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番外編
番外編・1 その後の彼ら【了】
しおりを挟む碧也は酷い吐き気に見舞われていて、ここ一週間近くベッドから起き上がれなくなっていた。
こんな時に限ってアスモデウスは地上での仕事が忙しく、碧也の世話はイアンとロイとジェレミで交互に診ている。
てっきり胃腸風邪だとばかり思っていたのに、ジェレミがあっけらかんと口を開いた。
「お前、妊娠してんじゃねえのか?」
その言葉に、イアンとロイが「ああ、なるほど」というような顔をしている。
「ジェレミのくせに冴えてますね」
「ジェレミのくせにね!」
「お前ら俺を何だと思ってんだよ!」
いじられ役が定着している。
揶揄いまじりのイアンとロイに噛みつきながら、ジェレミはまた碧也に視線を落とした。
「お前からすげぇ美味そうな良い匂いがしてくるんだよな」
「え……?」
匂いは番にしか感じ取れ無いはずだ。
「因みにどこからだ?」
「あ? 腹だけど?」
一瞬アスモデウスとの番契約が切れているのを示唆しているのかもと考えたが違うらしい。碧也はホッと胸を撫で下ろす。
——いや、ちょっと待て……。
ジェレミは頸ではなく、腹から匂いがすると話した。
碧也のこめかみから嫌な汗が伝い落ちる。
「お前……赤子を食べる癖があったのか……。その癖はダメだ。確実にアウトだ」
ジェレミから隠れるようにかけられていた毛布に包まりながら距離を取る。
「はい、ジェレミ、アウトー!」
ロイが庇うようにジェレミと碧也との間に体を割り入れた。
「ちげぇーよ!」
そこでハタと気がついた。
——腹から?
一つの過程に行き当たる。
——いや、まさかな……。
碧也は合いの子であり、半分人間だ。
オメガが生まれる可能性は高かったが、こんな早い段階から運命なんて分かるものなのか、と碧也は首を傾げた。
とりあえず確認だけはしようとジェレミに問いかけてみる。
「ジェレミも……アルファ+なのか?」
「ああ、人外だからな。特殊能力は……「あー、いい。分かった」……聞けよっ‼︎」
叫んだジェレミを見てロイが前屈みになって、腹を抱えて笑った。
「あはは、ジェレミ弄られてる! 良かったね。くふふふ、笑える!」
「良くねーよ、ロイ!」
本当に仲良しだなこの二人、と遠い目をしながら碧也は思考を巡らせる。
「あーー……」
何だかもう決定したような気がしたが、まだ妊娠してるのかどうかも定かではないので閉口した。
「体調はどうだ、碧也」
唐突にアスモデウスが現れてベッドに腰掛ける。
「アスモデウス、おかえり。今は大丈夫だ」
頭に乗せられた手に擦り寄ると、頬を撫でられ、気持ち良くて目を細めた。
「アスモデウス様、碧也様はご懐妊なされている可能性があります」
イアンの言葉にアスモデウスが目を見開く。
運命だと分かった時と同じ表情をしていて、暫しの沈黙が流れる。
「僕、医者を連れてきまーす」
ロイがそう言って部屋を後にし、ジェレミがまた腹の部分に顔を近づけた。
「ジェレミ何をしている?」
「やっぱり腹から美味そうな匂いがするんですよね」
アスモデウスも思うことがあったらしい。「因みにどんな匂いだ?」と似たような質問をしていた。
「華みたいな果物みたいな……甘くてかぶりつきたくなる匂いです」
アスモデウスと目が合ったまま固まる。直後、アスモデウスが声高々に笑い転げた。
「お前多分それは〝運命〟だ。俺は碧也からそういう匂いがするからな」
「は? え?」
今度はジェレミが固まる番になった。
結局やはり碧也は妊娠四か月に入っている事が分かり、アスモデウスの機嫌の良さと碧也への溺愛ぶりは前にも増して周囲を困惑させた。
あんなに頑なに断っていた地上へも碧也を同伴させるようになり、しかも碧也が隣にいる時の機嫌の良さは目を見張る物があった。
もはや珍百景と化している。
「オレ、先に帰ってる」
「碧也」
腕を引かれ、振り向きざまに口付けられる。
「ちょ、皆んな見てるだろが。その名前でも呼ぶな」
「構わん」
「オレが構うんだよ。復帰する時困る」
好奇の目に晒されているのに耐えきれず、あんなに嫌がっていたはずの本拠地である魔界へ急いで帰ろうとする碧也を見てアスモデウスが笑った。
今は暗闇の中でも視覚以外の感覚だけで問題なく動けるまでになっている。
「あの方はご一緒に……住まわれてるんですか?」
「嫁だからな、当然だ。時期にガキも産まれる」
鼻歌交じりに言ったアスモデウス……ここでは正宗の言葉に事務所内が騒めいた。
どこからどう見ても数年前に忽然と姿を消した眉目秀麗で有名なナイフ使いの暗殺者だ。
裏側に精通している者たちは聞きたい事がてんこ盛りだったが、誰一人として口を開かなかった。
命は惜しい。
だが「復帰する時」と言っていたのを聞き逃さなかった彼らは、生唾を呑んでそのやたら艶かしくなった後ろ姿を凝視している。是が非でも復帰を機会に近付きたい……そんな欲望が透けて見えるようだった。
禁忌を犯したかつての祖の気持ちが理解出来たような気がしたのも束の間の出来事で、
「おい……俺の嫁に何か用か?」
不機嫌全開で地を這うような声音で言った正宗からの圧力の前に、思考ごと凍りつかされた。
「碧也……お前はもう地上には出さん。復帰も却下だ」
その日の商談は血の凍るような日となったのは言わずとも知れた事で、碧也はさして気にした様子もなく頷いて見せた。
「まあ、オレもあそこまで舐めまわされるような視線を送られるとは思ってもなかったから別に良い。お前の番ってだけで地上でも特別視されるんだな。ウンザリだ」
「……」
「……」
「……」
事の成り行きを正しく理解していない碧也に、さすがのロイも困った顔で口を閉ざした。
「とりあえずお前はそろそろ自覚しろっ、このフェロモンダダ漏れ男! 無駄に笑い掛けてんじゃねーぞ! 何回人の息の根止めりゃ気が済むんだ!」
派手に勘違いしている碧也の言葉にとうとうジェレミが叫んだ。
「人を変な呼び名で呼ぶなっ!」
同意を求めるように碧也はアスモデウスの横に立ってみたが、アスモデウスは困ったように顔を押さえて天を仰ぎ「あーー、ジェレミに一票」と口にした。
「僕もジェレミに一票」
「不本意ながらジェレミに一票」
「……もういい。お前らなんか知らん」
それから数日間、碧也は畳の間に閉じ籠ったっきり誰とも口を聞かなかった。
数ヶ月後。
碧也は無事一人の男児を出産した。
赤子と対面した時のジェレミの硬直具合はあのイアンでさえも笑った程で、碧也も破顔してしまった。
「なんか……雷に当たるって気持ちが分かったわ」
生まれた直後に運命が決まってしまった我が子を腕に抱き、アスモデウスと碧也は色んな意味で複雑な気持ちを抱えた。
「まあ、誰かさんよりはマシだよな、きっと……」
そんな願いも虚しく、碧也生き写しのまま育ってしまう子にジェレミが振り回されるのはこれから十五年は後の話しである。
終わり
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