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瞳に美しい世界を映して
しおりを挟む魔力を使ったばかりで、身体は冷たくなっているはずなのに、彼の唇は温かくて柔らかい。
漏れる吐息が熱い。口づけは情欲をたきつけるように、ゆっくりと、深くなっていく。
「……陛下、待って!」
顔を横へ逸らし、手を差しこんで彼の口元を押さえた。するとリアムはミーシャの手を掴み、指先にキスを落としはじめた。
氷の皇帝なのに、触れたところから熱で溶かされてしまいそうだ。
「待って。リ……リアムさま!」
「さまはいらない。ただ、リアムと呼んで」
「……リアム、お願い。ちょっと離れて」
「なぜ?」
リアムは明らかに不満顔で言った。
「なぜって、私の気持ちがついていかないからです!」
必死さが伝わったのか、リアムはぴたりと止まった。そっとミーシャを離し、自分の口元を手で覆う。顔を逸らすと、「ごめん」と小さな声で謝った。
「ミーシャが愛しくて、暴走した」
愛しいのはこっちだ。瞳を艶っぽく潤ましながら言う彼を今すぐ抱きしめたくなったが、ぐっと堪える。
「そういうこと、さらっと言われると私は戸惑います」
リアムは深く息を吐くと、少しだけ後ろにさがった。距離を取られると、それはそれで寂しさがこみあげる。
――本当、恋って、たちが悪い……。
感情が落ち着くのを待ってから切り出そうとしていたら、先にリアムが口を開いた。
「今朝ナタリーに、思いを打ち明けられたが、気持ちには応えられないと伝えた」
ナタリー本人から聞いてはいたが、リアムの口から報告されて、正直嬉しくなった。彼女の気持ちを思うと胸が痛いはずなのに、それとは別でどうしても緩んでしまう頬を、手で押さえる。
「みんなが、ミーシャと幸せになれという」
「……私もです」
「だからといって、流されているわけじゃないと、わかって欲しい」
リアムの銀色の髪が、雪まじりの風で揺れる。向けられている真剣な瞳に吸い寄せられるように、ミーシャは一歩、彼に近づいた。
「大丈夫。あなたは流されるような人じゃないって、ちゃんとわかっています」
にこりとほほえみながら、手を伸ばした。彼の冷たい頬を両手で包みこむ。
「出会ったあの夜、きみは、俺に幸せになれと言った」
ミーシャは、ゆっくりと頷いた。
「陛下……リアムには、誰よりも幸せになって欲しいです」
リアムはミーシャの手を掴むと頬からそっと離した。彼の大きな手の中に、大事そうに包みこまれた。
「正直、この感情に戸惑っている。今まで、自分の幸せなど見向きもしなかったから」
「私はずっと、自分は幸せになってはいけないと、思っていました」
「……俺も、同じことを思っていた」
目が合って、ふっと笑い合った。
「支えてくれたみんなや、リアムが教えてくれたんです。自分を犠牲にすることは間違っている。大切な人の犠牲の上に成り立つ幸せの影には、必ず、泣いている誰かがいる。私が幸せになれば、みんなも幸せになれるんだって」
エレノアや、ライリー、ユナやサシャ、そしてナタリーの顔が浮かんだ。
自分さえがまんすればいいと思っていた。だけどそれでは彼女たちを悲しませるだけ。
みんなを幸せにするには、まず、自分が幸せを掴むこと。
リアムはミーシャの手を強く握った。
「あの月の夜。森の中からきみは炎の鳥と共に現われた。敵に怯むことなく立ち向かい、会ったばかりの男を一生懸命看病してくれた。頬に煤をつけたミーシャは力強く、凜としていて、炎の煌めきのようにとても美しかった」
ミーシャは目を見開いた。まばたきを繰りかえしたあと、口を開いた。
「月がきれいだったあの夜。炎の鳥が私を、あなたのもとへ導いてくれました。あなたは、会ったばかりなのに、自分を犠牲にして私を守ろうとしてくれた。とてもかっこよかったです」
リアムを見つめてほほえむと、彼は目を細め、顔を近づけてきた。そっと、左の頬に触れるだけのキスをした。
「俺は、あのとき恋に落ちた。出会ってからずっと、ミーシャのことが好きだ」
嬉しくて、心が震えた。一度は抑えた愛しさが溢れて苦しい。気持ちが昂ぶって、涙で視界がにじむ。
一度、深く息を吸ってから伝えた。
「私もです。あの夜、リアムに会ったときから私は、あなたに恋をした。好きです。ずっと、これからも、この先も……!」
リアムはふっと嬉しそうに破顔すると、手を解いた。
「抱きしめてもいい?」
その問いに応える代わりに、ミーシャは彼の胸に飛びこんだ。ぎゅっと抱きしめられて、涙が次々と零れていく。
リアムが愛しい。想い伝わるように、彼を強く抱きしめ返した。
彼はミーシャの頭をやさしく撫でると、固い声で言った。
「今はカルディア国やオリバーの件、自分の病について、問題が山積している。だけど約束する。すべて片付けて、ミーシャを守る。俺と一緒に、幸せになる未来について、考えてもらえないだろうか?」
とくとくと胸の鼓動が喜びを謳っている。自分が望むことを相手も望んでくれている。なんて、尊いのだろう。このままなにもかも委ねてしまいたい。
そう思ったが、ミーシャはまだ、彼に伝えていないことがある。ぐっと勇気を溜めてから、話しかけた。
「リアム。実は私、あなたに話さないといけないことがあります」
彼は「なに?」とやさしく聞いてくれた。
胸がばくばくと暴れはじめる。ゆっくり呼吸を繰りかえして、心を整える。決意を固めてから顔をあげた。
見あげたミーシャの瞳に、美しい世界が飛びこんできた。
「……見て。あれって、オーロラだよね?」
リアムも空を見あげた。
「オーロラも、初めて?」
「はい……初めてです。こんなに、きれいだなんて……!」
息を飲む美しさだった。
満天の星空と、揺らめく光のカーテン。赤や紫、緑へと輝きながら流れるように色を変えていく。
空のアートにミーシャは一瞬で心奪われた。
「私、オーロラをずっと見てみたかったの。リアムが雪を止め、雲を払ってくれたおかげですね。……すごく神秘的。……すてきな景色を見せてくれてありがとう!」
お礼を伝えると、リアムは子どものころのように、満面の笑顔をミーシャに見せた。
「それで、話しって?」
しばらく空の天体ショーを眺めたあと、リアムはミーシャに聞いた。もう一度呼吸を整え、身体を彼に向ける。
「実は私……」
意を決めて口を開いた刹那、狼の遠吠えが夜空に轟いた。
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