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英雄と悪い魔女⑵
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極寒だが、広大な大地を有するグレシャー帝国には、貴重な資源が豊富だ。他にはない魅力がある。フルラ以外の他国とも隣接していて、なにかと争いが絶えない。大国を守る氷の皇帝がいなくなると喜ぶものが残念ながらいる。
「陛下の命と、そして、……クレア魔鉱石だったわ」
ミーシャは息を呑んだ。全身に冷や汗が浮かぶ。胸がぎゅっと締めつけられて痛い。思わず手で押さえた。
「幻影を使って、自白させたの。ただ、陛下が持っている確証はなく、情報を得るのが目的だったみたいね」
「そう、ですか」
彼女は炎を操り、敵に幻影を見せることができる。エレノアやジーンたちの帰りが遅くなった理由はリアムの予想どおり、新手の敵がいないかと、情報を引き出すためだった。
「今ごろ、陛下の耳にもこの情報が入っているはずよ」
「クレア魔鉱石は十六年前に一緒に燃えた。存在しないと陛下は公表していますよね」
ミーシャの問いに、エレノアは「ええ」と答えた。
「でもクレアが作った本物の魔鉱石は、きっと陛下が今も持っている」
リアムに魔鉱石を託したのは自分だ。彼はなくしたりしない。
「エレノアさま。実は婚約は表向きです」
「……どういうこと?」
「白い結婚の期間に陛下の治療をする契約なんです。凍り化を止めたら、その時点で私はここへ帰ってきます」
説明しながら契約内容が書かれた用紙を彼女に差し出した。
「陛下を治療するために傍にいるつもりなのね」
契約を読み終えると、エレノアは視線をあげた。
「できれば魔力を使わないで欲しいと、説得しようと思っています」
「陛下からは、魔女の印象をよくすること。……なるほど。自分の利ではなく、お互いを想い合った条件ね」
言われて見ればそうだ。相手のことを心配し、改善するための条件を提示している。
封筒に契約書を戻しながらエレノアは言った。
「ミーシャ。帰って来る必要はありません。陛下の病を治した功労をもって、堂々と正妃になればよいでしょう」
目を思いっきり見開いた。ぶんぶんと首を横に振る。
「無理です。私は、クレアの生まれ変わりです。たとえ治療がうまくいったとしても、一番正妃に向いていない者が、この私です」
エレノアは眉根を寄せた。
「あなた、自分の正体がクレアだって、陛下に打ち明けたのよね?」
「まさか。話してはいません。理由は……、」
「彼の足を引っ張りたくないからよね。負担になりたくないと、何回も聞いたわ」
ふうっと大きなため息を零すと、彼女は近くのスツールに座った。
「婚約を受け入れたと言うから、てっきり、自分がクレアだと話したんだと思ったわ」
「そういうわけにはいきません」
「この先も、隠しとおすつもりなの?」
ミーシャは頷いた。
「病の原因を聞いて、より強く思いました。……万が一、陛下の妃が悪い魔女クレアだと知られれば、陛下は国内外から非難される。暴動、反乱、隣国からは危険国扱いを受けるでしょう。孤立ならまだましですが、戦争にでもなったら大変です。そうなっては取り返しがつかない」
リアムは自分を傷つけながら氷の結界を発動させ、国を守っている。やり方には反対だが、元師匠として、弟子の努力を無駄にするわけにはいかない。
「リアムは、大事な人たちを狂わせ、炎の中に飲み込んだ師匠のことを憎んでいるかもしれない。小さな彼の目の前でクレアは炎となって消えた。トラウマになっていてもおかしくないです」
「それはないと言っているでしょう? 憎んだ相手の墓参りに、国を超え、毎年来たりはしないわ」
「私には時間がない」
エレノアは言葉を詰まらせた。つらそうに顔をしかめているが、ミーシャは続けた。
「魔女なのに魔力はほとんどなく、このブレスレットと、炎の鳥がいなければそのうち動けなくなって、寝たきりになる。いつ死んでもおかしくない身体です」
ミーシャの左腕には、金色のブレスレットがある。内側には赤いガーネット鉱石が小さく散りばめられている。
昔、クレアが試験的に作っていた魔鉱石だ。製作の途中でその生を終えたために未完成品だが、ミーシャの少ない魔力の補助として、エレノアに勧められて身につけている。
「私は、魔鉱石を生みだした悪い魔女。陛下に釣り合いません」
大人になったリアムは、子どものころと変わらずやさしかった。きっと、不完全に蘇った師匠に心を痛め、ありとあらゆる手を尽くしてくれるだろう。
――それではだめ。リアムの幸せは遠退く。彼の世話になるわけにはいかない。
エレノアは嘆息すると、炎の鳥を手のひらに呼んだ。
「炎の鳥はあなたによく懐いている。そのブレスレットと、この子たちがいればあなたは長く生きられる」
「だけど」
「彼は英雄、クレアは悪い魔女については、気にすることないと何度も言っているでしょう?」
ミーシャは眉をひそめると、さっきよりも強く、首を横に振った。
「今の私が彼にしてあげられることは、正体を打ち明けず、彼の病を治したら身を引く。そしてもう、関わらないことです。彼の明るい未来に、クレアは必要ありません」
輝かしい人生を送って欲しい。彼を苦しめるものはすべて取り除いてあげたい。もう、師匠ではない今の自分には、それくらいしかしてあげられることはない。
下を向いていると、エレノアが肩に触れた。
「ミーシャ。あなたにも未来があるのよ。私はあなたに、前世の分まで幸せになって欲しい」
やさしい眼差しだった。触れられている肩は温かく、本気で案じてくれていると伝わってくる。
娘はクレアの生まれ変わりで、彼女にはたくさんの迷惑と苦労をかけた。それなのに、誰よりも愛情を注いでくれた。
「エレノアさまも、幸せになってね」
彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかに笑った。
「お母さま。疲れたので、そろそろ寝ます」
「そうね。ゆっくりお休み」
ミーシャをそっと抱きしめて、エレノアは部屋をあとにした。
風が窓を揺らす。視線を向けると、窓ガラスに自分の姿が映っていた。
――リアムは幸せになるべき。だけど私は……
紫の瞳を見つめる。ミーシャは「私こそ、幸せになる資格なんてない」と呟いた。
「陛下の命と、そして、……クレア魔鉱石だったわ」
ミーシャは息を呑んだ。全身に冷や汗が浮かぶ。胸がぎゅっと締めつけられて痛い。思わず手で押さえた。
「幻影を使って、自白させたの。ただ、陛下が持っている確証はなく、情報を得るのが目的だったみたいね」
「そう、ですか」
彼女は炎を操り、敵に幻影を見せることができる。エレノアやジーンたちの帰りが遅くなった理由はリアムの予想どおり、新手の敵がいないかと、情報を引き出すためだった。
「今ごろ、陛下の耳にもこの情報が入っているはずよ」
「クレア魔鉱石は十六年前に一緒に燃えた。存在しないと陛下は公表していますよね」
ミーシャの問いに、エレノアは「ええ」と答えた。
「でもクレアが作った本物の魔鉱石は、きっと陛下が今も持っている」
リアムに魔鉱石を託したのは自分だ。彼はなくしたりしない。
「エレノアさま。実は婚約は表向きです」
「……どういうこと?」
「白い結婚の期間に陛下の治療をする契約なんです。凍り化を止めたら、その時点で私はここへ帰ってきます」
説明しながら契約内容が書かれた用紙を彼女に差し出した。
「陛下を治療するために傍にいるつもりなのね」
契約を読み終えると、エレノアは視線をあげた。
「できれば魔力を使わないで欲しいと、説得しようと思っています」
「陛下からは、魔女の印象をよくすること。……なるほど。自分の利ではなく、お互いを想い合った条件ね」
言われて見ればそうだ。相手のことを心配し、改善するための条件を提示している。
封筒に契約書を戻しながらエレノアは言った。
「ミーシャ。帰って来る必要はありません。陛下の病を治した功労をもって、堂々と正妃になればよいでしょう」
目を思いっきり見開いた。ぶんぶんと首を横に振る。
「無理です。私は、クレアの生まれ変わりです。たとえ治療がうまくいったとしても、一番正妃に向いていない者が、この私です」
エレノアは眉根を寄せた。
「あなた、自分の正体がクレアだって、陛下に打ち明けたのよね?」
「まさか。話してはいません。理由は……、」
「彼の足を引っ張りたくないからよね。負担になりたくないと、何回も聞いたわ」
ふうっと大きなため息を零すと、彼女は近くのスツールに座った。
「婚約を受け入れたと言うから、てっきり、自分がクレアだと話したんだと思ったわ」
「そういうわけにはいきません」
「この先も、隠しとおすつもりなの?」
ミーシャは頷いた。
「病の原因を聞いて、より強く思いました。……万が一、陛下の妃が悪い魔女クレアだと知られれば、陛下は国内外から非難される。暴動、反乱、隣国からは危険国扱いを受けるでしょう。孤立ならまだましですが、戦争にでもなったら大変です。そうなっては取り返しがつかない」
リアムは自分を傷つけながら氷の結界を発動させ、国を守っている。やり方には反対だが、元師匠として、弟子の努力を無駄にするわけにはいかない。
「リアムは、大事な人たちを狂わせ、炎の中に飲み込んだ師匠のことを憎んでいるかもしれない。小さな彼の目の前でクレアは炎となって消えた。トラウマになっていてもおかしくないです」
「それはないと言っているでしょう? 憎んだ相手の墓参りに、国を超え、毎年来たりはしないわ」
「私には時間がない」
エレノアは言葉を詰まらせた。つらそうに顔をしかめているが、ミーシャは続けた。
「魔女なのに魔力はほとんどなく、このブレスレットと、炎の鳥がいなければそのうち動けなくなって、寝たきりになる。いつ死んでもおかしくない身体です」
ミーシャの左腕には、金色のブレスレットがある。内側には赤いガーネット鉱石が小さく散りばめられている。
昔、クレアが試験的に作っていた魔鉱石だ。製作の途中でその生を終えたために未完成品だが、ミーシャの少ない魔力の補助として、エレノアに勧められて身につけている。
「私は、魔鉱石を生みだした悪い魔女。陛下に釣り合いません」
大人になったリアムは、子どものころと変わらずやさしかった。きっと、不完全に蘇った師匠に心を痛め、ありとあらゆる手を尽くしてくれるだろう。
――それではだめ。リアムの幸せは遠退く。彼の世話になるわけにはいかない。
エレノアは嘆息すると、炎の鳥を手のひらに呼んだ。
「炎の鳥はあなたによく懐いている。そのブレスレットと、この子たちがいればあなたは長く生きられる」
「だけど」
「彼は英雄、クレアは悪い魔女については、気にすることないと何度も言っているでしょう?」
ミーシャは眉をひそめると、さっきよりも強く、首を横に振った。
「今の私が彼にしてあげられることは、正体を打ち明けず、彼の病を治したら身を引く。そしてもう、関わらないことです。彼の明るい未来に、クレアは必要ありません」
輝かしい人生を送って欲しい。彼を苦しめるものはすべて取り除いてあげたい。もう、師匠ではない今の自分には、それくらいしかしてあげられることはない。
下を向いていると、エレノアが肩に触れた。
「ミーシャ。あなたにも未来があるのよ。私はあなたに、前世の分まで幸せになって欲しい」
やさしい眼差しだった。触れられている肩は温かく、本気で案じてくれていると伝わってくる。
娘はクレアの生まれ変わりで、彼女にはたくさんの迷惑と苦労をかけた。それなのに、誰よりも愛情を注いでくれた。
「エレノアさまも、幸せになってね」
彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかに笑った。
「お母さま。疲れたので、そろそろ寝ます」
「そうね。ゆっくりお休み」
ミーシャをそっと抱きしめて、エレノアは部屋をあとにした。
風が窓を揺らす。視線を向けると、窓ガラスに自分の姿が映っていた。
――リアムは幸せになるべき。だけど私は……
紫の瞳を見つめる。ミーシャは「私こそ、幸せになる資格なんてない」と呟いた。
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