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第二十五話 家族
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一口に屋敷と言っても呂布程の地位にある者であれば相当な広さを持つ。
馬を降りた張遼は徐栄兵と夜叉の爪牙が乱戦する中を斬馬剣を手に胡軫を探す。
高順や呂布の家族は恐らく屋敷の二階だろうか。
中庭まで出ると罵詈雑言を吐き散らしながら長刀を振るう大男を見つけた。
張遼は斬馬剣を握る手に力を込め、大男の名を叫びながら斬りかかった。
「胡軫」
斬馬剣を受け止める胡軫は殺意に満ちた目で張遼を睨み、そして嬉しそうに口元を歪めた。
「張遼か。
お前は殺すなとは言われてないな」
「ほざけ。
そういう事は俺を殺せる者が言う事だ」
張遼の斬馬剣を弾き返した胡軫が反撃する。
屋敷全体に鋭く激しい剣戟の響きがこだまする。
一方、屋敷の二階から高順は二人の一騎討ちの様子を伺う。
東西南北の部屋を走り、一階で戦う夜叉の爪牙に檄を飛ばして指揮を執る。
屋敷を守る夜叉の爪牙に対して、これを取り囲む徐栄兵との圧倒的兵数、戦力の差。
いざ戦場ではその差を覆し、あるいは拡げる為に将は日頃より兵の練度を高め、士気を高揚させ、陣形、戦術、謀略を用いる。
しかし騎馬兵で構成された夜叉の爪牙は広大な平地を縦横無尽に駆けてこそ力を発揮する。
狭い邸宅内では日頃培った武威も半減。
更に全く想定していなかった徐栄の奇襲に対して戦術や策を求めるのは高順に対してでなくとも酷な話であった。
出来る事は十の騎兵と共に成廉を逃がし、呂布に徐栄の奇襲を伝える事。
そして助けを待ち、ただ耐える事だけだった。
屋敷の外の喧騒や胡軫と斬り結ぶ張遼を見て、成廉が無事に追っ手を振りきり伝達の任を果たした事を確信する。
「ちょっと、状況変わったのかしら」
娘や貂蝉、他家僮達と共に部屋の隅に固まっていた雪葉が高順に尋ねる。
その目は決して囚われの身にはなるまいと気丈に燃え、その手には柳葉刀が握りしめられている。
高順は窓から外を覗こうとする雪葉に危ないから下がるよう窘め、自分が見た状況を説明する。
「成廉が役目を果たせたようです。
殿の姿はまだ確認できておりませんが、中庭で文遠が敵将の一人と戦っております。
劣勢である事に変わりはありませんが、風は吹いてきたかと思われます」
「大丈夫なのですか。
助かるのですか」
不安気に見上げる呂布の娘に、高順は努めて明るく笑顔を見せる。
「大丈夫です。
今、文遠が姫をお助けしようと階下で戦っております。
お父上も間もなくお見えになるでしょう」
それを聞いて娘は希望に顔を輝かせる。
貂蝉はそんな様子を呆然と眺めていた。
窮地にあっても降伏をよしとせず、主の家族を守ろうとする高順や夜叉の爪牙。
自ら刀を取って戦う姿勢を見せる妻。
僅かな援軍でも救いを信じる娘。
命乞いもせずに助けを待つ家僮達。
そんな人達を見捨てず死地に飛び込んできた張遼達。
誰一人として主、その家族、家人を見捨てて助かろうとする者はいない。
これが王允の屋敷であればどうであっただろうか
家僮達は四散し、王允の子らは父の権威の盾が通じぬとわかれば躊躇なく私を差し出し命乞いをするのではないか
王允の元だけではない。
今までの主の元でこれ程の一体感、結束を感じた事はない。
例え前夜に肌を重ねていたとしても、戦に敗れれば皆我先に逃げだした。
私を守ろうとした者など一人もいなかった。
それなのにこの人達は主の助けを信じ、他人である私も守ろうとしてくれる。
「ちょっとあんた、なに湿気た顔してるのよ、シャキッとしなさいよ。
これからあんたも私達の家族になるんでしょ」
見上げると手にした柳葉刀を肩に、凛とした目で雪葉が見ている。
「家族……」
貂蝉は意識になかった言葉に戸惑い、繰り返した。
貂蝉に家族はいない。
妖狐として気付いた時には一人だった。
親の顔は知らない。
力ある人や鳥獣、妖魔に狩られたのか、あるいは捨てられたのかもわからない。
虎や野干の類に追われ、人に怯えてながら暮らしてきた。
人の姿を得てからは人に仕えて主とし、その精を吸ってきた。
そしてある日、野盗に襲われて主を殺され、追われていた時に若かりし呂布に助けられた。
「そうだよ、家族だよ。
父上も母上も、文遠も高順も、みんな家族だよ」
娘の輝く瞳が眩しい。
「貂蝉と言ったね。
私達は血の繋がりがあろうがなかろうが、配下とか家僮とかの立場はあるにしても、あの人の元で家族なのよ。
だからあの人を信じて、助け合って、支え合っていくのよ。
そんな辛そうな顔してたらあの人まで辛くなるでしょ。
あの人は絶対に助けにくるから、元気だしなさいよ」
雪葉の叱咤が胸を包み込む。
語気は強いがどこか暖かく、そして懐かしい。
長く感じていた心の渇きが癒されていく。
昔あの人から感じていた潤い。
肌を重ねた事はなかったが、それなのに他の主の精を吸い、血の呪縛を受けながらも忘れられなかった心の潤い。
かつてそれが何なのかはわからなかったが、今は少しわかる。
徐栄の襲撃があってから間もなく、あれだけ王允の元へ帰りたかった気持ちは微塵もなくなった。
何度も肌を重ねてきた筈なのに、もう顔も朧にしか思い出せない。
血の呪縛から解放されたのだろう。
所詮は血によって生み出された虚構の愛情だったのか。
そして今はあの人が恋しく、愛しい。
早く、今すぐあの人に会いたい。
抱き締められたい。
この血の求めに依らぬ感情こそが長く錯覚していた愛情なのかもしれない。
だが貂蝉はその後の雪葉の言葉にはハッとした。
「あとね、こんな時に言うのも何だけど……
独り占めは許さないよ」
雪葉の顔は少し怒ったような、しかしどこか照れているような表情をしている。
そうかあの人を愛しているのは自分だけではない。
この人もあの人の愛情を受け、愛している。
貂蝉の脳裏に靄がかかるような疑問が生まれる。
家族の潤いをろくに知らない私が、この人達と家族になれるのだろうか。
人の愛情は平等に分かち合えるものなのだろうか。
今までは考えもしなかった。
権力ある男が複数の妻を持つ事は決して珍しくない。
家系を絶やさぬ為にはむしろ当たり前だと思っていた。
だけど今は違う。
私はこの人があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
この人は私があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
私は……
その時、屋敷の外で一際大きな声が沸き起こった。
馬を降りた張遼は徐栄兵と夜叉の爪牙が乱戦する中を斬馬剣を手に胡軫を探す。
高順や呂布の家族は恐らく屋敷の二階だろうか。
中庭まで出ると罵詈雑言を吐き散らしながら長刀を振るう大男を見つけた。
張遼は斬馬剣を握る手に力を込め、大男の名を叫びながら斬りかかった。
「胡軫」
斬馬剣を受け止める胡軫は殺意に満ちた目で張遼を睨み、そして嬉しそうに口元を歪めた。
「張遼か。
お前は殺すなとは言われてないな」
「ほざけ。
そういう事は俺を殺せる者が言う事だ」
張遼の斬馬剣を弾き返した胡軫が反撃する。
屋敷全体に鋭く激しい剣戟の響きがこだまする。
一方、屋敷の二階から高順は二人の一騎討ちの様子を伺う。
東西南北の部屋を走り、一階で戦う夜叉の爪牙に檄を飛ばして指揮を執る。
屋敷を守る夜叉の爪牙に対して、これを取り囲む徐栄兵との圧倒的兵数、戦力の差。
いざ戦場ではその差を覆し、あるいは拡げる為に将は日頃より兵の練度を高め、士気を高揚させ、陣形、戦術、謀略を用いる。
しかし騎馬兵で構成された夜叉の爪牙は広大な平地を縦横無尽に駆けてこそ力を発揮する。
狭い邸宅内では日頃培った武威も半減。
更に全く想定していなかった徐栄の奇襲に対して戦術や策を求めるのは高順に対してでなくとも酷な話であった。
出来る事は十の騎兵と共に成廉を逃がし、呂布に徐栄の奇襲を伝える事。
そして助けを待ち、ただ耐える事だけだった。
屋敷の外の喧騒や胡軫と斬り結ぶ張遼を見て、成廉が無事に追っ手を振りきり伝達の任を果たした事を確信する。
「ちょっと、状況変わったのかしら」
娘や貂蝉、他家僮達と共に部屋の隅に固まっていた雪葉が高順に尋ねる。
その目は決して囚われの身にはなるまいと気丈に燃え、その手には柳葉刀が握りしめられている。
高順は窓から外を覗こうとする雪葉に危ないから下がるよう窘め、自分が見た状況を説明する。
「成廉が役目を果たせたようです。
殿の姿はまだ確認できておりませんが、中庭で文遠が敵将の一人と戦っております。
劣勢である事に変わりはありませんが、風は吹いてきたかと思われます」
「大丈夫なのですか。
助かるのですか」
不安気に見上げる呂布の娘に、高順は努めて明るく笑顔を見せる。
「大丈夫です。
今、文遠が姫をお助けしようと階下で戦っております。
お父上も間もなくお見えになるでしょう」
それを聞いて娘は希望に顔を輝かせる。
貂蝉はそんな様子を呆然と眺めていた。
窮地にあっても降伏をよしとせず、主の家族を守ろうとする高順や夜叉の爪牙。
自ら刀を取って戦う姿勢を見せる妻。
僅かな援軍でも救いを信じる娘。
命乞いもせずに助けを待つ家僮達。
そんな人達を見捨てず死地に飛び込んできた張遼達。
誰一人として主、その家族、家人を見捨てて助かろうとする者はいない。
これが王允の屋敷であればどうであっただろうか
家僮達は四散し、王允の子らは父の権威の盾が通じぬとわかれば躊躇なく私を差し出し命乞いをするのではないか
王允の元だけではない。
今までの主の元でこれ程の一体感、結束を感じた事はない。
例え前夜に肌を重ねていたとしても、戦に敗れれば皆我先に逃げだした。
私を守ろうとした者など一人もいなかった。
それなのにこの人達は主の助けを信じ、他人である私も守ろうとしてくれる。
「ちょっとあんた、なに湿気た顔してるのよ、シャキッとしなさいよ。
これからあんたも私達の家族になるんでしょ」
見上げると手にした柳葉刀を肩に、凛とした目で雪葉が見ている。
「家族……」
貂蝉は意識になかった言葉に戸惑い、繰り返した。
貂蝉に家族はいない。
妖狐として気付いた時には一人だった。
親の顔は知らない。
力ある人や鳥獣、妖魔に狩られたのか、あるいは捨てられたのかもわからない。
虎や野干の類に追われ、人に怯えてながら暮らしてきた。
人の姿を得てからは人に仕えて主とし、その精を吸ってきた。
そしてある日、野盗に襲われて主を殺され、追われていた時に若かりし呂布に助けられた。
「そうだよ、家族だよ。
父上も母上も、文遠も高順も、みんな家族だよ」
娘の輝く瞳が眩しい。
「貂蝉と言ったね。
私達は血の繋がりがあろうがなかろうが、配下とか家僮とかの立場はあるにしても、あの人の元で家族なのよ。
だからあの人を信じて、助け合って、支え合っていくのよ。
そんな辛そうな顔してたらあの人まで辛くなるでしょ。
あの人は絶対に助けにくるから、元気だしなさいよ」
雪葉の叱咤が胸を包み込む。
語気は強いがどこか暖かく、そして懐かしい。
長く感じていた心の渇きが癒されていく。
昔あの人から感じていた潤い。
肌を重ねた事はなかったが、それなのに他の主の精を吸い、血の呪縛を受けながらも忘れられなかった心の潤い。
かつてそれが何なのかはわからなかったが、今は少しわかる。
徐栄の襲撃があってから間もなく、あれだけ王允の元へ帰りたかった気持ちは微塵もなくなった。
何度も肌を重ねてきた筈なのに、もう顔も朧にしか思い出せない。
血の呪縛から解放されたのだろう。
所詮は血によって生み出された虚構の愛情だったのか。
そして今はあの人が恋しく、愛しい。
早く、今すぐあの人に会いたい。
抱き締められたい。
この血の求めに依らぬ感情こそが長く錯覚していた愛情なのかもしれない。
だが貂蝉はその後の雪葉の言葉にはハッとした。
「あとね、こんな時に言うのも何だけど……
独り占めは許さないよ」
雪葉の顔は少し怒ったような、しかしどこか照れているような表情をしている。
そうかあの人を愛しているのは自分だけではない。
この人もあの人の愛情を受け、愛している。
貂蝉の脳裏に靄がかかるような疑問が生まれる。
家族の潤いをろくに知らない私が、この人達と家族になれるのだろうか。
人の愛情は平等に分かち合えるものなのだろうか。
今までは考えもしなかった。
権力ある男が複数の妻を持つ事は決して珍しくない。
家系を絶やさぬ為にはむしろ当たり前だと思っていた。
だけど今は違う。
私はこの人があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
この人は私があの人に抱かれる事を許容できるだろうか。
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