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第二十六話 到来
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徐栄の矛が魏越の右肩を刺し貫く。
「もうその斬馬剣は振るえまい」
顔を歪める魏越に徐栄は勝ち誇り、二人を囲む徐栄兵が歓声を上げる。
だがその歓声の向こうで更に大きな悲鳴が起こった。
徐栄は目を細め、悲鳴の先を見る。
燃え上がる炎のような血飛沫が舞い迫る。
「来たか」
徐栄の頬を一筋の汗が伝う。
当初の計画では董卓を討ったそのままに、郿塢へ差し向ける予定だった。
成廉を取り逃がし、ここに呂布軍が来たという事は、王允は逆らう呂布に殺されているのかもしれない。
もしそうならば互いに後ろ楯はない。
漢の都長安の覇権を賭け、そして一人の女を巡って争う二人の男でしかない。
夜叉や飛将と畏怖される呂布だが、徐栄自身も鮮卑や烏丸と戦い続け、孫堅や曹操を破ってきた。
天下に名を知られるに足る自負はある。
「魏越、大事の前の小事だ。
下がって大人しく降伏するか呂布に殉ずるか考えておけ」
引き抜いた矛の柄で魏越を馬から叩き落とし、迫る夜叉を待ち構える。
「徐栄」
空気を震わす咆哮と共に真紅の騎馬が飛翔した。
全身に浴びた返り血が糸引く様は赤く焼けた流星の如く。
右手に戟、左手に柳葉刀を広げる姿は嵐の中でも、悠然と大空を羽ばたく鵬の如く。
そしてその憤怒の表情は、まさに人喰らう夜叉。
「見よ、呂布。
既に門は破られた。
家族の命が惜しくば、大人しく我が軍門に降り勅に従え」
握る矛に力を込めて徐栄が叫び勧告する。
「この下衆が」
繰り出した矛は柳葉刀にいなされ、徐栄の鳩尾に激しく鋭い衝撃が走った。
徐栄はこみ上げてくる生温かいものを吐き出し、呂布を見下ろす。
儚き思いだった。
何が足りなかった。
若き頃から矛を振い、馬を駆り、戦ってきた。
寒く身を裂く様な風が吹き、痩せた大地。
ろくな農作物は育たず、ひもじい思いをするのは平民だけではなく、軍に身を置く徐栄も同様であった。
何進に召集された後の政変の折、董卓に取り立てられた。
董卓軍の将として、生活は一変した。
都の美味を食し、家僮を召抱えての生活。
跨る馬は逞しい西域の名馬に、鎧には煌びやかな装飾が施され、矛は鉄も貫くような業物に変わった。
地位も金も得られた時、更なる欲に出会った。
王允の指示に従い、事が成せれば手に入る筈だった。
約束された大将軍の地位は二の次だった。
霞む目を必死に屋敷に向け、息も絶え絶えに呟く。
「貂蝉……」
呂布は高々と掲げた戟を少し下ろし、柳葉刀を一閃する。
徐栄の頭と矛が力無く地に落ちる。
「と、殿。
門は破られましたが、ご家族が捕らえられたとの報せはまだです。
中で高と文遠が守っている筈です」
呂布は転がる徐栄の首を戟で刺し、下馬する。
「魏越、成廉と共に夜叉の爪牙を取りまとめろ。
俺は屋敷の中の片をつける。
この首を掲げて屋敷を取り囲む徐栄兵に降伏を勧告し、半刻経っても従わなければ殲滅しろ」
そう言うと呂布は追ってきた成廉に戟を渡し、足早に門をくぐっていった。
成廉が受け取った戟を高々と掲げ、魏越が叫ぶ。
「騎都尉・奮武将軍呂奉先、この騒乱の主徐栄を討ち取ったぞ」
その声は屋敷の中、高順や貂蝉、雪葉達の耳にも届いた。
屋敷の二階にいた家僮達が歓喜の声を上げる。
残すめぼしい将と言えるのは胡軫だけと見ていいだろう。
幾合と打ち合ったかもわからない張遼と胡軫。
二人の耳には魏越の声も表の喧騒も入らない。
将として人を率いる資質無く、地位を剥奪されたとは言え、個人の武としてはやはり侮れない。
「文遠、頑張れ。
殿が徐栄を討ち取ったぞ」
高順が檄を飛ばす。
「いたぞ、この部屋だ」
部屋に乱入し、振り返る高順達に襲いかかる徐栄兵。
夜叉の爪牙が身を挺して応戦する。
階下を守っていた夜叉の爪牙もやられたか。
「貴様らの主は我らが主、呂布に討ち取られた。
大人しく降伏せよ」
夜叉の爪牙と共に徐栄兵を斬り伏せながら高順は勧告する。
「黙れ、ならばせめて貴様らの首を手土産に殉ずるまでだ。
もう構わん、皆殺しだ」
徐栄が討たれても戦う兵。
忠誠心厚い兵だったのであろう。
だが主を失い、主に殉ずる手土産を求める様は無法の暴徒や賊と変わらない。
むしろ命を捨てて襲ってくる分、余計に質が悪い。
押し寄せる徐栄兵と懸命に戦う高順や夜叉の爪牙だが、一人また一人と倒れていく。
いつの間にか雪葉の持つ柳葉刀も血に濡れている。
そんな中、貂蝉はある臭いに気付いた。
何かが焦げ焼ける臭い。
部屋の入口の先に漂う煙が見える。
「徐栄が死んだならむしろ丁度いい。
ここで俺が呂布を殺して頂きに立つ。
燃やせ、呂布の縁者は全て殺し、燃やし、絶やせ」
中庭からの胡軫の声。
その直後だった。
「胡軫」
名を呼ぶ咆哮と共に胡軫の断末魔が響く。
貂蝉は中庭を覗く窓から身を乗り出して声の主を探す。
「奉先様」
横たわる胡軫の傍で張遼を助け起こし、屋敷を見上げた呂布と目が合った。
「貂蝉、そこにいたか。
雪葉や娘は無事か。
火が回っている。
早く降りてくるんだ」
屋敷の中からではわからないが、呂布の口振りでは火の手はかなり回っているのであろう。
「ですが、敵兵が……」
助けを求める貂蝉に呂布は力強く答える。
「わかった、今すぐ助けに行く」
躊躇なく火をつけられた屋敷に入る呂布を見て、貂蝉は安堵と共に小さな心の痛みを感じた。
妻や娘を案じる声を聞いた瞬間、胸に微かな嫉妬が去来する。
娘の顔を服の袖で覆って煙から守り、自らも柳葉刀を振るう雪葉。
人でありながら強く、そして美しい。
助け合い、支える。
私にそれができるのだろうか。
この人達が私を家族として受け入れてくれたとして、私はこの人達を家族として接する事ができるのだろうか。
心に走った痛み、それは愛情への独占欲。
自分だけを見てほしい。
偽らざる本音だった。
「ほら、あんまり顔出してると危ないよ」
雪葉がそう言って貂蝉の手を引く。
振り替えって雪葉の顔を見た貂蝉は、反射的にその手を振り払った。
雪葉は貂蝉の行動に驚きと戸惑いの表情をする。
貂蝉自身もまた自身の咄嗟の行動に困惑の顔をしている。
二人の間を気まずい雰囲気が包む。
「ほ、ほら、連中矢まで射ってきてるから……
何か気に障ったら謝るから」
雪葉が少し慌てた様子でしどろに弁明するが、その陳謝がかえって貂蝉の胸を刺す。
なぜ謝る。
なぜ私に気を使う。
雪葉の言う通り、徐栄が討たれてからは矢も放たれ、流れ矢に当たる危険もあった。
謝らなければならないのは雪葉の好意を邪険にした私。
私は……なぜ手を払い退けた……
「もうその斬馬剣は振るえまい」
顔を歪める魏越に徐栄は勝ち誇り、二人を囲む徐栄兵が歓声を上げる。
だがその歓声の向こうで更に大きな悲鳴が起こった。
徐栄は目を細め、悲鳴の先を見る。
燃え上がる炎のような血飛沫が舞い迫る。
「来たか」
徐栄の頬を一筋の汗が伝う。
当初の計画では董卓を討ったそのままに、郿塢へ差し向ける予定だった。
成廉を取り逃がし、ここに呂布軍が来たという事は、王允は逆らう呂布に殺されているのかもしれない。
もしそうならば互いに後ろ楯はない。
漢の都長安の覇権を賭け、そして一人の女を巡って争う二人の男でしかない。
夜叉や飛将と畏怖される呂布だが、徐栄自身も鮮卑や烏丸と戦い続け、孫堅や曹操を破ってきた。
天下に名を知られるに足る自負はある。
「魏越、大事の前の小事だ。
下がって大人しく降伏するか呂布に殉ずるか考えておけ」
引き抜いた矛の柄で魏越を馬から叩き落とし、迫る夜叉を待ち構える。
「徐栄」
空気を震わす咆哮と共に真紅の騎馬が飛翔した。
全身に浴びた返り血が糸引く様は赤く焼けた流星の如く。
右手に戟、左手に柳葉刀を広げる姿は嵐の中でも、悠然と大空を羽ばたく鵬の如く。
そしてその憤怒の表情は、まさに人喰らう夜叉。
「見よ、呂布。
既に門は破られた。
家族の命が惜しくば、大人しく我が軍門に降り勅に従え」
握る矛に力を込めて徐栄が叫び勧告する。
「この下衆が」
繰り出した矛は柳葉刀にいなされ、徐栄の鳩尾に激しく鋭い衝撃が走った。
徐栄はこみ上げてくる生温かいものを吐き出し、呂布を見下ろす。
儚き思いだった。
何が足りなかった。
若き頃から矛を振い、馬を駆り、戦ってきた。
寒く身を裂く様な風が吹き、痩せた大地。
ろくな農作物は育たず、ひもじい思いをするのは平民だけではなく、軍に身を置く徐栄も同様であった。
何進に召集された後の政変の折、董卓に取り立てられた。
董卓軍の将として、生活は一変した。
都の美味を食し、家僮を召抱えての生活。
跨る馬は逞しい西域の名馬に、鎧には煌びやかな装飾が施され、矛は鉄も貫くような業物に変わった。
地位も金も得られた時、更なる欲に出会った。
王允の指示に従い、事が成せれば手に入る筈だった。
約束された大将軍の地位は二の次だった。
霞む目を必死に屋敷に向け、息も絶え絶えに呟く。
「貂蝉……」
呂布は高々と掲げた戟を少し下ろし、柳葉刀を一閃する。
徐栄の頭と矛が力無く地に落ちる。
「と、殿。
門は破られましたが、ご家族が捕らえられたとの報せはまだです。
中で高と文遠が守っている筈です」
呂布は転がる徐栄の首を戟で刺し、下馬する。
「魏越、成廉と共に夜叉の爪牙を取りまとめろ。
俺は屋敷の中の片をつける。
この首を掲げて屋敷を取り囲む徐栄兵に降伏を勧告し、半刻経っても従わなければ殲滅しろ」
そう言うと呂布は追ってきた成廉に戟を渡し、足早に門をくぐっていった。
成廉が受け取った戟を高々と掲げ、魏越が叫ぶ。
「騎都尉・奮武将軍呂奉先、この騒乱の主徐栄を討ち取ったぞ」
その声は屋敷の中、高順や貂蝉、雪葉達の耳にも届いた。
屋敷の二階にいた家僮達が歓喜の声を上げる。
残すめぼしい将と言えるのは胡軫だけと見ていいだろう。
幾合と打ち合ったかもわからない張遼と胡軫。
二人の耳には魏越の声も表の喧騒も入らない。
将として人を率いる資質無く、地位を剥奪されたとは言え、個人の武としてはやはり侮れない。
「文遠、頑張れ。
殿が徐栄を討ち取ったぞ」
高順が檄を飛ばす。
「いたぞ、この部屋だ」
部屋に乱入し、振り返る高順達に襲いかかる徐栄兵。
夜叉の爪牙が身を挺して応戦する。
階下を守っていた夜叉の爪牙もやられたか。
「貴様らの主は我らが主、呂布に討ち取られた。
大人しく降伏せよ」
夜叉の爪牙と共に徐栄兵を斬り伏せながら高順は勧告する。
「黙れ、ならばせめて貴様らの首を手土産に殉ずるまでだ。
もう構わん、皆殺しだ」
徐栄が討たれても戦う兵。
忠誠心厚い兵だったのであろう。
だが主を失い、主に殉ずる手土産を求める様は無法の暴徒や賊と変わらない。
むしろ命を捨てて襲ってくる分、余計に質が悪い。
押し寄せる徐栄兵と懸命に戦う高順や夜叉の爪牙だが、一人また一人と倒れていく。
いつの間にか雪葉の持つ柳葉刀も血に濡れている。
そんな中、貂蝉はある臭いに気付いた。
何かが焦げ焼ける臭い。
部屋の入口の先に漂う煙が見える。
「徐栄が死んだならむしろ丁度いい。
ここで俺が呂布を殺して頂きに立つ。
燃やせ、呂布の縁者は全て殺し、燃やし、絶やせ」
中庭からの胡軫の声。
その直後だった。
「胡軫」
名を呼ぶ咆哮と共に胡軫の断末魔が響く。
貂蝉は中庭を覗く窓から身を乗り出して声の主を探す。
「奉先様」
横たわる胡軫の傍で張遼を助け起こし、屋敷を見上げた呂布と目が合った。
「貂蝉、そこにいたか。
雪葉や娘は無事か。
火が回っている。
早く降りてくるんだ」
屋敷の中からではわからないが、呂布の口振りでは火の手はかなり回っているのであろう。
「ですが、敵兵が……」
助けを求める貂蝉に呂布は力強く答える。
「わかった、今すぐ助けに行く」
躊躇なく火をつけられた屋敷に入る呂布を見て、貂蝉は安堵と共に小さな心の痛みを感じた。
妻や娘を案じる声を聞いた瞬間、胸に微かな嫉妬が去来する。
娘の顔を服の袖で覆って煙から守り、自らも柳葉刀を振るう雪葉。
人でありながら強く、そして美しい。
助け合い、支える。
私にそれができるのだろうか。
この人達が私を家族として受け入れてくれたとして、私はこの人達を家族として接する事ができるのだろうか。
心に走った痛み、それは愛情への独占欲。
自分だけを見てほしい。
偽らざる本音だった。
「ほら、あんまり顔出してると危ないよ」
雪葉がそう言って貂蝉の手を引く。
振り替えって雪葉の顔を見た貂蝉は、反射的にその手を振り払った。
雪葉は貂蝉の行動に驚きと戸惑いの表情をする。
貂蝉自身もまた自身の咄嗟の行動に困惑の顔をしている。
二人の間を気まずい雰囲気が包む。
「ほ、ほら、連中矢まで射ってきてるから……
何か気に障ったら謝るから」
雪葉が少し慌てた様子でしどろに弁明するが、その陳謝がかえって貂蝉の胸を刺す。
なぜ謝る。
なぜ私に気を使う。
雪葉の言う通り、徐栄が討たれてからは矢も放たれ、流れ矢に当たる危険もあった。
謝らなければならないのは雪葉の好意を邪険にした私。
私は……なぜ手を払い退けた……
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