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魔女の薬膳スープ
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侍女を説得したミーシャはなんとか、普通の寝間着を用意してもらった。今日は折れてくれたが、今後も彼女たちと同じ攻防を繰りかえすのかと思うと頭が痛い。
「令嬢、この匂いはなんだ」
暖炉の前で鍋を温めていると、リアムが顔をしかめながら部屋に入ってきた。
「そろそろ陛下が戻られるかなと思って、薬草スープを温めて、お待ちしておりました」
ミーシャは鍋を持ったままお辞儀をした。鋳鉄の鍋敷きの上に置いてから、リアムを椅子に案内する。
「陛下、お疲れさまです。先日申しあげたと思いますが、氷の王である陛下は本来なら温める行為は逆効果。ですが、今は凍化病の治療中ですので、薬草で身体の代謝を高めてみてはいかがかと思いまして」
「つまり、この赤黒い色のスープは、薬草のごった煮ということか」
「まがまがしい色をしておりますが、身体に良いものを入れているだけです」
にこりと笑みを添えながら、カップに薬草スープをそそぐ。
「さっそく飲んでみますか? 私が先に飲んで毒味をしますので、ご安心を」
「いや、毒味の必要はない」
リアムはカップをミーシャの手から奪うと、呷るようにして飲んだ。
「陛下。スープは熱いですよ」
「……たしかに、熱い」
口を手で覆い、リアムは顔を横に向けた。あわてて彼の顔を覗きこむ。
「火傷されましたか?」
「大丈夫」
リアムはしかめ面のまま、今度はゆっくりとスープを飲みはじめた。
「陛下、どうですか? 身体がぽかぽかしてきませんか?」
身体を温めるショウガや鷹の爪など、いろんなものを入れている。
リアムはミーシャの提案する治療に律儀に協力してくれる。だが、どれも対処療法で根本的な改善にはほど遠い。
「この薬草スープ、とても効果がありそうだ」
空になったカップを返しながらリアムはほほえんでいるが、触れた手は冷たいままだった。
ミーシャに心配かけないよう平気を装っているみたいだが、彼から漏れだす冷気は隠しきれていない。
「日中、イライジャさまに届けてもらった懐炉はいかがでしたか?」
「温かくて、よかった。今はもう、冷めてしまったが」
リアムは懐から布で包んだ懐炉を出してミーシャに渡した。触れてみると冷たくなっていた。
侍女たちに持たせた懐炉はまだ温かさを保っている。一般の人とは違い、氷の皇帝では懐炉の持続も短いようだ。
――完治はほど遠い。このままでは、リアムの寿命は確実に削られていく。
近い未来、彼は氷の像のように固まって息を止めるだろう。かつての愛弟子を失いたくない。カップをぎゅっと握りながらミーシャは口を開いた。
「陛下、薬草スープよりも効果がある治療方法を、試してみませんか?」
「聞かせててくれ」
「魔鉱石です」
リアムの表情が冷たく固まった。
「クレアが発明した魔鉱石が、治療に役にたつでしょう」
「魔鉱石は、十六年前の戦いですべて燃えた。……きみが持つそれ以外は」
ミーシャはブレスレットをしている自分の手首を押さえた。
「陛下は、お気づきだったんですね」
「もちろん。だが、試作品か失敗作かなんかだろ? 魔力が弱い」
「製作途中の物、つまり未完品です。私はこれがあるおかげで、小さな火と、炎の鳥を操れます。故意に隠していたわけではありません」
「大丈夫。わかっているよ」
リアムは危険がないと判断し、黙っていたという。
「それを、俺にくれるというのか?」
「いえ、違います。これは、陛下の治療に不向きでしょう」
未完品とはいえ、このブレスレットと炎の鳥が傍にいなければ、ミーシャは魔力不足で動けなくなる。手放すことはできない。
「私が提案しているのは完成品のクレア魔鉱石です」
リアムの反応を見逃さないように、じっと見つめながら伝えた。しかし、彼の表情は揺るがなかった。
「クレア魔鉱石はあの日、師匠がすべて燃やした。もうこの世にはない」
「……そうですか。残念です」
それが嘘だということを、クレアの生まれ変わりのミーシャは知っている。
リアムが教えてくれないのは想定していた。
魔鉱石は力を増やす道具。第三者の手に渡り、オリバーのように研究されたり悪用されないためには、「存在しない」のが一番いいからだ。
「魔鉱石があれば、そこに炎の鳥を宿せる。完治はできなくても、陛下が凍えることはなくなると思ったんですが、ないのでしたらしかたありませんね」
ミーシャの正体はクレアです。と、彼に打ち明ければ、魔鉱石を使った治療が出来るかもしれない。けれどその代わりに、今の関係は終わり、以前の師弟関係に戻ってしまう。
――春が来たらこの関係も終わり。とはいかなくなる。
故郷に帰ったら、これまでどおりひっそりと、人々に償う日々を送りたい。
そもそも、『クレア』が陛下の傍にいると世間に知られれば、彼の立場が危うくなる。
悪い魔女を復活させた愚帝だと思われ、反逆にあうかもしれない。
元師匠として、弟子に余計な負担やリスクを負わせたくない。正体は知られずに、病の進行を止めるべきだ。
――もっと、信頼してもらわなくちゃ。
『ミーシャ』として、炎の鳥を魔鉱石に宿し身につける、対処療法を試そうと、説得を続けるしかない。
「わっ!」
考え事をしていると突然、窓が強く揺れた。
雪が混じった風が閉じられた窓をこじ開けようとするみたいに、強く吹きつけている。
部屋の灯りも、暖炉の火も同時に消えて、まっ暗になった。
ミーシャはあわてて手を高くかざし、炎の鳥を呼んだ。消えてしまった明かりを灯すために、順番に燭台に飛び移ってもらう。
「陛下、大丈夫ですか」
その場にしゃがみ込んだリアムの顔には霜が降りはじめていた。
「吹雪は陛下が? 凍化病が進行したんですか?」
「……流氷の結界が、敵を捉えた」
ミーシャは目を見開いて固まった。
結界が作動したということはつまり、敵意ある者が侵入しようとしたということだ。
リアムは立ちあがると、部屋を飛び出した。
「陛下! そんな身体でどこへ?」
「きみはここにいて」
険しい顔で彼は走って行ってしまった。
「どうしよう。なにかあったんだわ」
部屋の中へ戻ると、炎の鳥を呼べるだけ呼んだ。厚手の外套を羽織り、彼の外套を手にすると、急いでリアムのあとを追った。
「令嬢、この匂いはなんだ」
暖炉の前で鍋を温めていると、リアムが顔をしかめながら部屋に入ってきた。
「そろそろ陛下が戻られるかなと思って、薬草スープを温めて、お待ちしておりました」
ミーシャは鍋を持ったままお辞儀をした。鋳鉄の鍋敷きの上に置いてから、リアムを椅子に案内する。
「陛下、お疲れさまです。先日申しあげたと思いますが、氷の王である陛下は本来なら温める行為は逆効果。ですが、今は凍化病の治療中ですので、薬草で身体の代謝を高めてみてはいかがかと思いまして」
「つまり、この赤黒い色のスープは、薬草のごった煮ということか」
「まがまがしい色をしておりますが、身体に良いものを入れているだけです」
にこりと笑みを添えながら、カップに薬草スープをそそぐ。
「さっそく飲んでみますか? 私が先に飲んで毒味をしますので、ご安心を」
「いや、毒味の必要はない」
リアムはカップをミーシャの手から奪うと、呷るようにして飲んだ。
「陛下。スープは熱いですよ」
「……たしかに、熱い」
口を手で覆い、リアムは顔を横に向けた。あわてて彼の顔を覗きこむ。
「火傷されましたか?」
「大丈夫」
リアムはしかめ面のまま、今度はゆっくりとスープを飲みはじめた。
「陛下、どうですか? 身体がぽかぽかしてきませんか?」
身体を温めるショウガや鷹の爪など、いろんなものを入れている。
リアムはミーシャの提案する治療に律儀に協力してくれる。だが、どれも対処療法で根本的な改善にはほど遠い。
「この薬草スープ、とても効果がありそうだ」
空になったカップを返しながらリアムはほほえんでいるが、触れた手は冷たいままだった。
ミーシャに心配かけないよう平気を装っているみたいだが、彼から漏れだす冷気は隠しきれていない。
「日中、イライジャさまに届けてもらった懐炉はいかがでしたか?」
「温かくて、よかった。今はもう、冷めてしまったが」
リアムは懐から布で包んだ懐炉を出してミーシャに渡した。触れてみると冷たくなっていた。
侍女たちに持たせた懐炉はまだ温かさを保っている。一般の人とは違い、氷の皇帝では懐炉の持続も短いようだ。
――完治はほど遠い。このままでは、リアムの寿命は確実に削られていく。
近い未来、彼は氷の像のように固まって息を止めるだろう。かつての愛弟子を失いたくない。カップをぎゅっと握りながらミーシャは口を開いた。
「陛下、薬草スープよりも効果がある治療方法を、試してみませんか?」
「聞かせててくれ」
「魔鉱石です」
リアムの表情が冷たく固まった。
「クレアが発明した魔鉱石が、治療に役にたつでしょう」
「魔鉱石は、十六年前の戦いですべて燃えた。……きみが持つそれ以外は」
ミーシャはブレスレットをしている自分の手首を押さえた。
「陛下は、お気づきだったんですね」
「もちろん。だが、試作品か失敗作かなんかだろ? 魔力が弱い」
「製作途中の物、つまり未完品です。私はこれがあるおかげで、小さな火と、炎の鳥を操れます。故意に隠していたわけではありません」
「大丈夫。わかっているよ」
リアムは危険がないと判断し、黙っていたという。
「それを、俺にくれるというのか?」
「いえ、違います。これは、陛下の治療に不向きでしょう」
未完品とはいえ、このブレスレットと炎の鳥が傍にいなければ、ミーシャは魔力不足で動けなくなる。手放すことはできない。
「私が提案しているのは完成品のクレア魔鉱石です」
リアムの反応を見逃さないように、じっと見つめながら伝えた。しかし、彼の表情は揺るがなかった。
「クレア魔鉱石はあの日、師匠がすべて燃やした。もうこの世にはない」
「……そうですか。残念です」
それが嘘だということを、クレアの生まれ変わりのミーシャは知っている。
リアムが教えてくれないのは想定していた。
魔鉱石は力を増やす道具。第三者の手に渡り、オリバーのように研究されたり悪用されないためには、「存在しない」のが一番いいからだ。
「魔鉱石があれば、そこに炎の鳥を宿せる。完治はできなくても、陛下が凍えることはなくなると思ったんですが、ないのでしたらしかたありませんね」
ミーシャの正体はクレアです。と、彼に打ち明ければ、魔鉱石を使った治療が出来るかもしれない。けれどその代わりに、今の関係は終わり、以前の師弟関係に戻ってしまう。
――春が来たらこの関係も終わり。とはいかなくなる。
故郷に帰ったら、これまでどおりひっそりと、人々に償う日々を送りたい。
そもそも、『クレア』が陛下の傍にいると世間に知られれば、彼の立場が危うくなる。
悪い魔女を復活させた愚帝だと思われ、反逆にあうかもしれない。
元師匠として、弟子に余計な負担やリスクを負わせたくない。正体は知られずに、病の進行を止めるべきだ。
――もっと、信頼してもらわなくちゃ。
『ミーシャ』として、炎の鳥を魔鉱石に宿し身につける、対処療法を試そうと、説得を続けるしかない。
「わっ!」
考え事をしていると突然、窓が強く揺れた。
雪が混じった風が閉じられた窓をこじ開けようとするみたいに、強く吹きつけている。
部屋の灯りも、暖炉の火も同時に消えて、まっ暗になった。
ミーシャはあわてて手を高くかざし、炎の鳥を呼んだ。消えてしまった明かりを灯すために、順番に燭台に飛び移ってもらう。
「陛下、大丈夫ですか」
その場にしゃがみ込んだリアムの顔には霜が降りはじめていた。
「吹雪は陛下が? 凍化病が進行したんですか?」
「……流氷の結界が、敵を捉えた」
ミーシャは目を見開いて固まった。
結界が作動したということはつまり、敵意ある者が侵入しようとしたということだ。
リアムは立ちあがると、部屋を飛び出した。
「陛下! そんな身体でどこへ?」
「きみはここにいて」
険しい顔で彼は走って行ってしまった。
「どうしよう。なにかあったんだわ」
部屋の中へ戻ると、炎の鳥を呼べるだけ呼んだ。厚手の外套を羽織り、彼の外套を手にすると、急いでリアムのあとを追った。
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