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七 疲弊という名の休息 二
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彼としては、ホラフキさんまで語る必要があるとは思えなかった。一方で、回転体眩惑症についてはどうしても語らねばならなかった。
「つまり、持病の発作が起きたんですね?」
「そうです。薬を飲んでいたのに」
「どちらで処方されましたか?」
「浦原病院です」
「えっ、浦原?」
ずっと穏やかだった古里が、おおげさなほどびっくりした。
「知ってる病院なんですか?」
「いやあ、評判のいいところですから。ご担当医はどなたですか?」
「久慈先生です」
「久慈先生……」
復唱する古里は、眉根にかすかなシワを寄せていた。
「知り合いですか?」
「まあ、論文をたくさん発表されてますから」
比較的大きな病院でなら、現場の医師が診察や治療と並行して論文を書くのはごく当たり前にある。
「問題は、お薬が効かなかったのか新しい症状が出たのかということですね」
古里は、個人的な感情をすぐに引っ込めた。
「久慈先生にまた相談しないと」
当然至極な方針を、岩瀬は述べた。
「失礼ですが、どんなお薬を出されていたかご存知ですか?」
岩瀬はすらすらと答えた。それこそ何年間もつきあってきた薬なので丸暗記している。
「わかりました。こちらでも調べておきますね。久慈先生にご相談なさるのは、そのあとでも遅くないでしょう」
「そうですね」
岩瀬は、久慈の実力を信頼している。だが、ホラフキさんまでまとわりついたとあっては薬についての客観的なコメントが欲しくなった。
「それから、浦原病院では主にどんな診察を受けていますか?」
「簡単な問診と……あとは投薬だけです」
「ずっと同じ薬ということですね?」
「はい」
「ありがとうございます。あと、何か聞かれたいことはありますか?」
「そういえば、ここは何て名前の診療所ですか?」
「ああ、これは申し遅れました。覚正診療所です」
「覚正?」
今度は岩瀬が目を丸くする番だった。
「どうかされましたか?」
「いえ、川の上流に覚正村ってありますよね?」
「あります。良くご存知ですね」
追悼記念碑のくだりは話に出してなかったから、ここでようやくにも岩瀬の行動と古里の知識が噛み合い始めた。
岩瀬は、どこまで質問すればいいのかすぐに決断せねばならなかった。人当たりはいいし腕も確かなのだろうが、天邪鬼がアメリカに渡ったなどという薄山の主張はいくらなんでも明かせない。
「行ったことがあるんですよ。すずり山の洞窟を経由して」
「洞窟?」
「鉱山があったとかで……」
「はい、ありましたね。戦時中まで。ずっと昔から、スズを産出していたんですよ。それと書道のすずりがごっちゃになってすずり山になったんです」
古里は淀みなく説明した。
スズは安価な金属で用途が広い。例えば銅と混ぜれば青銅になる。機械の部品に用いられることもある。
「さっきまで一緒にいた、恩田って子とその洞窟……というかトンネルに入りました」
「とうに閉山ですが……どうやって?」
「恩田が出入口を見つけました」
「失礼ですが、ふつうは危険だから閉鎖するはずですよ」
「ええ、ですが入ってすぐに瓜子姫と天邪鬼の絵が壁に描いてありました」
「瓜子姫……天邪鬼……」
右手で自分の顔の下半分をもみしだいていた古里は、不意に手を顔から離した。間髪いれず、右の拳で左手を軽く打つ。
「平成の村起こしですね。役場が第三セクターを作って始めました」
第三セクターとは、半官半民の企業である。古くは昭和の後半に当時の田中角栄首相並びにその内閣が提唱した。しかし、覚正村のような地方自治体が起こした物は失敗して破綻することも少なくなかった。
「具体的にはどんな商売だったんですか?」
経済学部の学生だからというのも手伝って、岩瀬は食いついた。
「観光業らしいですね。鉱山のトンネルを改装して、地元の民話と結びつけたようです。たいして細かくは知りません」
古里は淀みなく説明した。
「その洞窟の奥に、ホラフキさんがいたんです」
この機を逃さず、岩瀬は伝えた。
「ホラフキさん……?」
「都市伝説ですよ。『ホラフキさんだーれだ』って……」
「だーれだ」
軽く古里は混ぜ返した。岩瀬はぎょっとした。
「つまり、持病の発作が起きたんですね?」
「そうです。薬を飲んでいたのに」
「どちらで処方されましたか?」
「浦原病院です」
「えっ、浦原?」
ずっと穏やかだった古里が、おおげさなほどびっくりした。
「知ってる病院なんですか?」
「いやあ、評判のいいところですから。ご担当医はどなたですか?」
「久慈先生です」
「久慈先生……」
復唱する古里は、眉根にかすかなシワを寄せていた。
「知り合いですか?」
「まあ、論文をたくさん発表されてますから」
比較的大きな病院でなら、現場の医師が診察や治療と並行して論文を書くのはごく当たり前にある。
「問題は、お薬が効かなかったのか新しい症状が出たのかということですね」
古里は、個人的な感情をすぐに引っ込めた。
「久慈先生にまた相談しないと」
当然至極な方針を、岩瀬は述べた。
「失礼ですが、どんなお薬を出されていたかご存知ですか?」
岩瀬はすらすらと答えた。それこそ何年間もつきあってきた薬なので丸暗記している。
「わかりました。こちらでも調べておきますね。久慈先生にご相談なさるのは、そのあとでも遅くないでしょう」
「そうですね」
岩瀬は、久慈の実力を信頼している。だが、ホラフキさんまでまとわりついたとあっては薬についての客観的なコメントが欲しくなった。
「それから、浦原病院では主にどんな診察を受けていますか?」
「簡単な問診と……あとは投薬だけです」
「ずっと同じ薬ということですね?」
「はい」
「ありがとうございます。あと、何か聞かれたいことはありますか?」
「そういえば、ここは何て名前の診療所ですか?」
「ああ、これは申し遅れました。覚正診療所です」
「覚正?」
今度は岩瀬が目を丸くする番だった。
「どうかされましたか?」
「いえ、川の上流に覚正村ってありますよね?」
「あります。良くご存知ですね」
追悼記念碑のくだりは話に出してなかったから、ここでようやくにも岩瀬の行動と古里の知識が噛み合い始めた。
岩瀬は、どこまで質問すればいいのかすぐに決断せねばならなかった。人当たりはいいし腕も確かなのだろうが、天邪鬼がアメリカに渡ったなどという薄山の主張はいくらなんでも明かせない。
「行ったことがあるんですよ。すずり山の洞窟を経由して」
「洞窟?」
「鉱山があったとかで……」
「はい、ありましたね。戦時中まで。ずっと昔から、スズを産出していたんですよ。それと書道のすずりがごっちゃになってすずり山になったんです」
古里は淀みなく説明した。
スズは安価な金属で用途が広い。例えば銅と混ぜれば青銅になる。機械の部品に用いられることもある。
「さっきまで一緒にいた、恩田って子とその洞窟……というかトンネルに入りました」
「とうに閉山ですが……どうやって?」
「恩田が出入口を見つけました」
「失礼ですが、ふつうは危険だから閉鎖するはずですよ」
「ええ、ですが入ってすぐに瓜子姫と天邪鬼の絵が壁に描いてありました」
「瓜子姫……天邪鬼……」
右手で自分の顔の下半分をもみしだいていた古里は、不意に手を顔から離した。間髪いれず、右の拳で左手を軽く打つ。
「平成の村起こしですね。役場が第三セクターを作って始めました」
第三セクターとは、半官半民の企業である。古くは昭和の後半に当時の田中角栄首相並びにその内閣が提唱した。しかし、覚正村のような地方自治体が起こした物は失敗して破綻することも少なくなかった。
「具体的にはどんな商売だったんですか?」
経済学部の学生だからというのも手伝って、岩瀬は食いついた。
「観光業らしいですね。鉱山のトンネルを改装して、地元の民話と結びつけたようです。たいして細かくは知りません」
古里は淀みなく説明した。
「その洞窟の奥に、ホラフキさんがいたんです」
この機を逃さず、岩瀬は伝えた。
「ホラフキさん……?」
「都市伝説ですよ。『ホラフキさんだーれだ』って……」
「だーれだ」
軽く古里は混ぜ返した。岩瀬はぎょっとした。
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