15 / 105
ブルースターの色彩
バレンタインの贈り物 -2-
しおりを挟む「──皇帝はバレンタイン司祭に改宗を求めたんだ」
「え、改宗?」
思いがけない展開に、咲はパチパチと目を瞬かせた。
どこをどうしたらそんな話になるのだろう、と首を捻る。
「実は、当時のローマ帝国ってローマ教が主流だったの」
「ローマ教?」
咲は耳にしたことがない宗教だ。
「そう。で、キリスト教は迫害を受けていた」
「キリスト教が迫害?」
今は世界中で信仰されているキリスト教が迫害を受けていた時期があったなんて。ちょっと信じられない。
「だから、司祭がローマ教に改宗さえすれば、勝手に結婚式を執り行えなくなるし、キリスト教信者も減るから、一石二鳥だと思ったんだね」
「一石二鳥……」
「けれどバレンタイン司祭は己の信仰を貫いて、改宗はしなかった」
花音の顔が僅かに曇る。
「強い信仰の持ち主だったんですね」
感心する咲に、花音は複雑な表情を浮かべた。
「そうだね。だけど、行き過ぎた信仰は身を滅ぼしてしまう」
「え?」
花音が口にした強い言葉に、咲は彼を見る。
「──バレンタイン司祭は二月一四日に処刑されるんだ」
「処刑……」
人助けの結果が処刑とは、なんて酷い仕打ちなんだろう、と咲は唖然とした。
「ただ、司祭に対して処刑というのは外聞がよくなくてね。……だから、皇帝は二月一五日に行われるルペルカリア祭の『生贄』という形にして、処刑を行なったんだ」
「そんなっ」と咲はギュッと拳を握りしめた。
「生贄も処刑も言葉が違うだけで、同じことですよね。そんな外聞を気にするくらいなら、処刑なんてしなければいいのに」
その理不尽さに腹が立ち、つい声を荒げてしまう。
それに花音は驚いたように大きく目を見開き、それから嬉しそうに目を細めた。
「だけど、その意思が引き継がれて恋人たちが大っぴらに愛を語り合う日になった。バレンタイン司祭の努力も無駄ではなかったんだ」
そう言って花音は微笑む。
そんな花音の横顔を見つめ、そうですね、と咲は頷いた。
花音の意見はいつも前向きで、自分も見習わなければならないな、と思う。
「それにしても花音さんは歴史にも詳しいんですね」
「歴史、になるのかな?」
花音は首を傾げた。
「まぁ、でも、フラワーアレンジメントは西洋の文化に沿って発展してきたものだから、背景を知らないとトンチンカンなものが出来上がってしまうんだ」
「そういうものなんですか……」
「そういうものなの」
花音はしたり顔をする。
「で、お届け先の旦那さんはね、アメリカに赴任中らしくて。……それで向こうの習慣を知ったらしく、今回注文に至ったの」
「素敵ですね。私もそんなふうに花束を貰ってみたいです」
咲の言葉に、フフッと花音が小さく笑う。
「なんですか?」
怪訝そうに尋ねた咲に、「別に」と花音は答えて、「この辺りなんだけどな」と速度を落とした。
「あ、あれだ」
花音の視線がレンガ色の屋根に白い塗壁の一軒家を捉える。軒先には小綺麗に整えられた小さな庭が見えた。
「一応地図アプリで確認したときは、家の前に駐車場があるぽかったんだけど……」と花音は独りごちる。
「あ、あったあった。良かった」
家の前、庭の横に二台分の駐車スペースがあった。車が一台止められていて、その隣が空いている。
花音はギアをバックに入れ、助手席へと手を回し、半身を捩った。
自然と花音との距離が狭まり、フローラル系のいい香りが鼻をくすぐる。目線のすぐ先には細い首が見え、その耳元から鎖骨へと浮き出る筋が、男らしい色気を感じさせた。
咲は目のやり場に困り、サイドミラーで後ろを確認しているフリをした。
「よしっと」
駐車を終えた花音は、ギアをパーキングに入れ、エンジンを切った。
それから、「じゃ、行こうか」と咲を促す。
「え?」
──私が行って、なんの役に立つのだろう?
疑問に思いながらも咲は車を降りた。
「咲ちゃん」と呼ばれ、運転席側に回ると、大きな円筒状のガラスの花器を渡された。
「ちょっと花束が大きすぎて、花器まで持てないから、お願いね」
そう言って、花音は後部座席から花束を取り出した。
濃いピンク色のバラとピンク系統の紫陽花で構成された花束は、花の種類こそ少ないものの、一つ一つの花が大きく、全体的にかなりのボリュームのある仕上がりになっている。
両手で胸の辺りに抱えた花束は、花音の顔にかかるくらいの大きさだ。
「すごく素敵ですね」
咲は思わず感嘆の声を上げた。いつかはこんな花束を貰ってみたいと憧憬の目で見つめる。
「ありがとう」
そんな咲を眺め、花音は嬉しそうに笑った。
「でも、バレンタインだからって張りきり過ぎちゃった。気が付いたら、こんなボリュームになってて。重くて、自由がきかないんだ」と肩を竦める。
「だから、咲ちゃんにはインターホン押してもらいたいの」
あ、インターホン要員ですね、と咲は納得した。
スロープを通り、レンガの敷かれたエントランスを抜けて玄関へと辿り着く。玄関ドア横の表札には『小峰』と刻まれていた。
花音の命に従い、インターホンのボタンを押す。
はい、と女性の声が返ってきた。
1
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
八奈結び商店街を歩いてみれば
世津路 章
キャラ文芸
こんな商店街に、帰りたい――
平成ノスタルジー風味な、なにわ人情コメディ長編!
=========
大阪のどっかにある《八奈結び商店街》。
両親のいない兄妹、繁雄・和希はしょっちゅうケンカ。
二人と似た境遇の千十世・美也の兄妹と、幼なじみでしょっちゅうコケるなずな。
5人の少年少女を軸に織りなされる、騒々しくもあたたかく、時々切ない日常の物語。
【本編完結】繚乱ロンド
由宇ノ木
ライト文芸
番外編は時系列順ではありません。
更新日 2/12 『受け継ぐ者』
更新日 2/4 『秘密を持って生まれた子 3』(全3話)
02/01『秘密を持って生まれた子 2』
01/23『秘密を持って生まれた子 1』
01/18『美之の黒歴史 5』(全5話)
12/30『とわずがたり~思い出を辿れば~2,3』
12/25『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』
本編は完結。番外編を不定期で更新。
11/11~11/19『夫の疑問、妻の確信1~3』
10/12 『いつもあなたの幸せを。』
9/14 『伝統行事』
8/24 『ひとりがたり~人生を振り返る~』
お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで
『日常のひとこま』は公開終了しました。
7/31 『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。
6/18 『ある時代の出来事』
-本編大まかなあらすじ-
*青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。
林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。
そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。
みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。
令和5年11/11更新内容(最終回)
*199. (2)
*200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6)
*エピローグ ロンド~廻る命~
本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。
※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。
現在の関連作品
『邪眼の娘』更新 令和7年1/25
『月光に咲く花』(ショートショート)
以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。
『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結)
『繚乱ロンド』の元になった2作品
『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる