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史上最悪の夫婦喧嘩……物理的に

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「何を焦る必要がある? 関係ないんだろ。ラーメンは?」
「啓介、あのよ……」
「何だ?」
 思わず名前を呼んでしまったくらいには不穏な空気が流れている。
「あ……家帰ろうぜ?」
 この場から今すぐ逃げ出したくて無理矢理歩き出そうとすると、啓介に腕を掴まれた。
「キアム。俺らは二時間くらい休憩して戻るから先に行ってろ」
 キアムに告げた後、啓介に引き摺られるようにその場を後にし、五階建ての寂れたホテルに連れ込まれる。
 休憩の受付をして、部屋全体に防音魔法をかけた啓介にベッドの上に放り投げられた。
 起き上がろうとすると、すぐにマウントポジションを取られて再度ベッドに押し倒される。
「羽琉、申し開きがあるなら一応聞くが?」
 龍人族ならではの特徴なのか、黒い瞳の縁取りが赤く染まり、瞳孔までもが開いていた。
 ——ガチでキレてる。
 これは誤魔化すべきではないと長年の勘が告げている。
「お前に対して……少し不誠実だったかも知れない。悪かった」
 本気で怒っているのが伝わってきたので、素直に謝った。なのに啓介の不機嫌さが増した気がした。
「お前はいつもそうだよなぁ。自分が望まない事は全部適当に流して、人の気持ちからは目を背けて無かった事にする。お前のその好意を向けられると勃たなくなる体質は前田のせいだろが。なのに抱かれた? ふざけんなよ! 何股開いてんだ、このクソビッチ。で、今度は俺からも逃げるってわけか? たかだかラーメン如きにつられて!」
「は……? カイルと会ったのはお前と会う前だ。お前がこの世界に居る事さえ知らんかったわ! つーか、何でそこまで言われなきゃなんねんだよ! 俺は初めっから誰かを好きになれねえって言ってたろ! 好きになるか分からなくても構わないって言ったの誰だよ! 啓介、お前だろが!」
「言ったよ。まさか食いもんに負けているとは思ってもみなかったからな! で? 今度はラーメン食いたさにカイルにも股開こうってわけか?」
 頭の中でブチリと理性が切れる音がした。
 風魔法で思いっきり啓介の体を吹き飛ばして、壁にぶつける。衝撃で壁にヒビが入り三部屋くらい壁をぶち抜いた。
「あ゛!? 何で俺がテメェ以外に好んで抱かれるとか思ってんだ! お前こそふざけんなよ!」
 啓介から容赦なく飛んできた蹴りを食らって、天井を五部屋分くらいぶち抜く。
「ハッ、どうだかな? どうせ俺にしてるように有耶無耶にしたままキープしてんだろ? 万年発情期のクソビッチ!」
「してねえよ! テメェだって思わせぶりな事ほざいて毎日周りに女侍らせてただろっ! 知ってんだよ! 下半身緩いのはテメェだろが!」
 火属性魔法で火炎弾を飛ばすと、片手で横に払われる。
 火が瞬く間に燃え広がり、隣の部屋を焼いた。そこに水を放って鎮火した後、啓介に向けて風魔法を放つ。
 それも軽く遇らわれ、部屋の中で竜巻となり、家具を巻き込んだまま壁に穴を開けて外に消えて行った。
「ちっ」
 頭にきて懐に飛び込むなり鳩尾に蹴りを入れた。一撃一撃に各種の魔法を混ぜ込んで拳を叩き込もうとしたが、腕ごと掴まれて床に叩きつけられる。
 衝撃波だけでまた壁に穴を開け、とうとう上の部屋からどんどん建物が崩れ落ちてきていた。
 自らに当たらないように、頭上から降ってくるコンクリートの山は風魔法で吹き飛ばす。
 そうこうしている内に、周りはあっという間に瓦礫だらけになった。その瓦礫さえも、二人が拳を交える度に砕けていき、地に落ちる。
 ホテルはもはや建物としての原型さえ留めていない。それどころか存在しない地下が出来そうだ。
 悲鳴を上げながら、従業員やその他の客が逃げて行く。
「おいっ! そこの兄ちゃんら! ちょっと此処に来いっ!!」
 このホテルを管理しているのか、スーツ姿の屈強な男たち十人くらいが、それぞれ声を荒げていた。
 一階部分があった場所で待機している。
 肩を掴まれ引き寄せられたが、即座に弾き返す。
「あの頃はお前が好意向けられるのが嫌だと言ってたからダミー作ってただけだろ!」
「人のせいにしてんじゃねーよ! んな事言ってちゃっかり食ってたくせによ! このヤリチン!」
「人の事言えんのかよ! 俺に抱かれながら女も買いまくりだっただろが! 知ってんだよ! で、今度は他の男か? マジで腹立つわ。俺はいつまでお前に合わせりゃいい!?」
 男たちに囲まれたまま歪み合いは尚も続く。
「合わせろなんて俺がいつ言ったよ!!」
 突風が吹き荒れ刃と化した。それすらも片手で弾かれ、近くにあった建物の屋根部分を切断する。
 無視され続けているのが気に障ったのかスーツ姿の男の口調が鋭くなった。
「兄ちゃんら人の話聞いてんのか、こら!」
「「うるっせぇよ、邪魔すんな!!!」」
 掴まれていた腕を振り解いた瞬間に二人の風魔法が合わさり、爆風を起こす。周辺の男たちを巻き込んで瓦礫ごと全てを一掃した。
「合わせなきゃすぐ何処かへ行くのにか? お前が居なくなるかも知れんのに、んな事言えるわけねえだろが!」
 男たちは吹き飛ばされたまま散り散りに落下して行く。
 手をつけられる状態にないと判断したのか、止める者は誰もいなくなった。代わりに野次馬だけが増えていく。
「何でそう思ったんだよ。俺がお前と離れるわけねえだろ! 俺の中でのお前の存在はそんな薄くて軽いもんじゃねえよ! 逆に聞くけど、お前はたかだかそんな事で俺が離れるとか思ってたって事かよっ! そっちの方が酷ぇだろ!! お前俺を何だと思ってんだよっ!」
 啓介は同じだと思っていた。
 自然体で一緒に居てくれてるんだとばかり思っていた。
 何も言わなくなった啓介を見つめる。
「啓介、この際もうお前の本音全部言えよ。何で俺に合わせようとするんだよ。らしくねんだよ。だからこうして爆発するんだろが。俺は何と思われようと、周りから何を言われようともお前なら拒絶したりしねえよ!」
 ずっと暴れ足りなかったのもあって、散々暴れ回った今は気分が晴れていた。
 視線が絡んで、お互い逸らしもせずに見つめ合った。
 不意に啓介が迷っているように視線を彷徨わせる。
「もう隠すな。ちゃんと俺を見て言え」
 啓介の事を一番良く知っているようで、一番理解していなかったのは己なのかも知れない。
 いつも己の我儘を許す啓介に甘えていたのだと痛感させられた。
「啓介! ちゃんと受け止めるから言えって!」
 声を荒げると啓介が舌打ちする。
 真っ直ぐに見据えられ、啓介はまだ迷っているような表情をしていたが、口を開いて言葉を紡いだ。
「俺は、お前には愛されたい」
 不安に駆られて揺れ動く瞳を見て、まるで迷子の子どものようだと思った。
 互いに親には捨てられている。愛情なんてかけられた事もないし、そもそも愛を知らない。
 啓介が語った話は此処の世界の話だったのだろうけど、捨てられて愛されもしなかったのは間違いなかった。
 愛されたい、と求められた時に啓介の心が本当の意味で伝わってきた気がして目を細める。
「俺には羽琉以外どうでもいい。お前だけが欲しい。お前の隣に居るのは俺だけでいい。その場所だけは誰にも譲りたくはない」
 こんなにも一心に己を欲しがる人間なんてこれから先二度と現れないだろうな、と思う。
 観念する様に目を閉じた。
「俺も同じだよ。昔っから欲しいのはお前だけだ」
 啓介と出会った時、周りに味方は居なかった。
 自分たちは境遇全てが同じで、考える事も似ていた。
 互いの隣が一番心地良いと思えるまで時間は必要なかったし、一緒にいて当たり前だと感じている。
 啓介以外どうでも良かった。
 啓介が隣にいるだけで良かった。なのに、いつから欲張りになってしまったんだろう。
 走り寄ってその首に抱きつくと、啓介が息を呑むのが分かった。
「啓介……俺はお前が誰よりも何よりも大切だ。俺はお前が隣にいると一番安心する。俺はお前が側にいるだけで嬉しい。俺はお前と二人でヤンチャしてた時が一番楽しかった。俺は自分から好んで抱かれるならお前以外は嫌だ。俺は……もし誰かを好きになれるのなら、お前が良いと思ってる。お前の気持ちを知って戸惑ったのは本当だけど、軽く考えていたわけじゃない。蔑ろにもしていない。これから先この世界で生きて行くなら、俺はお前の側に在りたいと思っている。ちゃんと伝えてなくて悪かった。今はこんな返事じゃダメか?」
 緩く首を振られる。静かに涙を流す啓介の表情があまりにも無垢過ぎて、心臓が痛くなった。
 ——何で俺の心はコイツを好きだと感じてあげられないんだろう。
 好きになるのなら啓介以外あり得ないとは思うのに、此処まできても己の感情は揺れ動かない。
 いくら再生というチート能力を持っていても、たった一人の大切な人を傷付けてしまうのなら、意味がない。
 誰かを愛してやれる心が欲しい。そしてその心は啓介にあげたい。
「だから、らしくねんだよ。泣くな」
 服の袖で涙を拭ってやってから啓介に口付ける。
「でもこの世界にきてずっと違和感しかなかったから、お前の本音が聞けて嬉しかった」
 笑うと鼻を摘まれた。
「俺は……本音なんて言いたくなかった。お前の前では余裕ある態度でいたい」
「ふはっ、一人でカッコつけるとか、させねえよ?」
 四方八方から拍手喝采を受け、ぎこちない動きで周囲を見渡す。
 自分たちが注目の的になっているのを知って、死にそうな程に気恥ずかしくなってくる。
「啓介! 啓介!」
「何だ?」
 慌てて啓介から離れようとすると、背がしなる程抱きしめられてしまい息が詰まった。


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