絵師乙桐の難儀なあやかし事情

瀬川秘奈

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箱入り娘

〈箱入り娘〉其の肆

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 私事ではありますが、随分と奇っ怪な話を語ります。
 父は簪や櫛。その他、女人が身に付ける細々とした物を作り上げる細工師。
 通り沿いの大店の様には参りませんが、そこそこに繁盛した小間物屋の娘で御座います。

 私は上にも下にも兄弟は居ないので、一人娘と表すのが正しいでしょう。

 父は細工師と申しましたが、品の全てが父の手によるものではなく、他所から仕入れる事も儘ありました。
 店に出す物が大半ですが、何分遅くに出来た娘故。子煩悩な父は時々娘の為にと、珍しい品々を土産として買い与えてくれる事が御座いました。

 あれは丁度、夏の暮れの時分でしたか。

 父からとある化粧箱を渡されたのは⋯⋯。








「とよ子や、とよ子。ちょっとこちらにおいでなさい」
「お呼びでしょうか?父様」

 まだ暑さも残る季節柄、幾分か薄い生地の。けれども上等だと、ひと目見ればすぐに分かる装いで、父親に呼ばれたとよ子はいそいそとその元に迄赴いた。
 近所でも評判の良いその店は、開いている間は一人は必ず客人が、ああでもないこうでもないと店の商品を物色しているのが常であり。
 つまりは、繁盛店だったのだ。

 細工師が店構えを持つなんざ、相当数の腕前で無ければ到底適わない。
 とよ子の父は職人としてもそうであるが、更には商売人としても達者な腕前を持っていた。だからこそ、自分の代で店を持つと言う芸当が出来たのだ。

 又それには、とよ子の母が武家の出であったのも大きい。
 時代が時代ならば何処ぞの姫君として生きていた女が、当時は出入りの小間物売りだった男と恋に落ちた。
 身分の差がどうたらこうたらと言われもしたが、跡取り息子も居れば姉も居た。
 三の姫が平民上がりの小間物売りに嫁いだ所で、言ってしまえば痛くも痒くも無い。
 行かず後家になられたり、手と手を取り合って来世では結ばれましょうと心中死されるよりかは、ずぅっとマシでは無いだろうか?と、ふと誰かが言い出して、嗚呼確かにそれもそうかと後はとんとん拍子に事が進んだ。
 こうして平民上がりの小間物売りと、お武家様の三番目の姫の縁は結ばれたのである。
 巷に蔓延る恋物語にすらなれやしない、ただのただのどこにでも有りそうな馴れ初めであった。

 とよ子の母は流石武家の出と言う事もあって、目利きに対してそれはもう遺憾無く才を発揮した。
 当時はただの小間物売りでしか無かった男は、やがてそん所そこいらの細工師等霞んでしまう程度には、その道に対しての腕を見せる様になった。
 その男と、目利きに関して優秀でしかない女。
 その二人が揃ってしまえば、売れない方がおかしい話なのである。

 ただ一つだけ二人を悩ませ続けた事柄と言えば、それはいつまで経っても子が出来ぬ事実であった。

 幾らまだまだ一代目とは言え、跡取り息子ないし又は、婿取りが出来る娘は必要不可欠だった。
 いっそ腹を括って女の親族辺りに、養子の相談でもしてみようか?と、そう話した次の週に、女の腹に待望のややこが居ると分かったのだ。

 それが、とよ子であった。

 遅くに出来た娘だからと言うのもあったが、その様な訳により、両親はそれはそれは彼女を可愛がり甘やかし、目に入れても痛くない様に溺愛したのだ。

「珍しい物を手に入れたから、お前にやろうと思って持って来たんだ。そら、ご覧」
「わぁ、何でしょうか?これは化粧箱ですか父様。とよ子はとてもとても嬉しいです」
「なんでも京の都から仕入れた物らしくてねぇ」

 正に子煩悩な男親は、当然の様に娘が喜ぶまいとする事は何でもしたがる。
 とよ子の部屋はそう言った、父や勿論母からの贈り物が所狭しと並んでいて、収まり切らぬ物が蔵に押し込まれる程であった。
 珍しい物が手に入れば、店先に置くよりも先ずは娘の元へ。
 今回もその一端なのであろうと、とよ子は差して不思議にも思わなかった。

 父から差し出されたのは、化粧箱であった。

 曰く、いつも店に訪れる小間物売りから仕入れたのでは無く。この辺りでは全く見掛けた事が無い人にたまたま話し掛けられ、そうして手にしたのだと父は語る。

「大方何処かの山の方から、出稼ぎで下りて来たのだろう。見た目は大層貧相ではあったがね、品物はどれも一級品ばかり!運がいいとは正にこの事だ」

 晴れやかな父の姿を見てとよ子何だが自分も又、父と同じ感情を共有している気分になった。
 それ程迄に、父は嬉しそうだったから。
 
「きっと父様の日頃の行いが良いので、神様がご褒美をくれたのでしょう」

 両の掌を合わせて、父から移った喜びが少しでも伝わる様に、とよ子は満面の笑みで父を称えた。
 そうすれば返って来るのは、実に子煩悩らしい言葉なのだ。

「神様はなんでもご存知であらせられるから、これが私の愛娘の元へ迄行くとも知っておられたんだろう。つまりはつまり善行を詰んだのは、お前の事じゃないだろうか?ねぇとよ子や可愛い我が子や」
「まぁ父様ったら、お上手なんだから」
「気に入ったかい?」
「はい!とても」

 この家であれば、こんな光景等日常茶飯事であった。
 差して変わった事でも無い。
 そうつまりは、「大した事の無い」話で終わる筈だったのだ。







 それはそれは丁寧に手掛けたのか。その桐で出来た化粧箱は、今迄見た事がない程に繊細な細工が施されておりました。
 飾るだけでも充分に楽しめる、大層見事な品で御座いました。

 私はその化粧箱の中に入れた物ならば、もしかすれば遠い遠い京の都の香りですら、感じる事が出来るのではないかと思いを馳せておりました。
 例え遥か先の街の景色が見えなくとも、私には充分にその化粧箱を腐らせずに使う術もありました。
 墨の上からわざわざ紅を差して誤魔化さなくとも、玉虫なんていつでもこの口に差せたからです。

 嗚呼だからやはり、やはり私は「箱入り娘」なので御座います。

 その時は何の問題も無いと高を括っておりましたが、私はやがて、どう仕様もない羽目になってしまうのでした。

 と言うのもその化粧箱は、化粧箱として使うには少々不可思議な作りをしていたのです。







「おやまぁとよ子や、どうしたんです?半刻も前から父様から与えられた化粧箱と睨めっこ。一体全体その箱の、何がそんなにも気になると言うのですか」
「それが母様、妙なんです」
「妙?」

 明くる日、自室で化粧箱を一頻り見たり傾けていた娘の様子が気になった母親は、とよ子へそう問いかけた。
 問われたとよ子はと言えば、何やら困り顔で母へと振り向く。

「ええ、ええ母様。それと言うのもこの化粧箱、蓋が全く開かないのですよ。押しても引いてもてんで駄目。暫くあれもこれもと試してはみたのですが、とよ子はほとほと草臥くたびれてしまいました」
「まぁなんて事でしょう!粗悪品を掴まされたって事かしら?あの人ったら全く!自分の目利きは完璧だと仰る割には、変なところで抜けているのだから」

 「やはり品入れはあの人に任せては駄目ねぇ」と、頬に手を当てて溜め息をついた母を見て、とよ子は慌てて首を振った。

「いいえ、いいえ母様。父様は悪う御座いません。見て下さいな、母様。この化粧箱は飾るだけでも見事な品で御座いましょう?きっと「自分は開かずとも価値は充分にある」のだと、そう化粧箱が申したいのですよ」
「確かに見事な品ではありますが、蓋が開かぬのであれば箱の意味等無いと母は思います。何年この生業をしてきたかと思っているのかしら?情けないったら、もう」

 嫁いで数十年が経とうとも尚、武家の姫らしい気位の高さが抜けない母は、自尊心も又高く。
 それ故かまさか自分の亭主ともあろう者が、何処ぞと知れぬ者に一杯食わされた等、到底看過出来ない話であった。

 不満げな釣り上げ眉を見たとよ子は、宥めようと精一杯に明るく微笑む事にする。
 父が自分を喜ばせ様とした言わば善意、又は親の愛の形の一つ。
 幾ら蔵に放り込んでしまう程に底の知れぬ愛だとしても、慣れ切ってしまった事だとも言えど。
 そのせいで責められる姿等、とよ子は見たくはなかったのだ。

「少しばかり残念ではありますが、とよ子はこれをとても気に入っているのですよ母様。ですからどうか、どうか父様をお叱りになる事だけは止めて下さいませ。これを何処に飾ろうか、そう考える時間すら嬉しいのですよ。ねぇ?母様」
「そう。そう、そうですか。お前がそれで良いのでしたら、母はこれ以上は何も言いませんよ。勿論、あの人にもね?」
「有難う御座います母様!とよ子は幸せ者ですわ」







 押しても引いてもビクともしない。
 ほんの隙間すら開かぬ化粧箱。

 そぉっと揺らしてみたところ、何やらカタンコトンと音がするではありませんか。

 中に何かが入っているのは、間違いありませんでした。
 中身の無い箱に、音等出せる筈も無いでしょうから。

 正直に申せば私は、多少なりともその中が気になってはおりました。

 けれども四六時中、眠る間も無い程に気になっていたか?と言われたのならば、それは全くの見当違いで御座いました。

 開く開かず関係無しに、所詮箱はただの箱。
 中身の在る無いしは些細な事でしかありません。

 ですから私は暫くだけその箱を目に掛けて諦めてから、やがて気に止める事も無くなったので御座います。



 アレは、きっと狙っていたのでしょう。

 私が、化粧箱を開くのを。

 それを、諦める事を。

 興味がある内は、なかなか隙等出来ないでしょう?

 だからきっと私の興が削がれるのを、ただただじぃっと待っていたのでしょう。



 夜も深まったある晩の事。
 ふと目を覚ました私の目に、あの化粧箱が入りました。
 幾ら何をしようともビクともしない筈でしたのに、ほんの少しの隙間を作って。



 まるで、開けろとでも言わんばかりに。
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