妖狐連環譚

井上 滋瑛

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第二十一話 企図

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 全身の血の気が引いた呂布だが、王允の屋敷が近付くにつれて逆に血が沸き立っていく。
 屋敷に着くなり赤兎から飛び降りる勢いで下馬し、乱暴に門を叩いた。
 恐る恐る門を開けた家僮の制止を振り切り、押し入るように屋敷にあがる。
「王司徒はおられるか」
 怒号に近い声が屋敷に響き渡った。
 群がってくる家僮を押し分けて、目を赤く腫らした貂蝉が駆け寄ってくる。
 呂布の胸に飛び込み、声を震わせて懇願する。
「助けて……ください」
 そして貂蝉から少し遅れて、落ち着き払った王允が姿を現した。
「司徒」
 呂布は貂蝉の肩を押さえ、董卓から聞かされた話を問い詰める。
「呂騎都尉、落ち着いてくだされ。
 私とて望んで貂蝉を太師の元に送り出すわけではありません。
 ですが私も太師には逆らえません。
 呂騎都尉と同じように、太師が恐ろしい」
 挑発するかのような言葉に呂布は王允を睨み付ける。
「俺が太師を恐れているだと」
「そうではありませんか。
 太師がそのお話をなさった時、呂騎都尉は太師に何とお話になりましたか。
 自分も貂蝉を求めている旨、お話になりましたか。
 貂蝉を守ろうと、何かを進言されましたか。
 太師の決定に逆らえなかったのではありませんか」
 呂布は歯軋りして押し黙った。
 それと同時に呂布は王允の言葉に違和感を感じていた。
 何故ここまで落ち着き払っていられる。
 例え女を道具として扱うような男であったとしても、一度妖狐に魅せられた男が、こうも冷静に妖狐を手放せるものか。
 王允は沈黙の呂布に畳み掛けるように言う。
「やはり呂騎都尉も太師の義子。
 夜叉や飛将と謳われながらも、太師には従うしかありますまい。
 私自身貂蝉を手放したくはありませんが、我が身には変えられますまい。
 いえ、仕方のないことです。
 呂騎都尉を主殺しと悪く言う者をいますが、ここで義父に逆らうとなれば更に何と言われるか。
 貂蝉には可哀想ですが、お互い我が身が一番ですからな」
 手放したくない、とは言いながらもその言葉に躊躇や悩みの色は感じられない。
 まさかこの男、何らかの形で貂蝉が妖狐であると勘づいたのか。
 いや、だがもしそうだとすれば……
 呂布は王允を試すように問う
「王司徒、何とかする手立てはないのか」
 王允の目が光る。
 心なしか笑みを浮かべたようにも見えた。
「呂騎都尉。
 貂蝉を太師から守る手立て、無いこともありませんが、それは言葉にするも恐ろしい事ですぞ」
 呂布は確信する。
 王允は何らかの形で貂蝉を妖狐と認識し、董卓を亡きものにする算段をつけたのだ。
 貂蝉を手放し、俺を策で踊らそうとしている。
 いや、自分だけではない。
 俺が動いて董卓を斬ればそれでよし。
 この話を聞き、同じく貂蝉を求める徐栄が動いてもまたよし。
 そのいずれもが失敗したとしても、董卓が貂蝉を抱いて精を吸われ、命を削れればよし。
 王允はこれで貂蝉、俺、徐栄の三人を刺客に得る事になるのだ。
「俺はお前を信用している訳ではないが、貂蝉を守る為であるならお前の言に従おう」
 司徒王允をお前呼ばわりなどと、無礼な口振りの呂布。
 主を目の前にしながら、その呂布に泣きつく貂蝉。
 そしてそんな二人を意に介する様子もなく平然としている王允。
 以前の王允であれば今の貂蝉の態度を目の当たりにされば激昂し、貂蝉を殴打していたであろう。
 三人を取り囲む家僮達にはそれは余りに常軌を逸した光景であり、何か不穏なものを予感させた。
 そんな中、一人の家僮が恐る恐る王允に歩み寄った。
「王司徒、董太師の使いの方がお見えでございますが……」
 王允は使いを客間に案内するよう指示をする。
 周囲の家僮達を持ち場に戻らせ、貂蝉には呂布と共に別室へ向かわせた。
 王允に指示された別室に呂布を案内し、二人きりになった貂蝉は再度呂布に助けを求めた。

 呂布は真剣な眼差しで貂蝉を見つめる。
「貂蝉、俺の思惑とは異なる形で事は動き出した。
 残念ながら最早お前にとって最良の願いは叶わないだろう。
 一つ聞くが、俺と董卓と徐栄、お前はいずれを望む」
 呂布の示す選択肢に王允の名はない。
 その意味は貂蝉にも理解できた。
 最近の王允の態度で薄々感じていた。
 屋敷の庭で呂布と二人で話をし、強く拒絶されたあの夜以来、王允は自分を抱こうとしない。
 誘ってはみるものの、疲れていると邪険にされる。
 何故。
 未熟とは言え、妖狐の蠱惑を理由なく断ち切れる人間がそういるわけがない。
 まさか本性を悟られたのか。
「さっきの態度、様子から察するに、王允は既にお前を手元に残そうとは考えていない」
 呂布の厳然とした言葉に貂蝉は深く項垂れる。
溢れた水滴が床を濡らす。
「私は……
 先日お話ししたように、今の私に、司徒の元に留まる以外の望みはありません。
 ですが、あくまで仮のお話であれば、奉先様の元を望みます」
 呂布はそれを聞くと貂蝉を強く抱き締め、言葉に力を込める。
「俺はお前の為、汚名に汚名を重ね、人喰らう悪鬼、夜叉となろう。
 場合によっては、例えお前に恨まれようとも、お前を血の呪縛から解放して俺のものにする」
 そこへ王允が入室してくる。
 臆面なく貂蝉を抱いたまま、呂布は王允に向き直って言う。
「王允。
 お前は己の欲しか考えず、人を道具と扱い、そして心を踏みにじり、切り捨てようとしている。
 相容れようとは思わぬが、今は貂蝉の為にお前の描く企図に乗ってやる」
 呂布の棘ある言葉にも王允は不敵に笑い、目を光らせる。
「結構でございます。
 使いの方から明日の太師の予定は聞きました。
 では私達のすべきお話をしましょう」
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