14 / 105
ブルースターの色彩
バレンタインの贈り物 -1-
しおりを挟む喫茶店の外に出ると、すぐ傍に白いミニバンが横付けされていた。
花音はその助手席のドアを開け、どうぞ、と恭しくお辞儀をする。
「ありがとうございます」
咲はぎこちなくお辞儀を返して、助手席へと乗り込んだ。
花音の紳士然とした振る舞いにはなかなか慣れない。咲はこっそりとため息をつき、シートベルトを締めた。
それを確認して、花音は静かに助手席のドアを閉める。それから、ゆったりとした大きな動作で運転席側へと回る。歩く姿まで美しくて、つい目で追いかけてしまう。だから運転席のドアを開けた花音と必然的に目が合い、慌てて視線を逸らす。
「あっ、あの、……配達って、どちらにいかれるんですか?」
気まずさを誤魔化すため、咲は無理やり言葉を絞り出した。
花音はクスリと笑って「川田町まで」と答えた。
「えっ、川田町?」
咲はパチパチと目を瞬かせた。
川田町は咲の家の方面ではあるが、通り道というわけではないし、わざわざ回り道をしなければならない。
「うん」とこともなげに答えて、花音は車に乗り込んだ。それから、シートベルトを締め、スターターキーを押す。
「あの、私、やっぱり降ります」
慌てて咲はシートベルトに手をかけた。その手の上に、花音は自分の左手を重ねる。
「え?」
見上げると花音の顔が間近にあった。咲の心臓がドクンと跳ね上がる。
「どうして?」
花音は小首を傾げた。
「あ、いえ、だって、遠回りになりますから」
ドクドクとうるさい心臓の音が聞こえてしまわないよう、咲は早口で答えた。
「だから?」
「だから、ご迷惑ですよね」
ああ、と花音は咲の意図を理解して声を漏らす。左手をハンドルに戻し、咲を見つめた。その顔には悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「迷惑じゃないよ。今日は咲ちゃんとドライブを楽しみたい気分なんだ」
そう言ってゆっくりと車を発進させる。動き出した車にすっかり降りるタイミングを失い、咲は流れる景色を恨めしく見つめる。それからチラリと花音の様子を窺った。
フロントガラスを見据える横顔は相も変わらず整っている。シャープな顎とそこへかかる長い黒髪は中性的な印象なのに、ハンドルへ乗せられた手はゴツゴツと骨張っていて、やはり男の人であることを再認識させる。
──どうしよう。男の人と二人っきりの空間だ。
沈黙の時間が流れる。とても気まずい。でも、これと言った話題も浮かばない。頭の中右往左往していると、
「今日ってバレンタインデーでしょ?」
信号で止まったのを機に、花音が口を開いた。
「そういえばそうですね」
出された助け舟に安堵し、頷く。
引越しの件でバタバタしていてたから、すっかり頭から抜け落ちていた。気が付いていたらチョコレートを用意したのに。気が利かない女だと思われただろうか。
チラリと花音を窺う。
それともたくさん貰うから気にも止めていないのかな。それはそれでモヤっとするけれど。
……って、なんでモヤっとするの?
自分自身にツッコミを入れたところで、
「大丈夫?」
花音が不思議そうに声をかけてきた。一人で百面相をしているのを訝しんだのだろう。
あ、はい、と咲は曖昧な笑みを浮かべる。
「その、もしかして、お花の配達はバレンタインデーと関係があるのでしょうか?」
頭の中を説明するわけにもいかず、咲は代わりに尋ねる。
「あるよ」
花音は苦笑し、答えた。
「今日は新規のお客さんへ花束の配達」
「花束の配達ですか?」
「そう。旦那さんから奥さんへの贈り物なの」
「旦那さんから奥さんへ?」
咲は首を傾げた。
「それって、バレンタインデーですか?」
バレンタインデーといったら、女性が男性へチョコレートを贈り、告白するのが相場だ。
「バレンタインだね」と花音が頷く。
「日本ではチョコを贈ることになっているけど、これってお菓子メーカーの戦略で始まったものなんだ」
それは咲も聞いたことがある。
「アメリカでは男性から女性へ贈り物をするのが一般的だし、贈り物もチョコに限らない。花束やカード、それに贈り物ではなく、ディナーや観劇に行って楽しむことも多い。ヨーロッパの国に目を向ければ、また違った習慣が目につく」
「そうなんですか?」
そうなの、と花音は笑う。
「そもそもバレンタインデーの謂れには諸説あってね。それで国によって異なる習慣が生まれたんじゃないかな?」
「そうなんですね」
「で、その一つにキリスト教のお祝いっていう説があるんだよ」
「キリスト教のお祝い?」
「そう。キリスト教を信仰していたバレンタイン司祭を偲んで始まったものとされるね」
「バレンタイン司祭? バレンタインは人の名前なんですか?」
「まあ、そうなるね」
単純でしょ、と花音は肩を竦めた。
「あ、いえ……」
言葉を濁した咲をケラケラと笑い、花音は続ける。
「ローマ帝国時代の話なんだけど。当時、皇帝の命令によって兵士の結婚が禁じられていた時期があったんだ」
「結婚が禁止? どうしてですか?」
「家庭を持つと生きて帰ろうとして、手を抜くとかなんとか」
「勝手な理屈ですね」と咲は呆れた。
咲からすれば家庭を守るために士気が上がりそうな気もするが。
そうだね、と花音も同意する。
「きっとバレンタイン司祭もそう思ったんだろうね。──だから皇帝に内緒で兵士の結婚式を執り行うことにしたんだ」
「でも、それって、皇帝の命令に背く行為ですよね」
咲は眉根を寄せた。あまりいい予感がしない。
まあね、と花音も眉を顰める。
「そのうち、バレンタイン司祭の行ないは皇帝の耳にも届くようになった」
「それで?」と咲は怖いもの見たさに続きをせがむ。
「それで皇帝は……」
花音は勿体ぶるように、そこで言葉を止めた。咲はゴクリと喉を鳴らした。
1
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
八奈結び商店街を歩いてみれば
世津路 章
キャラ文芸
こんな商店街に、帰りたい――
平成ノスタルジー風味な、なにわ人情コメディ長編!
=========
大阪のどっかにある《八奈結び商店街》。
両親のいない兄妹、繁雄・和希はしょっちゅうケンカ。
二人と似た境遇の千十世・美也の兄妹と、幼なじみでしょっちゅうコケるなずな。
5人の少年少女を軸に織りなされる、騒々しくもあたたかく、時々切ない日常の物語。
【本編完結】繚乱ロンド
由宇ノ木
ライト文芸
番外編は時系列順ではありません。
更新日 2/12 『受け継ぐ者』
更新日 2/4 『秘密を持って生まれた子 3』(全3話)
02/01『秘密を持って生まれた子 2』
01/23『秘密を持って生まれた子 1』
01/18『美之の黒歴史 5』(全5話)
12/30『とわずがたり~思い出を辿れば~2,3』
12/25『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』
本編は完結。番外編を不定期で更新。
11/11~11/19『夫の疑問、妻の確信1~3』
10/12 『いつもあなたの幸せを。』
9/14 『伝統行事』
8/24 『ひとりがたり~人生を振り返る~』
お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで
『日常のひとこま』は公開終了しました。
7/31 『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。
6/18 『ある時代の出来事』
-本編大まかなあらすじ-
*青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。
林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。
そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。
みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。
令和5年11/11更新内容(最終回)
*199. (2)
*200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6)
*エピローグ ロンド~廻る命~
本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。
※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。
現在の関連作品
『邪眼の娘』更新 令和7年1/25
『月光に咲く花』(ショートショート)
以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。
『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結)
『繚乱ロンド』の元になった2作品
『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる