。何やら楽しそうに会話を交わす二人が目の端に映った。距離があるので、会話の内容までは聞こえてこないが、すごく楽しそうに見える。

「あの二人、気になるのか?」

 凛太郎が意地悪な表情をして尋ねる。

「別にそんなことはありません」

 咲はツーンとそっぽを向いてみせた。

「そう言うわりには、さっきからチラチラ向こうを見ているからさ」

 ニヤニヤと笑う。

 ──それはあなたといると気まずくて、正面を向いていられないからです。

 咲は心の中でぼやく。

「──そういえば、さっき文乃さんが花音さんのこと『武雄くん』って呼んでいましたけど」

 ふと思い出し、凛太郎に尋ねる。

「もしかして、『武雄』って花音さんのことなんですか?」

 エレベーターで凛太郎は『武雄』という名前を口にしていた。つまり凛太郎は武雄の正体を知っているはずだ。

「え?」

 凛太郎はキョトンとして咲を見つめた。そういう表情をすると、意外と幼く見える。

「……まだ、教えてなかったのかよ」

 凛太郎が呆れたように頭を掻いた。

 まったく、しょうがねーな、と咲を見返す。

「あいつの本名は『鬼柳おにやなぎ武雄たけお』っていうの」
「え? 鬼柳武雄?」

 ──なんで、鬼柳武雄?

 咲はパチパチと目を瞬かせた。凛太郎の言葉がにわかには信じられない。

 意地の悪い凛太郎のことだ。もしかしたら、自分を騙そうとしているのかもしれない、とジト目で彼を見る。

 それを感じ取った凛太郎が面倒くさそうにため息をついた。

「あんた、鬼柳武雄って聞いて、花を生ける人とは思わないだろ?」

 まぁ、たしかに。

 咲はコクリと頷いた。

 お花というよりは、武道に長けてそうな名前だもの。

「だからだよ」
「へ?」
「鬼柳武雄じゃあ、集客もままならないだろ。だから、先代の祖母ばあさんの名前を借りて、雅号にしてるの」
「え、それじゃ、『華村花音』ってお祖母さまの名前なんですか?」

 そう、と凛太郎は不機嫌な顔で応じた。

「えーと、ちなみに『雅号』って?」

 咲の質問に、凛太郎はそんなことも知らないのか、という顔をする。

「雅号は、花を生けるときの芸名みたいなもん」
「芸名……」
「大体は師匠に命名してもらったり、師匠から一文字とったりするんだけど。……あいつの場合は、祖母さんの名前を丸々使ったの」

 祖母の名前をそのまま拝借したところを考えると、花音にとって祖母の存在は相当大きなものなのだろう。

 咲はチラリと花音を見つめた。途端に目が合い、慌てて視線を背ける。
 その目の端に、花音が席を立ち上がるのが映った。
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