25 / 27
第二十五話 家族
しおりを挟む
一口に屋敷と言っても呂布程の地位にある者であれば相当な広さを持つ。
馬を降りた張遼は徐栄兵と夜叉の爪牙が乱戦する中を斬馬剣を手に胡軫を探す。
高順や呂布の家族は恐らく屋敷の二階だろうか。
中庭まで出ると罵詈雑言を吐き散らしながら長刀を振るう大男を見つけた。
張遼は斬馬剣を握る手に力を込め、大男の名を叫びながら斬りかかった。
「胡軫」
斬馬剣を受け止める胡軫は殺意に満ちた目で張遼を睨み、そして嬉しそうに口元を歪めた。
「張遼か。
お前は殺すなとは言われてないな」
「ほざけ。
そういう事は俺を殺せる者が言う事だ」
張遼の斬馬剣を弾き返した胡軫が反撃する。
屋敷全体に鋭く激しい剣戟の響きがこだまする。
一方、屋敷の二階から高順は二人の一騎討ちの様子を伺う。
東西南北の部屋を走り、一階で戦う夜叉の爪牙に檄を飛ばして指揮を執る。
屋敷を守る夜叉の爪牙に対して、これを取り囲む徐栄兵との圧倒的兵数、戦力の差。
いざ戦場ではその差を覆し、あるいは拡げる為に将は日頃より兵の練度を高め、士気を高揚させ、陣形、戦術、謀略を用いる。
しかし騎馬兵で構成された夜叉の爪牙は広大な平地を縦横無尽に駆けてこそ力を発揮する。
狭い邸宅内では日頃培った武威も半減。
更に全く想定していなかった徐栄の奇襲に対して戦術や策を求めるのは高順に対してでなくとも酷な話であった。
出来る事は十の騎兵と共に成廉を逃がし、呂布に徐栄の奇襲を伝える事。
そして助けを待ち、ただ耐える事だけだった。
屋敷の外の喧騒や胡軫と斬り結ぶ張遼を見て、成廉が無事に追っ手を振りきり伝達の任を果たした事を確信する。
「ちょっと、状況変わったのかしら」
娘や貂蝉、他家僮達と共に部屋の隅に固まっていた雪葉が高順に尋ねる。
その目は決して囚われの身にはなるまいと気丈に燃え、その手には柳葉刀が握りしめられている。
高順は窓から外を覗こうとする雪葉に危ないから下がるよう窘め、自分が見た状況を説明する。
「成廉が役目を果たせたようです。
殿の姿はまだ確認できておりませんが、中庭で文遠が敵将の一人と戦っております。
劣勢である事に変わりはありませんが、風は吹いてきたかと思われます」
「大丈夫なのですか。
助かるのですか」
不安気に見上げる呂布の娘に、高順は努めて明るく笑顔を見せる。
「大丈夫です。
今、文遠が姫をお助けしようと階下で戦っております。
お父上も間もなくお見えになるでしょう」
それを聞いて娘は希望に顔を輝かせる。
貂蝉はそんな様子を呆然と眺めていた。
窮地にあっても降伏をよしとせず、主の家族を守ろうとする高順や夜叉の爪牙。
自ら刀を取って戦う姿勢を見せる妻。
僅かな援軍でも救いを信じる娘。
命乞いもせずに助けを待つ家僮達。
そんな人達を見捨てず死地に飛び込んできた張遼達。
誰一人として主、その家族、家人を見捨てて助かろうとする者はいない。
これが王允の屋敷であればどうであっただろうか
家僮達は四散し、王允の子らは父の権威の盾が通じぬとわかれば躊躇なく私を差し出し命乞いをするのではないか
王允の元だけではない。
今までの主の元でこれ程の一体感、結束を感じた事はない。
例え前夜に肌を重ねていたとしても、戦に敗れれば皆我先に逃げだした。
私を守ろうとした者など一人もいなかった。
それなのにこの人達は主の助けを信じ、他人である私も守ろうとしてくれる。
「ちょっとあんた、なに湿気た顔してるのよ、シャキッとしなさいよ。
これからあんたも私達の家族になるんでしょ」
見上げると手にした柳葉刀を肩に、凛とした目で雪葉が見ている。
「家族……」
貂蝉は意識になかった言葉に戸惑い、繰り返した。
貂蝉に家族はいない。
妖狐として気付いた時には一人だった。
親の顔は知らない。
力ある人や鳥獣、妖魔に狩られたのか、あるいは捨てられたのかもわからない。
虎や野干の類に追われ、人に怯えてながら暮らしてきた。
人の姿を得てからは人に仕えて主とし、その精を吸ってきた。
そしてある日、野盗に襲われて主を殺され、追われていた時に若かりし呂布に助けられた。
「そうだよ、家族だよ。
父上も母上も、文遠も高順も、みんな家族だよ」
娘の輝く瞳が眩しい。
「貂蝉と言ったね。
私達は血の繋がりがあろうがなかろうが、配下とか家僮とかの立場はあるにしても、あの人の元で家族なのよ。
だからあの人を信じて、助け合って、支え合っていくのよ。
そんな辛そうな顔してたらあの人まで辛くなるでしょ。
あの人は絶対に助けにくるから、元気だしなさいよ」
雪葉の叱咤が胸を包み込む。
語気は強いがどこか暖かく、そして懐かしい。
長く感じていた心の渇きが癒されていく。
昔あの人から感じていた潤い。
肌を重ねた事はなかったが、それなのに他の主の精を吸い、血の呪縛を受けながらも忘れられなかった心の潤い。
かつてそれが何なのかはわからなかったが、今は少しわかる。
徐栄の襲撃があってから間もなく、あれだけ王允の元へ帰りたかった気持ちは微塵もなくなった。
何度も肌を重ねてきた筈なのに、もう顔も朧にしか思い出せない。
血の呪縛から解放されたのだろう。
所詮は血によって生み出された虚構の愛情だったのか。
そして今はあの人が恋しく、愛しい。
早く、今すぐあの人に会いたい。
抱き締められたい。
この血の求めに依らぬ感情こそが長く錯覚していた愛情なのかもしれない。
だが貂蝉はその後の雪葉の言葉にはハッとした。
「あとね、こんな時に言うのも何だけど……
独り占めは許さないよ」
雪葉の顔は少し怒ったような、しかしどこか照れているような表情をしている。
そうかあの人を愛しているのは自分だけではない。
この人もあの人の愛情を受け、愛している。
貂蝉の脳裏に靄がかかるような疑問が生まれる。
家族の潤いをろくに知らない私が、この人達と家族になれるのだろうか。
人の愛情は平等に分かち合えるものなのだろうか。
今までは考えもしなかった。
権力ある男が複数の妻を持つ事は決して珍しくない。
家系を絶やさぬ為にはむしろ当たり前だと思っていた。
だけど今は違う。
私はこの人があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
この人は私があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
私は……
その時、屋敷の外で一際大きな声が沸き起こった。
馬を降りた張遼は徐栄兵と夜叉の爪牙が乱戦する中を斬馬剣を手に胡軫を探す。
高順や呂布の家族は恐らく屋敷の二階だろうか。
中庭まで出ると罵詈雑言を吐き散らしながら長刀を振るう大男を見つけた。
張遼は斬馬剣を握る手に力を込め、大男の名を叫びながら斬りかかった。
「胡軫」
斬馬剣を受け止める胡軫は殺意に満ちた目で張遼を睨み、そして嬉しそうに口元を歪めた。
「張遼か。
お前は殺すなとは言われてないな」
「ほざけ。
そういう事は俺を殺せる者が言う事だ」
張遼の斬馬剣を弾き返した胡軫が反撃する。
屋敷全体に鋭く激しい剣戟の響きがこだまする。
一方、屋敷の二階から高順は二人の一騎討ちの様子を伺う。
東西南北の部屋を走り、一階で戦う夜叉の爪牙に檄を飛ばして指揮を執る。
屋敷を守る夜叉の爪牙に対して、これを取り囲む徐栄兵との圧倒的兵数、戦力の差。
いざ戦場ではその差を覆し、あるいは拡げる為に将は日頃より兵の練度を高め、士気を高揚させ、陣形、戦術、謀略を用いる。
しかし騎馬兵で構成された夜叉の爪牙は広大な平地を縦横無尽に駆けてこそ力を発揮する。
狭い邸宅内では日頃培った武威も半減。
更に全く想定していなかった徐栄の奇襲に対して戦術や策を求めるのは高順に対してでなくとも酷な話であった。
出来る事は十の騎兵と共に成廉を逃がし、呂布に徐栄の奇襲を伝える事。
そして助けを待ち、ただ耐える事だけだった。
屋敷の外の喧騒や胡軫と斬り結ぶ張遼を見て、成廉が無事に追っ手を振りきり伝達の任を果たした事を確信する。
「ちょっと、状況変わったのかしら」
娘や貂蝉、他家僮達と共に部屋の隅に固まっていた雪葉が高順に尋ねる。
その目は決して囚われの身にはなるまいと気丈に燃え、その手には柳葉刀が握りしめられている。
高順は窓から外を覗こうとする雪葉に危ないから下がるよう窘め、自分が見た状況を説明する。
「成廉が役目を果たせたようです。
殿の姿はまだ確認できておりませんが、中庭で文遠が敵将の一人と戦っております。
劣勢である事に変わりはありませんが、風は吹いてきたかと思われます」
「大丈夫なのですか。
助かるのですか」
不安気に見上げる呂布の娘に、高順は努めて明るく笑顔を見せる。
「大丈夫です。
今、文遠が姫をお助けしようと階下で戦っております。
お父上も間もなくお見えになるでしょう」
それを聞いて娘は希望に顔を輝かせる。
貂蝉はそんな様子を呆然と眺めていた。
窮地にあっても降伏をよしとせず、主の家族を守ろうとする高順や夜叉の爪牙。
自ら刀を取って戦う姿勢を見せる妻。
僅かな援軍でも救いを信じる娘。
命乞いもせずに助けを待つ家僮達。
そんな人達を見捨てず死地に飛び込んできた張遼達。
誰一人として主、その家族、家人を見捨てて助かろうとする者はいない。
これが王允の屋敷であればどうであっただろうか
家僮達は四散し、王允の子らは父の権威の盾が通じぬとわかれば躊躇なく私を差し出し命乞いをするのではないか
王允の元だけではない。
今までの主の元でこれ程の一体感、結束を感じた事はない。
例え前夜に肌を重ねていたとしても、戦に敗れれば皆我先に逃げだした。
私を守ろうとした者など一人もいなかった。
それなのにこの人達は主の助けを信じ、他人である私も守ろうとしてくれる。
「ちょっとあんた、なに湿気た顔してるのよ、シャキッとしなさいよ。
これからあんたも私達の家族になるんでしょ」
見上げると手にした柳葉刀を肩に、凛とした目で雪葉が見ている。
「家族……」
貂蝉は意識になかった言葉に戸惑い、繰り返した。
貂蝉に家族はいない。
妖狐として気付いた時には一人だった。
親の顔は知らない。
力ある人や鳥獣、妖魔に狩られたのか、あるいは捨てられたのかもわからない。
虎や野干の類に追われ、人に怯えてながら暮らしてきた。
人の姿を得てからは人に仕えて主とし、その精を吸ってきた。
そしてある日、野盗に襲われて主を殺され、追われていた時に若かりし呂布に助けられた。
「そうだよ、家族だよ。
父上も母上も、文遠も高順も、みんな家族だよ」
娘の輝く瞳が眩しい。
「貂蝉と言ったね。
私達は血の繋がりがあろうがなかろうが、配下とか家僮とかの立場はあるにしても、あの人の元で家族なのよ。
だからあの人を信じて、助け合って、支え合っていくのよ。
そんな辛そうな顔してたらあの人まで辛くなるでしょ。
あの人は絶対に助けにくるから、元気だしなさいよ」
雪葉の叱咤が胸を包み込む。
語気は強いがどこか暖かく、そして懐かしい。
長く感じていた心の渇きが癒されていく。
昔あの人から感じていた潤い。
肌を重ねた事はなかったが、それなのに他の主の精を吸い、血の呪縛を受けながらも忘れられなかった心の潤い。
かつてそれが何なのかはわからなかったが、今は少しわかる。
徐栄の襲撃があってから間もなく、あれだけ王允の元へ帰りたかった気持ちは微塵もなくなった。
何度も肌を重ねてきた筈なのに、もう顔も朧にしか思い出せない。
血の呪縛から解放されたのだろう。
所詮は血によって生み出された虚構の愛情だったのか。
そして今はあの人が恋しく、愛しい。
早く、今すぐあの人に会いたい。
抱き締められたい。
この血の求めに依らぬ感情こそが長く錯覚していた愛情なのかもしれない。
だが貂蝉はその後の雪葉の言葉にはハッとした。
「あとね、こんな時に言うのも何だけど……
独り占めは許さないよ」
雪葉の顔は少し怒ったような、しかしどこか照れているような表情をしている。
そうかあの人を愛しているのは自分だけではない。
この人もあの人の愛情を受け、愛している。
貂蝉の脳裏に靄がかかるような疑問が生まれる。
家族の潤いをろくに知らない私が、この人達と家族になれるのだろうか。
人の愛情は平等に分かち合えるものなのだろうか。
今までは考えもしなかった。
権力ある男が複数の妻を持つ事は決して珍しくない。
家系を絶やさぬ為にはむしろ当たり前だと思っていた。
だけど今は違う。
私はこの人があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
この人は私があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
私は……
その時、屋敷の外で一際大きな声が沸き起こった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。

江戸の櫛
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
奥村仁一郎は、殺された父の仇を討つこととなった。目指す仇は幼なじみの高野孝輔。孝輔の妻は、密かに想いを寄せていた静代だった。(舞台は架空の土地)短編。完結済。第8回歴史・時代小説大賞奨励賞。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!



鬼の桃姫
井田いづ
歴史・時代
これはむかしむかしの物語。鬼の頭領である桃姫は日々"狩り"をしながら平和に島を治めていた。ある日のこと、鬼退治を掲げた人間が島に攻め入って来たとの知らせが入る。桃姫の夢と城が崩れ始めた────。
+++++++++++++++++
当作品は『桃太郎』『吉備津彦命の温羅退治』をベースに創作しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる