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かけがえのない人
しおりを挟む*リアム*
「あんたは、酷い男だ。何度殺してやろうと思ったことか」
「リアム。感情に振りまわされてはだめよ」
ミーシャになだめられても、沸きたつ怒りはおさまらない。
「振りまわされているんじゃない。この胸の痛みは、師匠を失ったときからずっと続いている。一時の迷いなどの感情ではない」
彼女は目を見張ったあと、口を噤んだ。
「氷の、皇帝よ。国を治める王ならば、冷酷になれ。国に害をなすものは、すべて排除しろ」
オリバーはゆっくり起きあがると咳きこんだ。その胸ぐらをリアムは掴んだ。
「冷酷になって、あんたを排除しろというのか」
「……そうだ。俺の目的は、潰えた。生き残ったところで、おまえの害にしかならないだろ?」
光りを失った叔父の瞳を見つめる。せつなく胸を締めつけるものを感じ、投げるように手を離した。
右手に氷の剣を作り、オリバーに向ける。
「ミーシャ。邪魔するなよ」
よろめく叔父の肩を蹴り、ふたたび彼を仰向けに倒した。
「無抵抗だな。さっきみたいに、氷のナイフでやり返せよ」
「無理を、言うな」
――息があがり苦しそうだ。だがこの男は油断ならない。リアムは逆手に剣をかまえた。
「あんたのおかげで、大事な人を失うつらさはもう十分理解した。だから、そんなに死にたいなら殺してやる」
――死を、あんたが望むなら。
オリバーは薄く笑い、目を細めた。
「それでいい。それでこそ、氷の皇帝だ」
「その前に答えろ」
叔父の左肩をきつく掴んだ。
「……俺は、あんたにとってなんだ? 感情も抱かない、甥だったのか?」
オリバーはリアムの質問が以外だったらしく目を見開いた。かまわず言葉をぶつけた。
「子どもだった俺は、フルラ国にもぐりこむためだけの、ただの道具だったのか? 親や国に、ただ利用されるだけの、可哀相な子どもだったか?」
『僕、父上よりも、オリバーに褒められたい』
――本心だった。俺はあんたを慕っていた。
「魔女が俺をいじめるようだったら、やっつけてやると言ってくれた」
――寂しくて、不安に思う俺の頭をやさしく撫でてくれた。あんたの広い胸に抱きしめられるのが、好きだった。安心できた。包みこむように握ってくれた手は大きくて、オリバーが父親だったら良かったのにと、何度も思った。
「俺にかけてくれた言葉は、向けてくれた眼差しは、温もりは、全部、嘘だったのか?」
叔父の肩を掴む手が震える。それを誤魔化すために力を入れた。
「なあ、オリバー・クロフォード。答えろ! あんたは、俺のことを……ッ!」
――少しは、好きでいてくれた?
はらりと白い雪がオリバーの頬に落ちる。
裏切られたのが哀しかった。憎らしかった。大切な人を奪われたのが悔しくて、何度も殺意が頭をもたげた。だけど同時に、どこかで信じたいと、なにか理由があるんだと思う感情があった。
――どうしようもない人なのに。俺にとってこの人は、ミーシャの言うとおりオリバーは、……かけがえのない、大切な人だ。
リアムは感情が溢れそうで、ぐっと唇を引き結んだ。その時だった。
「リアム、危ない!」
ミーシャの叫び声と一緒に、氷を割る激しい音が右側から聞こえた。
流氷の結界の氷が隆起し突然割れたかと思うと、額に蒼い魔鉱石を持つ氷の狼が現われ、リアムに向かった飛びかかってきた。大きな口を開け、鋭い牙が眼前にせまる。
咄嗟に狼の口に剣を突き刺した。しかし、狼の勢いは止まらない。前足の尖った爪がリアムの顔や目に襲いかかる。避ける暇がない。あと数センチで目に食いこむという刹那、リアムの視界は塞がれた。
身体が後ろへと傾き押しつけられる。氷を操る一族なのに、リアムの目を塞ぐ大きな手は温かった。
倒れながら耳に届いたものは、自分を心配する声だった。
雪の中へ、背中から沈んでいく。
ぼろぼろで、よれよれだったのに、どこにそんな力を残していたいのか。
視界が開けると、自分を庇うように覆い被さったオリバーの背に、氷の狼の牙と爪が食いこむのが見えた。
「炎の鳥!」
氷の狼の横腹に炎の鳥が体当たりする。狼は吹き飛び、溶けて消えた。
白い空から白銀の雪が舞い降りてくる。
自分の上に覆い被さったまま動かないオリバーを、リアムはぎゅっと抱きしめた。彼の背に手をまわすと、ぬるりとした温かいものが触れた。
「オリバー、どうして……!」
疑問が次々と沸き起こった。
「……せめて、オリバー叔父さんと呼べ……」
オリバーは、リアムを抱きしめかえした。昔のように頭をひと撫ですると、かすれる声で言った。
「おまえを、愛しているから、だ」
脳裏に浮かんだのは、人質としてフルラへ向かう馬車の中で見た光景だった。
フルラ行きはオリバーがいるから決めたと伝えると、オリバーは照れくさそうに、でも、嬉しそうに笑った。
「ふ、……ざけるな!」
――土壇場で、庇うなんてずるい!
リアムはオリバーを自分の上から引き剥がすと、うつ伏せに寝かせた。赤いしみが広がっていく、背中を手で抑えて圧迫する。
「オリバー、生きろ! 死んだら、一生許さない!」
「一生……それは、いいな」
月明かりのせいでわかる。オリバーから流れ落ちた血で、白い雪が赤く染まっていく。
「リアム……」
「うるさい。しゃべるな、黙ってろ!」
「……泣くなよ。そしたら……褒めてやる」
ろうそくの火が風でふっと消えるように、オリバーは意識を失った。
白狼が、月に向かって遠吠えをする。結界に誰かが侵入した合図だ。
「カルディア兵か? 今、それどころじゃない……!」
「リアム、変わって。止血は私がする」
ミーシャは手の上に炎の鳥を呼んだ。
「出血が酷い。このままではショック死する。ひとまず焼灼止血法を試してみる」
「頼む。ただ、オリバーは炎への耐性がない」
「わかってるわ。任せて」
ミーシャはオリバーの背に、炎の鳥を置いた。
「陛下――! やっと、見つけた……」
「……ジーンと、イライジャ?」
暗い雪原を馬で駆けてくるのは信を置く二人だった。オリバーはミーシャに任せ、馬で駆け寄ってきた臣下を迎える。二人は馬から降りると、リアムの前で膝をついた。
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