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二章 誘惑の秘宝と王女の日記

12.敵意

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 その後の旅も概ね順調に進んで、予定より早くカランセ伯爵領に入ることができた。

「ディラン様、伯爵領に入りましたよ。今の川が隣の領地との境目なんです」

「大きな川だね」

「はい、伯爵領の大切な水源だってお兄様がよく言っていました。今日中に屋敷に着けそうですね」

 エミリーは馬車の窓から外を見て、はしゃいだ声をあげている。ディランが微笑ましく見ていると、のどかな川の音に不穏な音が混ざってくる。

「馬の蹄?」

「ディラン様、どうかしましたか?」

 ディランの呟きを聞いて、エミリーが不思議そうに振り返る。命の危険を感じるような暮らしをしてこなければ、気づかないような小さな音だ。ディランが窓の外を見ると、馬に乗ったルークが表情を引き締めてディランに小さく頷いた。やはり、空耳ではなさそうだ。

「エミリー、窓から離れよっか。誰か来るみたい」

 ディランはエミリーを怖がらせないように気をつけながら、馬車の中央に移動させる。自慢にはならないが、ディランは襲撃に慣れている。このくらいでは動揺しない。

 蹄の音が小さいのでまだ遠そうだが、こちらに向かってきているのは確かだ。

(盗賊……いや、統制が取れているみたいだから暗殺者かな?)

 ディランは念の為、馬車に防護魔法をかける。カーテンを全て閉めて、外の音に耳を澄ました。

「何が起きてるんですか?」

「馬が十数頭こちらに向かってきているみたい。この数なら一瞬でなんとかできるから大丈夫だよ。兄上にも指摘されてるし、殺さないよう頑張るから安心して」

「は、はい。頑張ってください?」

 エミリーは応援していいのか困った顔をしている。ディランは余計な事を言った事に気がついて、笑って誤魔化した。

「来たね」

 ディランがカーテンの隙間から外を見ていると、馬に乗った軍勢が馬車を取り囲む。ディランは衝撃に備えてエミリーを抱きかかえるようにしていたが、御者も落ち着いて対応できたようで、急停車することなく馬車は止まった。

 ディランたちを取り囲む軍は、ピンクブロンドの髪の小柄な青年が指揮しているようだ。ディランは殺気立っている青年の顔を見てホッと息を吐き出した。彼が軍を率いているなら、どんなに敵意を向けられても問題ない。

「エミリー、安心して。敵は僕だけみたい」

「えっと?」

「カランセ伯爵領の正規軍だよ」

 ディランがカーテンを開くとエミリーが外の様子を見て固まった。

「お兄様?」

「やっぱり。そっくりだよね」

「よく言われます」

 エミリーが顔を赤くするので、ディランはクスリと笑う。一瞬で馬車の中は、外とはかけ離れたのんびりした空気に染まった。

「外に出ようと思うけど、大丈夫?」

「あの……、お兄様は私のことも敵だと思っていませんか? 魅了状態が切れて、今までのことを怒ってるとか……」

「エミリーの兄上の様子を見ると、それはないんじゃないかな。僕も一緒にいるから、安心して確かめてみよう」

 ディランはエミリーの決意が固まるのを待って、馬車の扉を開ける。エミリーが馬車から降りるのを手伝って、勇気づけるように手を握った。

「ディラン殿下、妹を返して頂けますか? 人質にとるようなやり方は卑怯だ」

 エミリーの兄、レジー・カランセが馬上からディランを睨みつけている。エミリーと似ていて、クリクリっと大きな瞳なので、小動物が威嚇しているようにしか見えない。

 ディランはレジーを放置して周囲を観察した。冷静に見ると殺気を上げているのは、レジーと数人の若者だけのようだ。

(エミリーに気がある男かな)

 ディランは、ほんの少しだけイラッとしたが、エミリーの前なので顔には出さない。

 他の面々は年配の者が多く、王子を睨みつける領主の息子をヒヤヒヤと見守っていた。もしかしたら、レジーを抑える役目で来ているのかもしれない。

 ディランを守るためにいるはずのルークたちでさえ、ディランが普段通りに馬車から出てきたのを見て、安心したように剣を降ろしてしまった。まさか、ディランが暴れるのを止めるつもりだったのだろうか。ディランはそんなに喧嘩っ早くないのだが、ルークたちの中のディランの印象が心配になる。

 エミリーはディランの隣で恥ずかしそうにしている。握り合っている手からも、緊張が抜けているのが分かった。

「ディラン様、兄がすみません」

「気にしなくていいよ。大切にされてるんだね」

「はい」

 エミリーが嬉しそうに笑うので、ディランはついエミリーの髪を撫でる。その様子を見ていたカランセ軍から、ひどい殺気が送られてきた。

「妹の髪に触れるな!」

「お兄様、殿下に失礼だから馬から降りてきてよ」

「エミリー、なぜお前まで殿下の味方をするんだ? もしかして、脅されてるのか? 兄様がすぐに助けてやるぞ!」

「なんでそんなこと言うの!? ディラン様に脅してまで私と婚約する理由なんてないでしょ!?」

 エミリーは必死だが、ディランはコロコロと表情を変えながら言い合う兄妹を見ていると和んできてしまう。道中、エミリーに兄との仲良しエピソードを聞いているからなおさらだ。ディランは口を挟むタイミングを逃して、2人の様子を見守った。

「エミリー、可哀想に……。ディラン殿下、確かにエミリーはどんなことをしてでも手に入れたくなるような可愛さですが、やり方が卑怯だ。私と一対一で勝負して下さい! 私が勝ったらエミリーを諦めて、このまま帰ってもらいます!」

「わざわざ来てくれたのに、ディラン様になんてこと言うのよ! お兄様なんか、大ッキライ!!」

 エミリーの言葉にレジーの瞳が潤む。ディランはエミリーに「大ッキライ」なんて言われたら立ち直れない。どうしても、エミリーよりレジーに感情移入してしまう。

「あの……レジー殿。王家の非礼はお詫びします。日差しも強いですし、エミリーのためにも馬車の中でゆっくり話しては如何でしょう? 僕は馬で行きますよ」

 ディランが声をかけると、レジーは「大ッキライ」で戦意を喪失したのか、年配の騎士に支えられるようにして馬から降りてくる。

「あの……お兄様、言い過ぎました。ごめんなさい」

 レジーの憔悴ぶりにエミリーが謝ると、レジーはすぐに息を吹き返した。

「エミリーーー!!」

 レジーはキラキラした目でエミリーに駆け寄り、そのまま体当りするように抱きつく。

「お兄様、苦しい! 離してよ!」

「エミリー、ごめんよ。兄様を許してくれ!」

「だから……」

 エミリーは困ったように笑っている。ディランは兄妹のじゃれ合いをほのぼのとした気持ちで見守った。
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