華村花音の事件簿

川端睦月

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チューリップはよく動く

アトリエ花音 -1-

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 この辺りは海が近い。

 けれど半分廃墟と化した雑居ビルの裏手が海だとは思ってもいなかった。

 『アトリエ花音』の教室はその眺望を生かすため、海に面した側のガラス窓は全開放できるものを採用していた。海までは五十メートルほどの距離があるものの、その間に高い建物はなく一面のそれを臨める。

「素敵ですね……」

 咲は思わずため息を漏らした。

 そうでしょ、と花音が嬉しそうに笑う。

「夏には花火も見えるんだよ」
「花火ですか?」
「うん。日向川ひなたがわ花火大会の」
「日向川花火大会?」

 咲はパチクリと目を見開いた。日向川花火大会は毎年日向川の河口で行われる全国的にも有名な花火大会だ。花火は大好きで、幼い頃は両親に連れて来てもらったが、大人になってからは人混みが苦手で敬遠している。

 それがこんな高見から人混みを気にしないで見られるなんて、すごく羨ましい。

「今年の夏はぜひ見に来てね」

 咲がとても興味深そうにしていたせいだろう。花音は社交辞令を口にする。
 
「そうですね」と咲は答え、改めて室内を見渡した。

 白を基調に配置されたインテリアはどれも丁寧に使われてきたことを思わせるアンティークなものばかり。優しい色合いでロマンチックなコーディネートはフレンチカントリーのようでいて、少しばかりシックな佇まいだ。

 入り口から向かって右側にはフラワーアレンジメントの教室らしく様々な種類の花達が並ぶ冷蔵のショーケースが据えられている。左側には小さめのキッチンと事務机があり、残りの壁には天井まで届く棚に花瓶やラッピング資材が所狭しと詰め込まれていた。真ん中には白いオーバルのダイニングテーブルと四脚の肘掛け椅子が置かれている。

「こちらへどうぞ」

 花音はその中の海が臨める方の椅子を引いて、咲に呼びかける。


「あ、ありがとうございます」

 咲は戸惑いつつも、ぎこちなく椅子へと近づき、腰を下ろした。

「どういたしまして」

 花音は優雅な笑みで応じる。花びらが綻びたような笑顔に、咲の心臓は再び跳ね上がる。

 ──本当に綺麗な人……

 長いまつ毛が影を落とす明るい茶褐色の瞳に、ゆるく弧を描く淡いピンク色の唇。

 綺麗という言葉は男の人には似つかわしくない表現なのかもしれないが、花音の中性的で柔らかな雰囲気が咲にそう感じさせた。

 いつもなら男の人とは緊張で口数が少なくなってしまうけれど、自然と会話ができているのは花音の持つ雰囲気のせいなのだろう。

「ところで咲ちゃんはお花を生けるのは初めて?」

 椅子の背もたれに両手をかけたまま、頭上から覗き込むような姿勢で花音が尋ねる。触れられているわけでもないのに、じんわりと体温が伝わってくる距離がなんだか落ち着かない。

「ええと、そうですね、初めてですね」

 咲は考える振りをして、わずかに体をずらした。

 いくら花音が中性的に思えたとしても、やはり近すぎるのは心臓に良くない。

 そっか、と花音は頷く。それから入り口の棚に歩み寄り「それなら、道具の説明から始めるね」と、縦長の長方体にのデザインを加えたガラスの花瓶を取り出した。

「これは花器ね」

 咲に掲げて見せる。

「花器? 花瓶ではなく?」
「もちろん花瓶とも言うよ」

 花音はクスリと笑う。

「ただ、フラワーアレンジメントでは花を生ける器に花瓶じゃなくて、ティーカップやバスケットみたいな雑貨を使うことがあってね」
「それは面白いですね」

 そうでしょ、と花音は嬉しそうに頷いた。

「僕、お客さんに頼まれて車のタイヤの中にお花を生けたことあるんだけど」
「車のタイヤ?」
「うん。ホイールとチューブを外したの部分にね。ガソリンスタンドのオープニングでウェルカムボード代わりにしたいからって」
「……すごい発想ですね」

 咲の言葉に、本当だよね、と花音は苦笑した。

「で、その場合、生けてる器を花瓶って呼ぶと違和感ない?」
「……ありますね」

 眉根を寄せて答えた咲に、花音はフフッと笑いを返し「だから、花を生ける器で花器。その方が分かりやすいでしょ?」と曰った。

 それから、と今度は棚の引き出しを漁る。

「これは花ハサミっていうんだけど」と見慣れない形のハサミを取り出す。

 持ち手が大きくて、刃の部分が小さい、普段使っているハサミと比べるとアンバランスなハサミである。

「花ハサミ?」
「そう。名前のとおりお花を切るためのハサミなんだ」
「少し使いにくそうなハサミですね」
「そんなことないよ。持ち手が大きい分、握り易いんだ」

 花音はハサミを握り、動かしてみせる。シャキシャキと刃が擦れ合う音がした。

「それにね、これ、細い枝くらいなら簡単に切れるの」
「こんなに刃が短いのにですか?」

 咲は首を傾げた。

「枝を切るには力が必要だからね。持ち手が大きい分、手のひら全体で力を込められるから」
「そうなんですね」

 教室に来てからまだほんの少ししか時間が経ってないのに知らない情報がドンドン出てくる。
 咲は自分の無知さを反省しつつ、フラワーアレンジメントへの興味を深めた。

 それじゃあ、と手にしていた花器とハサミを咲の前に置き、花音が言う。
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