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第22話、なら、アルファに戻してやろうか?
しおりを挟む「オレも……運命に振り回されているだけに過ぎない。お前も真に受けるなよ……」
視線を伏せる。胸の痛みも、何もかもが偽物で不必要なものだらけだ。
「碧也」
再度名前を呼ばれて、きついくらいに抱きしめられた。
何拍かの間を開けて、アスモデウスがゆったりとした口調で言った。
「この想いが運命の役割だけだと言うのなら、今この場で契約を解いてアルファに戻してやろうか?」
「え……」
思わず体を強張らせてしまい、視線を彷徨わせる。
「そうすれば運命の番から解放されるだろう? 本当にお前の言う通りなのか、お互い確かめてみるか? それでお前の言う通りなら地上へも帰してやろう。契約の時の保証も全てつけて、住居も提供してやろう」
「っ!」
至る所に口付けられているせいで表情は見えなかった。
思考回路が上手く回らずに、目を見開く。
「俺は変わらないと断言してもいいぞ。それにお前も契約関係なしに、念願のアルファに戻れた上に保証も得られて万々歳だろ。さあ、どうする?」
「……っ」
悪魔の囁きだった。
アルファに戻れて保証もつけて貰えるのならば願ったり叶ったりだ。だけど……。
——何でオレ、何も言えないんだ?
黙ったままアスモデウスを正面から見つめる。瞬きさえも惜しむくらいに互いを注視した。
「どうした? 戻りたくないのか?」
「何、言って……」
すぐに言葉が出て来ずに、喉を嚥下させる。
動揺で喉が渇く。唇を引き結んだ。
——何を迷う必要がある? 迷う必要なんてないだろう?
運命を解消するのもアルファに戻るのもあんなにも渇望していたのに、どうして即答出来ないのかが自身でも理解不能だった。
いざ願いが叶いそうになってみると、二つ返事で頷けない。
自分の中で、掲げていた筈の目的が機能していないのには気がついてはいたけれど、ずっと見て見ぬフリをしていた。
ここまで来たらもう認めるしかなかった。
どんなに自分にとって好ましくない方向に答えが向いてしまっていたとしても。
運命を退けたいくせに運命に縋りつき、その枠組みに囚われて依存していたいのは自分自身だった。
アスモデウスの隣にいるのが心地よくて、またあの三人と一緒に会話するのも楽しくて、もう前みたいな一人っきりの生活に戻りたくないと願ってしまっている。
「どうした? 戻りたくないのか?」
「オレは……」
視界には困ったようにしながらも、優しく微笑みを浮かべるアスモデウスが映り込んできて、また動揺してしまった。
——なんて顔……してんだよ。
突然契約を破棄にするような事を言い出し、碧也をアルファに戻そうとしている本当の理由も何も述べない。
だが、アスモデウスの今の表情が何もかもを物語っていた。
——まさか、本気……なのか?
沈黙が身に刺さるようで痛い。
耐えきれない程に心臓も鼓動を刻んでいる。
——オレはアスモデウスの……。
胸の内で溢れた本音を噛み締めるように目を伏せる。
「オレは——」
観念して口を開いた直後だった。
扉が激しく叩かれる音が響き渡る。
「アスモデウス様!」
普段は誰にも邪魔をされない仕様になっている筈の扉がノックされた。
急を要する事案でも出来たのかも知れない。それを知って何処かホッとしている己がいることを禁じ得なかった。
「なんだ?」
さっきまでの表情とは打って変わり、アスモデウスが不機嫌さを隠せない声音で答えた。
「申し訳ございません。実は地上で騒動が起きていまして、それがその……碧也様の身内を名乗る者が、碧也様を出せと暴れております。地上に待機させていた見張りの内、十人が消されました」
碧也は首を傾げた。
「オレには身内なんていないぞ。それは男性か? それとも女性?」
問いかけると、扉の向こう側から「男です」と返事がきた。
「お前の両親はもう他界しているだろ。親戚も居ない筈だが?」
もう不鮮明ではあるが、消息不明の母の顔が脳裏をよぎった。
「いや、居るには居る。けど、母だから女だ。オレが小さい頃に、父を殺した後そのまま失踪している。それ以来会ってもいないし、亡くなったとも教えて貰っていない。もう十年以上は昔の話だけどな」
外にいる部下に「少し待て」と声を掛けて、アスモデウスはまた碧也に視線を這わせる。
「碧也、その情報は誰から得た?」
「世良という男だ。この道に入る前に知り合った情報屋に紹介されて、一カ月間だけ世話になっていた事がある。オレを暗殺者として育てた男だ」
「同業者か?」
「そうだ。でもニホン人じゃない。アザリア・R・世良。長い金髪に水色の瞳をしていた。それにナイフ使いとしてオレを仕込んだ癖に、本人はナイフ使いじゃなかった。交換条件で、オレに会わせたい奴がいるとか言っていたのに、気が変わったのか結局誰にも会わせて貰っていない。軽薄で妙な男だ」
「扱っていたのは小型の弓か?」
嫌そうな表情をしたアスモデウスからの問いかけに、碧也は目を瞬かせた。
「ああ。知っているのか?」
「ラファエルだ……」
確か大天使と呼ばれる内の一人だ。偽名が世良かアザリアなのかと逡巡する。
アスモデウスも顎に手を当てて何やら思案していた。
少し言い難そうにしながらも、アスモデウスは正面から碧也を見つめる。
「碧也、よく聞け。お前の両親はずっとラファエルに暗殺者という名の奴隷として飼われていた。互いに殺し合わせようとした黒幕も奴だ。母親ももうラファエルに消されている。もしその情報屋が、お前にヤツを紹介したと言うのなら、それすらもヤツの計算の内だったのかもしれん。あと、会わせたかった男というのは恐らく俺だろう」
「は? アスモデウスに会わせる? 奴隷て……。何でそんな事……」
「奴の狙いが初めからお前で、最終的に番として手に入れる為だったとしたら?」
碧也の目が目一杯開かれて行く。
「お前を捕らえようと決めた時に調べたから両親の事は全て事実だ。だが、お前自身の素性を探ろうとすると毎回邪魔が入り、上手くいかなかった。裏でアレが暗躍している。俺に会わせようとしていたのはビッチングが目的だったんだろ。オメガにすれば番えるからな。お前が此処にいるのを知って事務所で暴れているんだろうよ。それだけお前に執着しているのは確かだ。だから俺はお前を地上に出したくなかった——イアン、ロイ、ジェレミ」
「はい、ここに」
アスモデウスの声掛けに三人同時に現れて片膝をついた。
「地上へ行く。暴れているのはあのイケすかない天使、狙いは碧也だ。好きに暴れろ。消滅させた所でどうせ死なん」
「畏まりました」
三人が頭を下げる。
「碧也、お前は此処にいろ。俺らは出かけてくる」
「何でだよっ、オレを指名してるんだろ⁉︎ オレは行かなくていいのか?」
「諸々の話は後だ。とりあえず先に……」
アスモデウスがそこまで言った時だった。
突然室内の空間が歪みをもたらせて空気が揺れた。かと思えば空間が斜めに裂けていく。そこから懐かしい容姿をした男が顔を覗かせて出てきた。
「やあ、久しぶりだね碧也」
「世良、さん」
昔見た姿そのままだ。
全く歳をとっていないのを考えると、本当に人間ではないのだろう。幼い頃はそんな事は気にもしていなかった。
世良に感情のない無機質な微笑みを向けられ、次いでクロスボウをつきつけられる。
「な、んで?」
矢を放たれたのがスローモーションのようで、動けもしなかった。
「碧也!」
アスモデウスに抱え込まれる。トス、トス、と何かが刺さる音が碧也にまで伝わってきた。
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