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特訓開始
しおりを挟むサブドロップに入る可能性を考えて、初回の特訓は週末に入る金曜日になった。恒例の如く白月の屋敷に行って、客間で白月と対峙する。
「人の子が使うコマンドでやってみようか。では始めよう。——座って」
抗おうとする前に一回目のコマンドだけでペタンと畳の上に座り込んでしまう。普段耳にするコマンドなのに、白月が言霊を言葉に乗せるだけで圧が変わる。
「ふふ、ふ、空良……その座り方可愛いね」
白月は袖口で顔を隠し横を向いてしまったが、肩が揺れているので笑っているのは一目瞭然だった。
——恥ずかしい。
「もう、白月。揶揄わないで……、もう一回やりたい」
直ぐに立ち上がって白月と向き直る。
「こういうのって、何かコツとかあるの?」
問いかけると白月が口を開いた。
「嫌だという自分の意思をしっかり持つ事かな。自分は誰々の言葉しか聞かないとか、パートナーの事を考えるとか? 仕切り直そう」
「うん」
「頑張って空良。また手始めに簡単なものからね。——座って」
またストンと畳の上に落ちそうになる体を必死に支える。今度は何とか堪えれた。
「いや、です」
膝に力をこめて真っ直ぐに白月を見据える。
「その調子。——おいで」
勝手に動き出しそうになる体を止める。
「い、やです」
心音が激しく脈打っていた。
妖だからなのか白月からのコマンドに抗うのがこんなにしんどいとは思わなかった。吐息も乱れていて、思わず白月から視線を逸らし、自分の足を見つめる。
——伊藤たちの時はもう少しマシだった。
今は情けない事にたった二つのコマンドで足が震えている。
「空良、大丈夫? 呼吸が辛そうだよ」
「平気。あと二回くらいは耐えてみたい」
それからも軽めのコマンドを貰ってそれに抵抗する。
慣れてきたら強度を上げて繰り返すと続けていたら、とうとうサブドロップに近い状態に陥ってしまった。
「空良、大きく息を吸ってごらん?」
「ん」
言われた通りにしてみる。
「吸ったらしっかり吐き出してね」
大きく息を吸い、吐き出す。
「そう。上手。——ちゃんと出来て偉いね空良」
髪の毛に指を絡ませながら白月に褒められた。すると、気分の悪さがなくなり、通常の状態に戻った。
「ごめん、白月」
「ごめんじゃなくて、ありがとうにしない?」
「ありがとう白月」
「どういたしまして。——良い子だね、空良」
額に口付けを落とされる。高揚感に包まれ、気持ちがどんどん上向いていった。
「じゃあ、次行こうか?」
「うん」
「——転がって?」
また重力が変わったような圧が生まれて、足に力を込める。
「いやです」
それを何度も繰り返した。
五回目になるとやはり立っていられなくなって膝と両手を畳についてしまった。そのままうつ伏せで転がる。
「こんなの迷惑だよね。ちょっと……休憩するね」
「迷惑だなんて思ってないから大丈夫だよ。気にしないで」
「ありがとう」
頭を撫でてくる白月の指は少しだけひんやりしていて気持ち良かった。
土曜日になると軽めのコマンドには慣れてきていて、ある程度はケアが無くても平気になった。今は少しコマンドに込める言霊の力を強めにしたものに挑戦している。
だけど、これが中々どうして……上手くいかない。絶賛ダウン中である。
「良く頑張っているね空良。——本当に良い子だね」
白月の声と共に体の怠さが抜ける。
——白月のケアは心地良過ぎて癖になりそう。
ぼんやりとしている思考回路で考える。
「空良、大丈夫?」
「ん、平気だよ。弱々しくて自分が嫌になる。情けないね……かっこ悪い」
「一朝一夕で出来るものじゃないからのんびり行こう。自分でどうにかしようと頑張る空良はかっこいいよ。ただ私は欲目で見てしまうから、空良が必死に耐えている様は可愛くて仕方ないって気持ちの方が強いけどね」
頭に口付けを落とされて、目を細める。
可愛いと言われて悪い気がしないのは白月に対してだけだ。
白月と会うまでは嫌いな言葉の一つだったのに、白月相手だと素直な気持ちで受け取れた。
ドムに対抗する為に始めた特訓は、二週間もすると大分耐えられるようになっていて、日々の生活までもが楽しくなっていた。
会社へ行くのが楽しい。仕事をするのが楽しい。こんな気持ちは入社して初めての経験だった。
「月見里くんって、なんか最近明るくなったね」
デスクの近い社員に言われ「そうですか?」と言葉を返した。
「うんうん。雰囲気が柔らかくなって、とっつきやすくなったというか。笑顔がすっごく増えた」
別の社員も会話に混ざってきて、久しぶりに数人交えて会話したのもあって、みっともなくオドオドした喋りにならないように心がける。せっかくの変化を逃したくない。
「それなら最近出来た知り合いの影響かもしれません」
「成程。良い影響受けたんだね」
「はい。とっても」
それから何度か言葉のやり取りをして、それぞれ自分の仕事の持ち場へ戻っていった。
この日以降、話しかけてくれたり、昼食に誘われたりする事も増えた。
ドムが寄ってくると、さりげなく庇ってくれたり逃がしてくれたりと有難い。
今まで見てみぬふりをされていたのは、卑屈になって何もかもを諦めていた自分自身にも問題があったのかもしれない。
トイレに行って、戻ろうと扉を開くといつも揶揄ってきていたドムの一人と鉢合わせしてしまった。
すぐに視線を逸らして出て行こうとすると「来い」とコマンドを発令され、フラフラと寄っていきそうになった足を止めた。
——しっかりしろ!
白月との特訓を無駄にする所だった。グッと耐える。
「嫌です」
「はあ? お前最近生意気なんだよ!」
歩み寄ってきた男に乱暴に髪の毛を掴まれたまま壁にぶつけられる。
「パートナーでもない貴方たちに乱暴される覚えも、指示される覚えもありません! 離してください!」
痛みを堪えながらも相手を押し返そうと揉み合っていると、そこへちょうど別の社員がやってきて「おい、何してんだ!」と間に割って入ってくれた。
「月見里、血が出てるから手当てしよう」
壁にぶつけられた拍子に血が出てしまったこめかみに、消毒液をつけて綺麗にした後で絆創膏を貼られた。
沈黙が何となく気まずい。
「手当て、助かりました。ありがとうございます」
立ちあがろうとすると、腕を引かれた。
どうして引き止められたのか分からなくて、首を傾げる。彼はノーマルだ。自分をどうこうする理由がないのは分かっているので、問いかけるように目を合わせた。
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