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白い狼
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空気中で冷やされた水蒸気は、小さな氷晶になってゆっくりと降りてくる。珍しく空に雲はなく、朝の光に照らされてきらきらと光っている。
リアムは儚い光を放つ、細雪を見つめた。
――師匠と出会ったのは、
「二十年前、か」
降り積もった雪がずっと溶けずにここにあるように、彼女への尊敬の気持ちは消えるどころか、歳を追うほどに増している。
――彼女にはもう会えないのに、病気だな。
リアムは自分を嘲笑った。
さくさくと雪の上を跳ねる音が聞こえて振りかえると、大きな白い狼がこちらに向かってきていた。
「白狼。おはよう」
狼は助走をつけるとリアムに飛びかかった。後ろ足で立ちあがると人の背丈ほどある。大きな前足が肩に乗り、やわらかい雪の上に押し倒された。
「ずいぶんな、あいさつだな」
白い狼は、朱く燃えるような色の大きなガーネット鉱石を口に咥えていた。
「もしかして、俺が欲しがってると思ったのか?」
受け取りながら訊くと、白狼は「ウオンッ」と吠えた。
身体を起こしたリアムが頭をなでてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「この魔鉱石は使わない。おまえが持っていて」
薄い水色の目をした狼はリアムをじっと見つめたあと、再びガーネット鉱石を口に咥えた。白狼は片耳をぴくりと動かし、顔を左に向けた。
「いた! 陛下――。こちらにいらしたんですね」
手を大きく振り、遠くから声をかけてきたのは宰相のジーンだ。
白狼はリアムから離れると、空中に向かって高くジャンプした。白い霧が風に吹かれて消えるように、大きな白い狼はふわりと、空気に溶けて消えた。
「陛下、おはようございます。婚約者さまを放って雪の精霊獣と遊んでいていいのですか?」
「あれはまだ寝ている」
服についた雪を払いのけながら立ちあがる。
「そうですか」と、ジーンはにやり顔になった。
「ようやくこの日を迎えられましたね。陛下、よかったですねえ」
一ヶ月前。ミーシャと出会った月明かりの夜、グレシャー帝国の結界に異変が起きて、リアムは緊急帰国したため、昨日まで彼女に会うことが叶わなかった。
「そうだな。やっと会えた」
「まあ、無表情。関心のない顔をしても無駄ですよ。楽しみで、そわそわしていたくせに」
にやけ顔をやめない若き宰相に、リアムは冷たい視線を送る。
「興味はあるよ。言っただろ。彼女からはクレア師匠と同じ魔力を感じる。ミーシャは髪の色が違うだけで、クレアにそっくりだ。さすが血縁者といったところか」
「師匠に似ている。それだけですか?」
「治療にはさほど興味ない。婚姻も、彼女を探るためだ」
「いえいえ、陛下。治療にも、彼女にももっと興味を持ってくださいよー。まあ、なにはともあれ、やっと! 陛下のもとへお妃さまがやってきた!」
「まだ妃じゃない」
「いえ、もうお妃さまで決定です!」
浮かれている相手になにを言っても無駄だ。リアムは呆れつつ、室内に戻るため歩きだした。ジーンはすぐに追いつき、ぺらぺらと話しながら後ろをついてくる。
「陛下。治療が長引けば、そのまま彼女を妃にするのはどうでしょうか?」
「治療の結果がどうなろうが、春になったら彼女を国へ帰す。そういう約束だ」
「お言葉ですが、陛下。彼女は手放してはなりません」
いつもふざけてばかりの男が急に真面目な声で言った。珍しいと思い、リアムは立ち止まった。
「ミーシャさまは他者を思いやれるやさしいおかたです。自己の主張ばかりの令嬢とはあきらかに違います」
「俺の身分を知っているからだと思うが」
「そうだとしたら、なおさらです。刺客には立ち向かうし、陛下の体調に気づき瞬時に判断し、行動に移せる肝のすわった令嬢などそうはいません。パーティーの前に彼女と話す機会がありましたが、自分のことより陛下を気づかっておられました。パーティーでも堂々としていてご立派でした。皇后にふさわしい器を備えているとお見受けしております」
「ずいぶんな肩入れだな」
茶化して返したが、ジーンが熱弁するのも理解できた。
ミーシャ・ガーネットはこれまでに出会った令嬢とはあきらかに違う。強く輝く炎のようで、正直、惹かれるものがある。だがーー
「師匠と同じ瞳を持つ彼女が気にならないと言えば嘘になる。だから丁重に出迎えるし、待遇は良くするつもりだ」
ジーンは「ええ。そうですね」とうんうんと頷いている。
リアムは期待で浮かれている臣下に釘を刺そうと、彼の真正面に立った。
リアムは儚い光を放つ、細雪を見つめた。
――師匠と出会ったのは、
「二十年前、か」
降り積もった雪がずっと溶けずにここにあるように、彼女への尊敬の気持ちは消えるどころか、歳を追うほどに増している。
――彼女にはもう会えないのに、病気だな。
リアムは自分を嘲笑った。
さくさくと雪の上を跳ねる音が聞こえて振りかえると、大きな白い狼がこちらに向かってきていた。
「白狼。おはよう」
狼は助走をつけるとリアムに飛びかかった。後ろ足で立ちあがると人の背丈ほどある。大きな前足が肩に乗り、やわらかい雪の上に押し倒された。
「ずいぶんな、あいさつだな」
白い狼は、朱く燃えるような色の大きなガーネット鉱石を口に咥えていた。
「もしかして、俺が欲しがってると思ったのか?」
受け取りながら訊くと、白狼は「ウオンッ」と吠えた。
身体を起こしたリアムが頭をなでてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「この魔鉱石は使わない。おまえが持っていて」
薄い水色の目をした狼はリアムをじっと見つめたあと、再びガーネット鉱石を口に咥えた。白狼は片耳をぴくりと動かし、顔を左に向けた。
「いた! 陛下――。こちらにいらしたんですね」
手を大きく振り、遠くから声をかけてきたのは宰相のジーンだ。
白狼はリアムから離れると、空中に向かって高くジャンプした。白い霧が風に吹かれて消えるように、大きな白い狼はふわりと、空気に溶けて消えた。
「陛下、おはようございます。婚約者さまを放って雪の精霊獣と遊んでいていいのですか?」
「あれはまだ寝ている」
服についた雪を払いのけながら立ちあがる。
「そうですか」と、ジーンはにやり顔になった。
「ようやくこの日を迎えられましたね。陛下、よかったですねえ」
一ヶ月前。ミーシャと出会った月明かりの夜、グレシャー帝国の結界に異変が起きて、リアムは緊急帰国したため、昨日まで彼女に会うことが叶わなかった。
「そうだな。やっと会えた」
「まあ、無表情。関心のない顔をしても無駄ですよ。楽しみで、そわそわしていたくせに」
にやけ顔をやめない若き宰相に、リアムは冷たい視線を送る。
「興味はあるよ。言っただろ。彼女からはクレア師匠と同じ魔力を感じる。ミーシャは髪の色が違うだけで、クレアにそっくりだ。さすが血縁者といったところか」
「師匠に似ている。それだけですか?」
「治療にはさほど興味ない。婚姻も、彼女を探るためだ」
「いえいえ、陛下。治療にも、彼女にももっと興味を持ってくださいよー。まあ、なにはともあれ、やっと! 陛下のもとへお妃さまがやってきた!」
「まだ妃じゃない」
「いえ、もうお妃さまで決定です!」
浮かれている相手になにを言っても無駄だ。リアムは呆れつつ、室内に戻るため歩きだした。ジーンはすぐに追いつき、ぺらぺらと話しながら後ろをついてくる。
「陛下。治療が長引けば、そのまま彼女を妃にするのはどうでしょうか?」
「治療の結果がどうなろうが、春になったら彼女を国へ帰す。そういう約束だ」
「お言葉ですが、陛下。彼女は手放してはなりません」
いつもふざけてばかりの男が急に真面目な声で言った。珍しいと思い、リアムは立ち止まった。
「ミーシャさまは他者を思いやれるやさしいおかたです。自己の主張ばかりの令嬢とはあきらかに違います」
「俺の身分を知っているからだと思うが」
「そうだとしたら、なおさらです。刺客には立ち向かうし、陛下の体調に気づき瞬時に判断し、行動に移せる肝のすわった令嬢などそうはいません。パーティーの前に彼女と話す機会がありましたが、自分のことより陛下を気づかっておられました。パーティーでも堂々としていてご立派でした。皇后にふさわしい器を備えているとお見受けしております」
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「師匠と同じ瞳を持つ彼女が気にならないと言えば嘘になる。だから丁重に出迎えるし、待遇は良くするつもりだ」
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