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四 偽りの村 二
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間近で仔細に観察すると、看板の中央には二人の人間……か、それに近い生き物……が並んで立っているようだ。二人とも腰から上は錆びに覆われてさっぱりわからない。とはいえ、右下隅には『すずり山観光散策路開通記念 覚正村観光委員会 昭和六十年十一月二十三日』と青い字で記されている。さらに、二人の頭上には黒い字で『つながりが人を明るく照らす! ようこそ、覚正村へ!』とあった。
バブル時代に日本全国で乱発されたリゾート計画の成れの果てだ。当時から日本の農産漁村は過疎化に悩まされつつあった。そこに、内需拡大を唱えて地方行政へバラマキを行った政府と便乗した不動産業者が絡んで無秩序な観光事業が乱立した。
岩瀬は経済学部の学生であるから多少はそうした知識がある。つまり、この看板は目下のところ彼の窮状をなんら救わない。どちらかというとその逆だった。
絶望して座り込みたくなるのを必死に我慢していると、また別の事実が頭をよぎった。看板は、まがりなりにも整地された道の脇にある。つまり、このまま観光散策路とやらを行けば覚正村とやらにはたどりつける。人が残っているかどうかはさておき、下山の手助けにはなるはずだ。
岩瀬は看板に注目するのをやめた。看板に向かって右へ行くか、左へ行くか。スマホの光を右、左と移した。と、いきなり人影が自分の左側に現れた。
「うわぁっ!」
仰天したのも束の間、一人の男の子が手を伸ばせば触れられる距離でじっと見つめている。顔といい背丈といい洞窟の壁に描かれた天邪鬼そのもので、角までそっくりだった。
「わーっ!」
スマホを握りしめ、岩瀬は天邪鬼から遠ざかろうと走った。頭痛もアザの痛みも知ったことではない。
走りながらうしろを見ると、天邪鬼はつかず離れず岩瀬についてきていた。徹底的に無言無表情なのがまた余計に不気味だ。
スマホを持ったまま走るということは、明かりがないまま走るということに他ならない。幸か不幸か植林が途切れだして道が次第に広がりだし、月明かりがよりはっきりともたらされるようになってきた。それにつれて、天邪鬼の姿はだんだんと小さくなっていく。
「はぁ……っ……はぁ……っ」
膝に手をつき、岩瀬は息を整えた。こんなに走ったのは高校以来だ。思い返すことで多少は冷静さを取り戻せた。
あんな状況でいきなりでてきたのと、天邪鬼そっくりだったから逃げた。だが、危害を加えてくると断定できる根拠はどこにもない。岩瀬が得体のしれない恐怖にかられただけだ。
なら、相手がここにくるのを待って助けを求めるのか。よほど頓珍漢な人間でない限りは公衆電話のある場所くらい教えてくれるだろう。
そういえば、ここはどこだ。
木造の二階建て民家が十軒ほど集まっている。どれもこれも窓が割れたり雑草に埋もれかかったりしていた。タイヤが潰れて窓ガラスにびっしりコケだかカビだかが生えた車も道際に放置されていた。薬を飲んでないからハッとしたものの、潰れたタイヤは回転できないから問題なかった。
「岩瀬か?」
聞き覚えのある男性の声に、今度こそぎょっとさせられた。声の主を探したが、夜中ということもあり良くわからない。
「薄山だよ」
「薄山!」
まさに地獄で仏というものだ。
「しっ。大声をだすな。すぐ傍に自販機があるだろ? その隣にある家の裏だ。早くこい」
岩瀬は速やかに従った。
「こっちだ」
開いたままの勝手口から、薄山がひょこっと顔をだした。一も二もなかった。
「お前、どうやってここに……」
屋内に入るなり、岩瀬は聞いた。同時に上下左右を見回した。
バブル時代に日本全国で乱発されたリゾート計画の成れの果てだ。当時から日本の農産漁村は過疎化に悩まされつつあった。そこに、内需拡大を唱えて地方行政へバラマキを行った政府と便乗した不動産業者が絡んで無秩序な観光事業が乱立した。
岩瀬は経済学部の学生であるから多少はそうした知識がある。つまり、この看板は目下のところ彼の窮状をなんら救わない。どちらかというとその逆だった。
絶望して座り込みたくなるのを必死に我慢していると、また別の事実が頭をよぎった。看板は、まがりなりにも整地された道の脇にある。つまり、このまま観光散策路とやらを行けば覚正村とやらにはたどりつける。人が残っているかどうかはさておき、下山の手助けにはなるはずだ。
岩瀬は看板に注目するのをやめた。看板に向かって右へ行くか、左へ行くか。スマホの光を右、左と移した。と、いきなり人影が自分の左側に現れた。
「うわぁっ!」
仰天したのも束の間、一人の男の子が手を伸ばせば触れられる距離でじっと見つめている。顔といい背丈といい洞窟の壁に描かれた天邪鬼そのもので、角までそっくりだった。
「わーっ!」
スマホを握りしめ、岩瀬は天邪鬼から遠ざかろうと走った。頭痛もアザの痛みも知ったことではない。
走りながらうしろを見ると、天邪鬼はつかず離れず岩瀬についてきていた。徹底的に無言無表情なのがまた余計に不気味だ。
スマホを持ったまま走るということは、明かりがないまま走るということに他ならない。幸か不幸か植林が途切れだして道が次第に広がりだし、月明かりがよりはっきりともたらされるようになってきた。それにつれて、天邪鬼の姿はだんだんと小さくなっていく。
「はぁ……っ……はぁ……っ」
膝に手をつき、岩瀬は息を整えた。こんなに走ったのは高校以来だ。思い返すことで多少は冷静さを取り戻せた。
あんな状況でいきなりでてきたのと、天邪鬼そっくりだったから逃げた。だが、危害を加えてくると断定できる根拠はどこにもない。岩瀬が得体のしれない恐怖にかられただけだ。
なら、相手がここにくるのを待って助けを求めるのか。よほど頓珍漢な人間でない限りは公衆電話のある場所くらい教えてくれるだろう。
そういえば、ここはどこだ。
木造の二階建て民家が十軒ほど集まっている。どれもこれも窓が割れたり雑草に埋もれかかったりしていた。タイヤが潰れて窓ガラスにびっしりコケだかカビだかが生えた車も道際に放置されていた。薬を飲んでないからハッとしたものの、潰れたタイヤは回転できないから問題なかった。
「岩瀬か?」
聞き覚えのある男性の声に、今度こそぎょっとさせられた。声の主を探したが、夜中ということもあり良くわからない。
「薄山だよ」
「薄山!」
まさに地獄で仏というものだ。
「しっ。大声をだすな。すぐ傍に自販機があるだろ? その隣にある家の裏だ。早くこい」
岩瀬は速やかに従った。
「こっちだ」
開いたままの勝手口から、薄山がひょこっと顔をだした。一も二もなかった。
「お前、どうやってここに……」
屋内に入るなり、岩瀬は聞いた。同時に上下左右を見回した。
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