炎の魔女と氷の皇帝*転生したら弟子と契約結婚をすることになりました*

碧空宇未(あおぞら うみ)

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溶けて消える幻

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 *ミーシャ*

 ――時が来たら、来たとき、か。どうしたらリアムは、治療に魔鉱石を使ってくれるだろう。

 リアムにスノードームをもらった翌日、ミーシャは朝に続き、昼も薬草採取に出かけた。
 回廊を進んでいるときに浮かんだのは、昨夜の彼とのやり取りだ。

 身体に触れて、持っていないことを確かめろなんて、言われるとは思わなかった。
 直接触れたリアムの胸のなめらかな肌を思い出してしまい、顔が熱くなった。

 朝からずっとこの調子だ。今できることを考えようと、邪念を追い払うために頭を横に振る。

 いつも探索している庭に着くと、さっそく雪かきからはじめた。

「ミーシャさま、除雪は本気だったんですね」
「ええ。見えている範囲の草花はすべて確認してしまったから」

 ミーシャは、雪の下に眠っている草があるのか、確認しておきたかった。

「除雪はこの一部だけですよね?」
「いいえ、庭全部よ」

 にこりと笑いかけると、ライリーは、除雪用のスコップを持ったまま膝から崩れ落ちた。

「ミーシャさまは、悪い魔女ではなく、鬼ですわ……」
「あら、失礼ね」
「手伝わせていただきます」

 声をかけてきたのは、イライジャだった。

「女性だけで雪かきをしていたら、いつまでたっても地面など見えません」
「公爵子息さまに、雪かきなんてさせられません」

 彼の仕事は護衛と監視のはず。おそれ多くて断ったが、
「あなたも公爵令嬢では? しかも陛下の婚約者さまですよね?」と、言い返されてしまった。

 ――彼に手伝ってもらうほうが速い。

「イライジャさま、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 頭をさげてお礼を伝える。ライリーは「イライジャ卿、おやさしい……」と、涙を浮かべて喜んだ。
 雪に慣れている彼の雪かきは手際がよく、とてもはかどった。が、しかし。

「……ここも氷床ね。土の地面はほとんどない」

 やわらかい雪の下からは、厚い氷の塊が出てきた。

「グレシャー帝国には陛下の力のおかげで短い春と夏がありますが、そのあいだも氷の宮殿の雪と氷だけは溶けません。寒さに弱い草花は、育つ余裕がないのでしょう」
 
 ユナの説明にミーシャは「そう」と、弱い声で返した。

「でも、ビアンカ皇妃の宮殿にはテントウムシがいました」
「土がまったくないというわけではありません」

 イライジャが雪かきをしながら答えてくれた。

「とりあえず、掘るしかないわね」

 ミーシャもまた作業に戻ろうとしたら、突然サシャが「ミーシャさま、あそこ!」と声を張った。

 彼女が指を差した方を見る。そこは、リアムの執務室だった。
 二階のバルコニーに、リアムとナタリーの姿があった。彼女を見かけるのは、披露目パーティーいらいだ。

「お声、届くかな」
 
 手をあげて声をかけようとしたら、ミーシャの前にイライジャが立ち塞がった。

「ミーシャさま。もうよろしいでしょう」
「……いえ、除雪はまだ途中です」

 イライジャは一度、バルコニーを仰ぎ見ると、再びミーシャに向き直る。ユナやサシャに聞こえないように顔を近づけると、低い声で言った。

「陛下の治療はもう、気が済んだでしょうという意味です。あなたではどうすることもできない。諦めて、早くフルラ国へ帰ってください」

 冷たい瞳と声に、胸がぎゅっと締め付けられて痛んだ。

「私と陛下は今、白い結婚期間です。途中で帰れば、和睦にひびが入る。帰るわけにはいきません」
「陛下は、あなたさまが望めばすぐに帰す段取りを整えております。もちろん、平和的にです。国同士の軋轢あつれきが生じる心配はございません」
「ですが、……」
「あなたはクレア師匠を思い出させ、過去に縛りつける。陛下の傍にいるべきじゃない」

 まるでひょうに降られているみたいだった。次々と浴びせられた言葉に、胸の痛みが強くなっていく。それを悟られないように、ミーシャは顔に笑みを貼りつける。

「イライジャさま。ご心配には及びません。私こそ、彼を過去から解き放って差しあげたいと思っております」

「そうですか? 私はあなたさまの護衛として、幾日か仕えさせていただきました。侍女含め、少々浮かれているようにお見受けいたします」

 言葉の刃が返ってきて、ミーシャはその場から動けなくなった。

「陛下は恋愛に興味がなく、本来、女性を口説くようなかたではありません。では、なぜパーティーなどの公衆の面前で、ミーシさまを寵姫と言ったのか、おわかりになりますか?」

「魔女の私をおそれるな、危害を加えるな。という意思表示。私を、心配してのことです」
 
 イライジャは頷いた。

「陛下から寵愛を受けている者に、誰も手を出せない。政略結婚で、今はミーシャさまが陛下の妃ですが、本来ならナタリーさまこそふさわしい。白い結婚期間が終わり、陛下に必要とされなくなったとき、つらいのはあなたさま自身です」

 ミーシャは一度、冷たい空気を深く吸った。手をぎゅっと握ると、顔をあげた。

「イライジャさまの仰るとおりです。陛下にはナタリーさまがお似合いです。私は、もとより陛下の特別な存在になるつもりはありません」

 そもそも、今のミーシャは魔力も少ない小娘。朱鷺色ときいろの髪はよく褒められ、気に入られているがそれだけ。いくらきれいに着飾ろうと、リアムの目に留まることはない。

「本物の寵姫になるつもりがないのなら、けっこうです。陛下の言葉は、あなたを守るためのもの。そこに、気持ちがあるわけではないのですから」

 リアムとの関係は仮初め。彼の寵姫発言は、『魔女の評判をよくする』と、契約を交わしたから。だけど……。

「陛下の言葉は、私を守るためのものですが、そこに気持ちが、まったくないとは思いません」

 ミーシャは姿勢を正すとイライジャをまっすぐ見つめた。

「陛下は誰よりもやさしい。自分のことは後まわしにして民や私のことを考えてくださっている。だからこそ、あの人が私を必要としてくれるのなら、全力で応えたいと思っています」

 傍にいてくれたらそれでいいと、リアムは言った。彼の放つ言葉に偽りなどあるはずがない。

 イライジャは目を見開いていた。視線を泳がせてからミーシャを見つめた。

「……傷つくことになっても知りませんよ」
「覚悟の上です」
「陛下を、万が一傷つけるようなことがあれば、私はあなたを許しません」
「心に留めておきます」

  にこりとほほえむと、彼に背を向けた。

「イライジャさま。もうすぐ日が暮れます。雪かきを急ぎましょう」

 しゃがんで、震える手でそっと、雪に触れた。

 ――冷たい。

 リアムは心にもないことは口にしたり、人を騙したり、利用するために嘘をついたりしない。
 まっすぐな人だと知っているからこそ、ミーシャは、もらった甘い言葉に動揺した。

 ただ、彼からもらった言葉は、雪結晶のようなもので、美しいが儚い。いずれ溶けて消える幻だ。

 ――それでいい。彼の胸にも自分の胸にも、想いは残してはだめだから。

 下を向いたまま雪を手でかき分ける。
 顔をあげて、もう一度バルコニーを見る勇気は、ミーシャにはなかった。
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