『婚約破棄されたので冷徹公爵と契約結婚したら、徐々に甘くなってきた件』

ひとりさんぽ(一人三歩)

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第二章 ノクターン家と悪徳商人

【第21話:セシリアの“好み”とは何か?】

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「……贈り物、か」

 カイル・フォン・ノクターン公爵は、書斎の机で報告書を読みながら低く呟いた。
 手元の書類の隅には、さりげなく書かれた手引き書があった。
『王宮での良縁の秘訣』――その中の一節に、こう記されている。
『夫婦円満の鍵は、思いやりとサプライズにあり。特に“贈り物”は、愛情表現の基本である』

「……愛情表現とは……」

 椅子の背にもたれ、カイルは目を閉じた。
 契約結婚から始まった二人の関係。
 だが今はもう、「努力する」という言葉で結ばれた、確かな絆がある。
 形式から、ほんとうの夫婦へ――。
 その“努力”の一環として、彼は今、「愛を伝える方法」を考えていた。

(贈り物、か……)

 悩んだ末、カイルは静かに立ち上がり、書棚の最上段に手を伸ばす。
 そこにあったのは――一冊の本。
 背表紙には、金の文字でこう記されている。

 
『恋愛マスターの完璧理論』
 著:ミツギーノ・フラレテーノ

 

 カイルはその本を丁寧に開き、読み進める。

 

「恋愛に必要なのは、理論と実践である」
「贈り物は愛の可視化。物量と高価さが、感情の強度に比例する」
「迷ったら、とにかく高価なものを。次はもっと高価なものを」
「“やりすぎ”こそ、真の愛だ」

 
 だがカイルは、本の内容を一つずつ噛みしめながら、真剣に頷いていた。

 「なるほど……理に適っている。ならば、実践あるのみ、か」

 彼は呼び鈴を鳴らした。
 音もなく現れたのは、副団長にして長年の腹心――ルネ。

 「お呼びでしょうか、公爵閣下」

「……ルネ。ある調査を命じる」

「はっ」

 カイルは重々しく言った。

「セシリアの“好み”を、すべて調べ上げろ」

「……すべて、でございますか」

「紅茶の種類、読んでいる本、好きな動物、色、音楽、果物、服の生地の種類、過去に微笑んだタイミングまで。些細なことでも見逃すな」

 一瞬だけ、ルネの眉がピクリと動いた。
 が、表情は変えずに即座に敬礼する。

「畏まりました。全隊に、極秘命令として通達いたします」
「うむ。対象へ気づかれることは厳禁。必ず成功させよ」

 こうして――

 ノクターン公爵家直属の黒騎士団が、かつてない極秘任務に動員された。
 目的はただひとつ。

 「奥方・セシリア様の“好きなもの”を全力で調べ上げよ」

 翌朝から、屋敷内の空気は一変する。
 廊下の陰、階段の影、使用人部屋――
 どこかしこに、影が潜み、記録を取り、耳を澄ませる姿があった。

「奥方様、紅茶はアールグレイでよろしいでしょうか?」

「ええ……?」

「お砂糖は、二つ……ですね」

「そ、そうですけれど……?」

 セシリアは首を傾げた。
 妙に丁寧すぎる応対。
 まるで――何かを探られているような。

(最近、なんだか視線を感じますわ……)
(……気のせい?)

 最近、なぜだか屋敷の空気が落ち着かない。
 優雅に差し出される紅茶のカップ。用意されたお茶菓子の絶妙なチョイス。ドレスの準備も、身の回りの整え方も――なぜか、いつにも増して完璧すぎる。

「……なんだか、視線を感じますわね……?」

 セシリアはひとり、ティーカップを傾けながら呟いた。
 庭のバラはまさに見頃。白いカーテンがやわらかく揺れる昼下がり。
 だけど、まるで――誰かに見られているような感覚が拭えない。

(……いえ、気のせいですわよね。たぶん)

 その裏で、館内では“ある作戦”が進行していた。

『セシリア・フォン・ノクターンの“好み”全網羅大作戦』

 指揮を執るのは副団長・ルネ。

「奥方様、今朝のお召し物はラベンダー色……好みの系統に違いない」

「昨夜、読書灯が遅くまで灯っていた記録あり。本日は午前遅くまで就寝……つまり夜型の可能性?」

「本棚にあった詩集に挟まれた栞の位置、昨日より2ページ進んでいる。再読の傾向か」

 ……まるで、軍事演習である。
 黒騎士団の精鋭たちは、己の誇りを賭けて“情報収集”に臨んでいた。

 全ては――

 閣下が、“正しく愛を伝える”ために。

 一方、セシリアは館内を歩きながら、ますます深まる違和感に戸惑っていた。

「奥方様、本日のお食事は、先日お気に召された茸のキッシュでございます」

「ええ……ありがとうございます……?」

「ソースはレモンバター風味にしてみました。以前少し酸味がお好きと伺いましたので」

「……それ、わたくし、そんなに詳細に申しましたかしら……?」

(あれ……もしかして、わたくし、何かの……監視対象!?)

 セシリアの心の警戒レベルは徐々に上昇していく。

 一方そのころ――

 カイル・フォン・ノクターンは書斎にて、分厚い報告書を一心に読み込んでいた。

「ほう……“甘味は果物派、特に林檎”か。紅茶はアールグレイ。着用率の高い色はラベンダーからアイボリーの中間色」

「ふむ、猫の絵本を手に取ったという記録あり……癒やし要素、か」

 紫の瞳が、ひときわ鋭く光る。
 その手元には、もちろん例の指南書。

『恋愛マスターの完璧理論』
 著:ミツギーノ・フラレテーノ

 開かれていたのは第5章。

「恋愛は、情報と計画の戦場である」
「相手の好みを知り尽くし、最適な贈り物で包囲せよ」
「予想を超える“豪華さ”こそ、心を撃ち抜く砲弾となる」

 
「……包囲、か。ならばまず――薔薇だな」

 彼は静かに立ち上がった。

「第一便の準備を始めろ」

 このひと言で、騎士団が再び動き出す。

 ──そして、翌朝。

 セシリアが玄関へ呼び出されたそのとき――彼女は人生最大級の驚きと遭遇する。
 目の前に立っていたのは、整列した騎士団員たち。そして――
 一万本の薔薇が積まれた馬車。

 淡いピンク、真紅、純白――色とりどりの薔薇が、まるで祝福の波のように揺れていた。

 「……え?」

 セシリアの声が、かすかに震えた。
 隣にいた騎士が恭しく言う。

「公爵閣下より、“奥方様がお好きと伺った”とのことで、薔薇をお届けに参りました」

(い、言いました……わたくし、言いましたけれども……)
(「バラって素敵ですね」と、たった一度……!?)

 セシリアは、ぐらりと眩暈を覚えながら、顔を上げた。
 その視線の先――使用人が、ふわふわとした白い物体を抱えて現れた。

「……猫?」

 青い瞳、雪のような毛並み。
 名札には、“For Cecilia”の文字が添えられていた。

「癒やしが必要と判断し、閣下がご用意されました。名は、奥方様にお決めいただきたいとのことです」

(……ああ……これは……)

 これはもう、“陰謀”とかじゃなかった。
 愛だ。しかも、全力でズレている。

「……これで第一便、以上でございます」

 恭しく頭を下げる騎士に、セシリアは反射的に頷いた。
 ――だが、その思考は完全に追いついていなかった。
 一万本の薔薇、白猫、そして次々に運び込まれる豪奢な箱たち。
 髪飾りに、指輪、レースの手袋、宝石の散りばめられた靴。
 中には、どう考えても“日常では使わない”と断言できる、金細工のティースプーン100本セットまで。

(ちょっと待ってくださいまし……! これ、冗談ではありませんわよね!?)

 セシリアは思わず玄関先で白猫を抱きしめながら、震える吐息を漏らした。
 その子には“ルーナ”という名前を与えたばかり。
 その青い瞳は、まるで「ご愁傷様」と言っているかのように澄んでいた。

「奥方様、第一便を確かにお届けしました。……第二便は、明朝を予定しております」

「……第二便?」

 セシリアの顔が引きつる。

(つまり……まだあるんですの!?)

 その夜、セシリアは一人、談話室でルーナを膝に抱えながら、溜息をついていた。
 目の前には、山積みになった“贈り物”たち。
 机の上に置かれた、金細工の宝石箱はこれで五つ目。バラの花束に至っては、廊下にまで侵食し始めている。

「……これはもう、薔薇のびっくり箱やぁ。ですわね……」

 でも、それと同時に。
 彼女の心には、ぽつりと浮かぶ疑問があった。

(――なぜ、ここまでしてくれるのかしら)

 言葉にせずとも、態度で伝えようとしてくれているのは分かる。
 カイルは、不器用ながらも“愛”という感情に誠実に向き合おうとしている。
 その“努力”の結果が――このスケールの大きさだったのだ。

(でも……多すぎますわよね!?)

 「閣下がお見えです」と伝えられたのは、そんな混乱の真っ只中だった。



「……受け取ったか?」

 そう問うカイルの声は、いつもと変わらぬ静けさを湛えていた。
 セシリアは立ち上がり、微笑もうとして――やめた。
 笑顔が、うまく作れなかった。

「……はい。すべて」

(ここで、どうリアクションすればいいのか……わかりませんわ!)

「気に入ったか?」

「…………」

 黙り込むセシリアを見て、カイルの眉がほんの僅かに動いた。

「……足りなかったか?」

「い、いえっ! そういうことでは――!」

 慌てて否定すると、彼は静かに目を伏せた。

「……あれほど用意したというのに、お前が困っている顔しか見られなかったのは、私のやり方が拙かったのだろうな」

 セシリアは、思わず唇を噛んだ。
 そうじゃない。そうじゃないのに。
 ただ、想像を遥かに超えていて、追いつけなかっただけで――

「……驚いたんですのよ」

「驚いた?」

「ええ、とても」

「……そうか」

 それ以上、カイルは何も言わなかった。
 けれど、その一言だけで十分だった。
 彼は、彼なりに努力してくれている。
 ただ、その方向が――ちょっとだけ豪快すぎるだけで。

 そのとき、ふと彼の手元に見慣れない一冊の本が目に入った。
 金の装丁、妙に派手なタイトル。

 
『恋愛マスターの完璧理論』
 著:ミツギーノ・フラレテーノ

(……明らかに、怪しい……)
(――努力は、確かに受け取りましたわ)

 でも、さすがに。
 次の“第二便”は、ちょっと対策を考えたほうが良さそうだと、セシリアは心から思った。
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