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チューリップはよく動く
チューリップはよく動く -2-
しおりを挟む「あのね、咲ちゃん」と穏やかに呼びかける。
その声に顔を上げると、優しい眼差しが咲を捉えた。
「咲ちゃんは、もっと自分に素直になったほうがいいんじゃない?」
子供を諭すような口調で花音が告げた。
「自分に素直に、ですか?」
咲はパチパチと目を瞬かせる。
「どういうことですか?」
今まで周りから『素直な子』と言われたことはあっても、『素直になれ』と言われたことはない。
だから、自分は素直なんだと思っていた。
なのに、花音からまったく真逆の指摘を受けて、咲は戸惑った。
「もしかして、咲ちゃんは自分のことを素直だと思ってる?」
困ったように、花音が尋ねた。コクリとうなずく咲に、「やっぱり」と呆れた顔をする。
「あのね、素直っていうのはね、人の言いなりになることとは違うんだよ」
「人の言いなり……」
花音に言われて、そうかもしれない、と咲は今更ながら気がついた。
いつも人の顔色を気にして答えを返していたような気がする。自分の考えより、相手の気持ちを優先していた。自分の考えなんてないに等しかった。
でも、そうやってはっきり言われると、なんだか自分がみじめに思えてしまう。
「咲ちゃんはいろいろ我慢し過ぎなんだよ」
花音が眉を顰めた。
「私、我慢なんか……」
咲は悔しくて、言い返そうと口をひらいた。が、花音の明るい茶褐色の瞳に合い、口ごもった。
あの瞳には、全てを見透かされている気がした。
ほら、それ、と寂しげに花音が笑う。
「そうやって、言いたいことも我慢するでしょ」
「そんなこと……」
咲はふいっと視線を逸らした。
「言ってごらんよ。……咲ちゃんの思っていること、僕に教えてよ」
その瞳はとても真摯で温かくて。好奇心からではなく、咲のことを想っているからこその言葉だということが感じ取れた。
反面、昨日の父とのやりとりでは、咲に対する気持ちなど、微塵も感じなかった。まるで自分がそこに存在しないもののようだったと、咲は思った。
激しい絶望と虚無感に襲われて、それから逃れたくて「実は」と、つい言葉にしてしまう。
それから慌てて口を抑えた。
──こんな話、いきなりされても迷惑だよね。
チラリと花音をうかがうと、相も変わらぬ優しい瞳で、彼は次の言葉を待っている。
咲はキュッと口の端を結んだ。
話してみよう、と覚悟を決める。
「実は、昨日……父から結婚を勧められました」
恐る恐る口にする。
「結婚?」
花音がピクリと眉を動かした。
「それって、お見合いってこと?」
いいえ、と咲は首を振った。
「いわゆる政略結婚です」
「政略結婚……いまどき、そんなのがあるんだ」
花音は妙に感心してうなずいた。
「ほんと、時代遅れですよね」と咲は笑った。
花音の反応で、自分の置かれている状況が異常なんだな、と改めて認識できた。
「でも、父は『女は結婚して、家庭を守るのが幸せなんだ』って」
「なかなかの頑固親父だね」と花音が茶化す。
そうなんです、と咲はうなずいた。
「それで、今度その人と会うことになって。──たぶん、このままズルズルと……」
「それは、困ったね」と花音は腕組みをした。
「父は、結婚が決まったら、仕事も辞めろって。もうほんと、固定観念の固まりですよね」
話していたら、だんだん腹が立ってきた。でも、それも長くは続かない。
「──でも、私も父のこと言えないかな……」とトーンダウンする。
「どうして?」
花音が首を傾げた。
「私も少し前なら寿退社もいいなぁって思っていたから」
自嘲気味に笑う。
「今、小さな設計事務所で、建築士を兼ねたインテリアデザイナーをやっているんです」
「あ、やっぱり、インテリア関係のお仕事なんだ」
ええ、と咲はうなずいた。
「ちょっと前では、雑用みたいな、お茶汲みみたいな仕事しかさせてもらえなかったんですけど」
その頃に結婚の話があったら、素直に仕事を辞めていたのだろうけど。
「──でも、最近、小さな仕事を任せてもらえるようになって。そしたら、仕事が楽しく思えてきて。いろいろ挑戦してみたくなったんです。フラワーアレンジメントも、仕事の役に立つかなぁなんて……」
咲の瞳が悲しげに揺れた。
「でも、結局、カゴの中の鳥でした。今のままだと、父の考え一つで、人生を左右されてしまう」
咲は唇を堅く結んだ。
「だから、カゴから出ないとって。……家を出て、自立しないといけないって、思ったんです」
「家を出る……」
「はい」
「……咲ちゃんは、強いね」
花音は眩しそうに目を細め、咲を見つめた。
「いえ、そんなこと……。逆に、いつまでも親に甘えて、実家暮らししていたからこんなことになってしまって……」
咲はしょんぼりと肩を落とした。
「それなら、うちに住む?」
「えっ?」
突然の提案に、咲は驚いて花音を見つめた。
──それは、同棲の誘い?
あらぬことを想像して、顔が熱くなる。耳まで熱い。
「あー、違う、違う」
慌てて手を振り否定する花音の顔もまた赤い。花音はコホン、と軽く咳払いをした。
「このビル、五階が入居者募集中なんだ。だから、よければ、どうかなって」
「あっ、そういう……」
咲はホッと胸を撫で下ろした。
「……というか、うちってことは、このビル、花音さんがオーナーなんですか?」
はっと気がついて尋ねる。
「うん。華村ビルっていうの」
「華村ビル……」
──そういえば、住所にそう書いてあったような。
「祖母が遺してくれたんだ」
「お祖母さまの」
ちょっとボロいんだけどね、と花音は自虐して笑った。
「で、どう? 家賃三万、敷金、礼金なし、家具家電付き」
ちょっとボロいけど、立地を考えると、とてもいい条件である。
「……いいんですか? そんな好条件で」
もちろん、と花音は満面の笑顔を浮かべる。
「僕、一生懸命な咲ちゃんの応援をしたいんだ」
とても嬉しい言葉を投げかける。
やっぱり花音さんはお花のような人だ、と咲は思った。彼といると、明るく前向きな気持ちになれる。
「ありがとうございます」
咲はペコリとお辞儀をした。
「花音さんに相談して、本当によかったです。気持ちがすごく楽になりました」
ニコリと笑う。その笑みはここを訪れたときとは違い、屈託がない。
「お申し出、本当に嬉しいです。──でも」
そうやって、背中を押してくれるだけで充分だ。
「でも?」
花音は首を傾げた。
「住むところまで手配してもらうのは、甘え過ぎっていうか……独り立ちしようっていうのに、いきなり甘えるってのはどうかと……」
「まーた、難しいこと考えて」
花音はユルユルと首を振った。
「いい? 人という漢字は人と人が支え合ってできてるんだから。甘えていいの」
強引な理屈を曰う。
──そうなのかな?
悩む咲に、「夏には特大の花火も楽しめるよ」と花音は最高の口説き文句を放って、ニコリと微笑んだ。
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