13 / 105
ブルースターの色彩
華村ビルの人々 -3-
しおりを挟む悠太の喫茶店の前で足を止める。
『喫茶カノン』という、コーヒーの卸業者から提供されたであろう古びた立看板が目に入った。
いつも花音が『悠太くんの喫茶店』と呼んでいたので、店の名前までは知らなかったが、喫茶カノンというからには花音がオーナーなのだろう。
咲は蔦に侵略されたビルの外壁を眺めた。祖母の時代に建築された建物なら、築五〇年近いはずだ。
元は白かったであろう外壁は薄汚れ、ところどころにある小さなヒビは白いモルタルで補修されていた。それが余計にヒビを目立たせ、ボロさを強調するための手段のように思えた。
それでも五〇年も前にこのビルを築けたのだから、華村家はそれなりの資産家なのかもしれない。
そんなことを考えながら、新しいオレンジ色の木のドアを開ける。チリンと可愛いらしいベルの音が鳴った。
「あ、咲さん」
カウンターでコーヒーを淹れていた悠太が咲に気づいて、人懐っこい笑みを浮かべる。
「あの、花音さんと待ち合わせをしていて」
「それなら、こちらの席へどうぞ」
悠太は入口から左側、カウンター向かいの二人掛け席を勧めた。
「ありがとうございます」と礼を述べ、咲は椅子へと腰かけた。
「どういたしまして」と返し、悠太は再び元の作業に戻る。店内にはお客さんらしい人影は見えないから、自分用のコーヒーを淹れているのかもしれない。
やがて悠太は淹れ終えたコーヒーを、口広のコーヒーカップへと注いだ。
それから、金属製のミルクピッチャーに牛乳を注ぎ、エスプレッソマシーンでスチームし、ブレンダーで泡立てる。
それで準備が整ったのだろう。フゥッと大きく息を吐き出すと、左手にコーヒーカップ、右手に金属製のミルクピッチャーを構えた。
「もしかして、ラテアート?」
「あ、はい、一応そうなんですけど……」
咲をチラリと一瞥してから、悠太は再び視線を両手に戻した。
ミルクピッチャーから、カップへと細くミルクを垂らす。
そのミルクをカップの半分まで注いだところで、悠太はピッチャーとカップにの距離を縮めていく。
悠太の口が真一文字に結ばれた。ここからが難しいところなのかもしれない。
ゆっくり注いでいたミルクに勢いをつけ、何やら丸い模様が浮かんで来たところで、注ぎ口をまっすぐ移動させて、完成。の予定なのだろうが。
「ああ……」
悠太から情けない声が漏れた。
「また、失敗です」とガックリと肩を落とす。
そして、「良かったら、これ飲んでください」と咲のテーブルの上にカップを置いた。
カップの中には、かろうじてハートとわかる模様が描かれていた。
「ハート、ですか?」
はい、としょんぼりと悠太が答えた。
「僕、絵心がないようで。何度やっても上手く描けないんですよね」
たしかに、絵心はないのかもしれないが。
「一生懸命でいいと思います」
「咲さん……」
悠太の目がキランと輝いた。
「メニュー開発とかラテアートとか、新しいことに精力的に挑戦していて、偉いと思います」
咲の言葉に、悠太は「ありがとうございます」と瞳を潤ませた。
「あれ? でも、それって……」と悠太は何かに気がついたようだ。
「絵のことはフォローしてないですよね」
「あ、ごめんなさい」
咲は苦笑いを浮かべた。
「いいんです。咲さんが励ましてくるだけで嬉しいです」
悠太は無邪気に笑った。
「実はラテアートは凛太郎さんに言われて挑戦してみたんですけど」
「凛太郎さん?」
思いがけず、飛び出した凛太郎の名前に咲は眉を顰めた。
「ええ。ここの三階に住んでいる方です」
「知ってます。もうお会いしました」
さっきのことを思い出して、ついキツい言い方になってしまう。なので、悠太はある程度を察したようだった。
「そうですよね。初めはびっくりしますよね」と笑った。
「びっくりというか、あまりに失礼すぎて」
「たしかに、口が悪いですもんね」と悠太は胸の前で腕を組み、渋面を作った。
「僕、初対面でチビ呼ばわりされましたから」
たしかに彼なら言いそうなセリフである。
「咲さんは?」
「え?」
「咲さんは何を言われたんですか?」
悠太の問いに咲は言葉を詰まらせた。
「あ、すみません。余計なこと聞いて」
空気を察した悠太が謝辞を述べた。
「でも、凛太郎さんって、意外と面倒見がいいんですよ」と凛太郎のフォローを始める。
「そうなんですか?」
「なんだかんだで、兄貴肌みたいな性分らしくて。困っている人をほっとけないようです」
ふーん、と咲はカフェラテを口に含んだ。
「あ、美味しい」
そうでしょ、と悠太は満足げに笑った。
「絵心はイマイチでも、味には自信がありますから」と胸を張る。
「そのラテアートも、凛太郎さんに『新規顧客を開拓したい』って相談したら、提案してくれたんです」
「ラテアートで新規顧客?」
「はい。この喫茶店、花音さんのお祖母さんの時代からのお客さんが多くて、顧客年齢が高めなんです」
つまり喫茶店は元々花音さんのお祖母さまが切り盛りしていたわけだ。
「だから、若者を取り込もうということで、ラテアートをSNSで発信してみたらどうかってなりまして」
「ああ、それで」
「そうなんです」
でも、なかなか上手くいかなくて、と悠太はしょんぼり肩を落とした。
「まだ、SNSで紹介できていないんです」と眉尻を下げた。
「こんなに頑張っているんだから、きっと上手になりますよ」
そうだといいんですけど、と悠太はシュンとする。
「でないと、凛太郎さんが毎日のようにやって来て、プレッシャーをかけてくるから、辛いんです」
あ、そっち、と咲は心の中でツッコミを入れた。
「それにしても、SNSを活用することを思いつくなんて、凛太郎さんは広告関係のお仕事でもしてるんですか?」
咲は気を取り直して尋ねた。
「いえ、IT関係です。とはいっても、今は広告もITを駆使しているから大差ない、とは言ってましたけど」
「IT関係……」
あの大きな身体でパソコンの前に座り、キーボードを打つ姿が想像できなかった。
「ホームページもお任せしてます」
「もしかして、花音さんのホームページも?」
「はい。凛太郎さんが作ってます」
咲は驚いて目を見張った。
『アトリエ花音』のホームページはいかにも女子受けしそうな、ふわふわ系の可愛らしいデザインだった。凛太郎のイメージとはどこをどうやっても結びつかない。
一体、どんな顔をして作っているのだろうと想像して、咲は一人可笑しくなった。
そこへ、入口ドアのベルが鳴る。
「咲ちゃん、お待たせ」
花音がドアから顔を覗かせた。
「花音さん」
「すごく盛り上がっているみたいだね」
花音は二人の様子を眺めて、うんうん、と嬉しそうだ。
「悠太くん、咲ちゃんの相手してくれて、ありがとう」と悠太に礼を述べる。
悠太は、どういたしまして、とペコリとお辞儀をした。
「じゃあ、咲ちゃん出かけようか」
花音はニコリと笑い、手招きした。
1
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ポテチ ポリポリ ダイエット それでも痩せちゃった
ma-no
エッセイ・ノンフィクション
この話は、筆者が毎夜、寝る前にボテチを食べながらもダイエットを成功させた話である。
まだ目標体重には届いていませんが、予想より早く体重が減っていっているので調子に乗って、その方法を書き記しています。
お腹ぽっこり大賞……もとい!
「第2回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしています。
是非ともあなたの一票を、お願い致します。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
総務の黒川さんは袖をまくらない
八木山
ミステリー
僕は、総務の黒川さんが好きだ。
話も合うし、お酒の趣味も合う。
彼女のことを、もっと知りたい。
・・・どうして、いつも長袖なんだ?
・僕(北野)
昏寧堂出版の中途社員。
経営企画室のサブリーダー。
30代、うかうかしていられないなと思っている
・黒川さん
昏寧堂出版の中途社員。
総務部のアイドル。
ギリギリ20代だが、思うところはある。
・水樹
昏寧堂出版のプロパー社員。
社内をちょこまか動き回っており、何をするのが仕事なのかわからない。
僕と同い年だが、女性社員の熱い視線を集めている。
・プロの人
その道のプロの人。
どこからともなく現れる有識者。
弊社のセキュリティはどうなってるんだ?
猫な彼女と普通な彼。
滑るさん
キャラ文芸
ある日、不思議な色をした猫に引っ掛かれ………。
その猫のせいで彼女は猫化する体質になってしまう。
猫耳が生えるのでなく、本物の猫に……。
家でも学校でもパニクる彼女の前に手を差しのべたのは、幼馴染の彼だった。
※文章を修正しました。
この作品は、不定期更新です。ご了承下さい。
闇黒の悪役令嬢は溺愛される
葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。
今は二度目の人生だ。
十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。
記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。
前世の仲間と、冒険の日々を送ろう!
婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。
だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!?
悪役令嬢、溺愛物語。
☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。
よんよんまる
如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。
音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。
見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、
クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、
イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。
だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。
お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。
※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。
※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です!
(医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)
ハッピークリスマス !
設樂理沙
青春
中学生の頃からずっと一緒だったよね。大切に思っていた人との楽しい日々が
この先もずっと続いていけぱいいのに……。
―――――――――――――――――――――――
|松村絢《まつむらあや》 ---大企業勤務 25歳
|堂本海(どうもとかい) ---商社勤務 25歳 (留年してしまい就職は一年遅れ)
中学の同級生
|渡部佳代子《わたなべかよこ》----絢と海との共通の友達 25歳
|石橋祐二《いしばしゆうじ》---絢の会社での先輩 30歳
|大隈可南子《おおくまかなこ》----海の同期 24歳 海LOVE?
――― 2024.12.1 再々公開 ――――
💍 イラストはOBAKERON様 有償画像
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる