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恋は人を狂わせる
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ミーシャと朝の散歩をすませたリアムは、少数精鋭で軍会議を開き、派兵の準備をすすめた。
いっぺんにすべては決まらず、午後は執務室にこもり、通常業務をこなした。
「陛下、今朝はミーシャさまと一緒でしたでしょう? 仲のいいようすを見かけたと、侍女たちが騒いでおりました」
書類の山を一つ片付けたところでジーンが話しかけてきた。
「そうか」
リアムは書類から視線をあげずに答えた。が、集中力が切れたジーンは矢継ぎ早に「実際にどうなんですか?」「まんざらでもないですよね?」「朝の散歩、日課にされては?」「気になって仕事がすすみませんー」と続けた。
さすがに気が散って、視線をあげた。
「答えたら仕事に集中するか?」
「はい、それはもちろん」
「最近、ミーシャから目が離せない」
リアムが書類を山に戻し、答えるとジーンは目を輝かせた。
「陛下。目が離せないとは具体的に?」
「ミーシャの仕草がいちいち愛しくて、彼女に触れていたくなる」
「へ、へ、へ、へい、陛下!」
「なんだ、その呼び方」
「それを、なんと言うか知っていますか『こ・い』です!」
ジーンは暑苦しい顔でリアムに近寄った。
「こい?」
「そうです」
リアムは顎に手を置いて、しばらく考えたあと口を開いた。
「わかった。あれだろ……今日は霧が、」
「濃い。違う!」
「では、結果がわかっていてわざとする行為のことだ」
「それは、故意ですね、それも違います!」
「ジーン、こっちに来い」
「御意。て、その来いでもありません! 誰かを好きになる『恋』です!」
ジーンはふざけるのもたいがいにしてください。と、目くじらを立てて言った。
少しからかいすぎたと、リアムは苦笑い浮かべながら席を立ち、窓の外を見た。
「恋、ね。もし、これが恋という感情なら、早く消さないとな」
「……はい?」
ジーンは人に見せられないくらい歪んだ顔になったが、リアムは無視した。
「恋は人を狂わせる。自分勝手で、周りが見えなくなる。よくない状態だ」
「それは、人によりけりだと思いますよ。その人のために、すごい力が出るときもあります。すばらしい感情です」
胸に手を当て、熱弁するジーンに冷たい視線を送ってあげた。
「ミーシャのことは、この命尽きるまで守ると決めている。でもそこに、俺の感情はいらない」
「いらないって。陛下に愛されて、喜ばない人なんていないです」
「では俺が死んだあとは?」
リアムはジーンの言葉をさえぎると続けた。
「残された者には長い哀しみが待っている。それに耐えられずに自ら命を絶ったのが、我が母だ」
母は先々帝のルイス陛下を心から愛していた。二人の出会いは政略結婚だが、仲睦まじい姿をリアムは幼少期に何度か見かけた。
ルイスの凍化を食い止めようと必死で、息子たちに気が回らないほどだった。先々帝が身罷ったときは憔悴しきって、見る間に痩せ細り、とても見ていらえなかった。
「大事な人を守れず、失う哀しみはとても理解できる。もう、味わいたくないし、誰かに同じ思いを味わわせたくもない」
「守れなかったのは過去の話です。これから守っていけばいいんです」
「俺のほうが先に死ぬのに、どうやって守る? 皇帝という立場で彼女を縛りつけるのは簡単だ。だが、そのあと悲しい想いをさせてしまう。違うか?」
感情の発露で、室内に雪が舞う。
「師匠にもらった命だ。自らは断たない。だが、延命しようとも思わない。これまでずっと、人々の幸せを願ってきた。クレアの意思を引き継いだからこそだ。みんなが幸せなら、それで十分だ」
ジーンは、「お言葉ですが」と前置きをすると、強い眼差しをリアムに向けた。
「みんなの中に、僕は含まれません」
「どうして? 遠慮せず含め」
「僕の幸せは、陛下が幸せになってはじめて得られるからです」
リアムは目を見張った。
「わかりますか? 陛下が幸せにならないと、僕はちっとも幸せじゃないってことです。だからどうぞ、陛下はミーシャさまと幸せになってください」
「な……」
「なぜとか聞かないでくださいよ。私が陛下をお慕いしていることはご存じですよね」
ジーンはにこりと笑った。
「幼少期からあなたさまの傍にいるですよ。つらい目にたくさんあってきたことを知っています。それでも人のために動く人だとわかっているんです。陛下が幸せになったって、誰も文句など言いません。恋で狂う? 自分勝手で周りが見えなくなる? 大いにけっこう。前にも言ったと思いますが、親友として僕はリアム陛下の幸せを望みます」
ジーンの想いが、胸に染み入るようだった。
親友で一番の理解者である彼がくれた言葉を、リアムはしばらく考えた。
「なんの話をしているの?」
ひょこっと顔を覗かせたのは、ノアだった。
「ノア皇子! どうしてここへ?」
「ぼく、遊びに来たらだめだった?」
ジーンの質問に、ノアは遠慮ぎみに訊いた。
「ノアはいつ来てもいいよ」
リアムは小さな皇子に近づくと、前屈みになって彼の額にキスを落とした。よしよしと頭をやさしく撫でる。
「ミーシャのことを話していた」
ノアはきらきらと目を輝かせながらリアムを見た。
「陛下のお嫁さんだね、ぼく、ミーシャさま大好き! すごくやさしいんだ。庭で会うとね、遊んでくれるんだ。それにいっぱい褒めてくれる!」
「そうか」
「あ、いけない。今日はぼく、お客さんをお連れしたんだった」
ノアは、廊下に顔をだして「入っておいで」と声をかけた。ノアに手を引かれあらわれたのは、ナタリーだった。
いっぺんにすべては決まらず、午後は執務室にこもり、通常業務をこなした。
「陛下、今朝はミーシャさまと一緒でしたでしょう? 仲のいいようすを見かけたと、侍女たちが騒いでおりました」
書類の山を一つ片付けたところでジーンが話しかけてきた。
「そうか」
リアムは書類から視線をあげずに答えた。が、集中力が切れたジーンは矢継ぎ早に「実際にどうなんですか?」「まんざらでもないですよね?」「朝の散歩、日課にされては?」「気になって仕事がすすみませんー」と続けた。
さすがに気が散って、視線をあげた。
「答えたら仕事に集中するか?」
「はい、それはもちろん」
「最近、ミーシャから目が離せない」
リアムが書類を山に戻し、答えるとジーンは目を輝かせた。
「陛下。目が離せないとは具体的に?」
「ミーシャの仕草がいちいち愛しくて、彼女に触れていたくなる」
「へ、へ、へ、へい、陛下!」
「なんだ、その呼び方」
「それを、なんと言うか知っていますか『こ・い』です!」
ジーンは暑苦しい顔でリアムに近寄った。
「こい?」
「そうです」
リアムは顎に手を置いて、しばらく考えたあと口を開いた。
「わかった。あれだろ……今日は霧が、」
「濃い。違う!」
「では、結果がわかっていてわざとする行為のことだ」
「それは、故意ですね、それも違います!」
「ジーン、こっちに来い」
「御意。て、その来いでもありません! 誰かを好きになる『恋』です!」
ジーンはふざけるのもたいがいにしてください。と、目くじらを立てて言った。
少しからかいすぎたと、リアムは苦笑い浮かべながら席を立ち、窓の外を見た。
「恋、ね。もし、これが恋という感情なら、早く消さないとな」
「……はい?」
ジーンは人に見せられないくらい歪んだ顔になったが、リアムは無視した。
「恋は人を狂わせる。自分勝手で、周りが見えなくなる。よくない状態だ」
「それは、人によりけりだと思いますよ。その人のために、すごい力が出るときもあります。すばらしい感情です」
胸に手を当て、熱弁するジーンに冷たい視線を送ってあげた。
「ミーシャのことは、この命尽きるまで守ると決めている。でもそこに、俺の感情はいらない」
「いらないって。陛下に愛されて、喜ばない人なんていないです」
「では俺が死んだあとは?」
リアムはジーンの言葉をさえぎると続けた。
「残された者には長い哀しみが待っている。それに耐えられずに自ら命を絶ったのが、我が母だ」
母は先々帝のルイス陛下を心から愛していた。二人の出会いは政略結婚だが、仲睦まじい姿をリアムは幼少期に何度か見かけた。
ルイスの凍化を食い止めようと必死で、息子たちに気が回らないほどだった。先々帝が身罷ったときは憔悴しきって、見る間に痩せ細り、とても見ていらえなかった。
「大事な人を守れず、失う哀しみはとても理解できる。もう、味わいたくないし、誰かに同じ思いを味わわせたくもない」
「守れなかったのは過去の話です。これから守っていけばいいんです」
「俺のほうが先に死ぬのに、どうやって守る? 皇帝という立場で彼女を縛りつけるのは簡単だ。だが、そのあと悲しい想いをさせてしまう。違うか?」
感情の発露で、室内に雪が舞う。
「師匠にもらった命だ。自らは断たない。だが、延命しようとも思わない。これまでずっと、人々の幸せを願ってきた。クレアの意思を引き継いだからこそだ。みんなが幸せなら、それで十分だ」
ジーンは、「お言葉ですが」と前置きをすると、強い眼差しをリアムに向けた。
「みんなの中に、僕は含まれません」
「どうして? 遠慮せず含め」
「僕の幸せは、陛下が幸せになってはじめて得られるからです」
リアムは目を見張った。
「わかりますか? 陛下が幸せにならないと、僕はちっとも幸せじゃないってことです。だからどうぞ、陛下はミーシャさまと幸せになってください」
「な……」
「なぜとか聞かないでくださいよ。私が陛下をお慕いしていることはご存じですよね」
ジーンはにこりと笑った。
「幼少期からあなたさまの傍にいるですよ。つらい目にたくさんあってきたことを知っています。それでも人のために動く人だとわかっているんです。陛下が幸せになったって、誰も文句など言いません。恋で狂う? 自分勝手で周りが見えなくなる? 大いにけっこう。前にも言ったと思いますが、親友として僕はリアム陛下の幸せを望みます」
ジーンの想いが、胸に染み入るようだった。
親友で一番の理解者である彼がくれた言葉を、リアムはしばらく考えた。
「なんの話をしているの?」
ひょこっと顔を覗かせたのは、ノアだった。
「ノア皇子! どうしてここへ?」
「ぼく、遊びに来たらだめだった?」
ジーンの質問に、ノアは遠慮ぎみに訊いた。
「ノアはいつ来てもいいよ」
リアムは小さな皇子に近づくと、前屈みになって彼の額にキスを落とした。よしよしと頭をやさしく撫でる。
「ミーシャのことを話していた」
ノアはきらきらと目を輝かせながらリアムを見た。
「陛下のお嫁さんだね、ぼく、ミーシャさま大好き! すごくやさしいんだ。庭で会うとね、遊んでくれるんだ。それにいっぱい褒めてくれる!」
「そうか」
「あ、いけない。今日はぼく、お客さんをお連れしたんだった」
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