上 下
18 / 40
第一部

3章-5

しおりを挟む
 カテリアーナを乗せた馬車はエルファーレン王国との国境シド島に近づいてくる。

「王女殿下、まもなく国境でございます」

 護衛騎士として向かい側に座っているアイザックが窓の外に目を向ける。カテリアーナはアイザックの視線の先を辿り、自らも窓の外に目を向けた。

「あれがシド島」

 遠くに見える湖に浮かぶ中洲シド島をカテリアーナはじっと眺める。

 エルファーレン王国へ行くには、この中洲を通っていくルートしかない。

 迂回ルートがないわけではない。湖の周りにそびえたつ山を越えればいいのだが、標高が高く、山道は険しいうえに、危険な獣がいる。さらに妖精の国側には魔物がいるのだ。人間が越えられるルートではない。

「殿下……。無理に妖精の国へ嫁ぐことはないのですよ。このまま隣国へ亡命するという手もございます」
「アイザック卿、それはできません。わたくしが亡命をすれば、王国騎士団に罰が下ります」
「裏工作は何とでもなります」
「なりません! 裏工作とは不慮の事故を装うことですか? それともわたくしが独断で逃げたことにしますか? どの道をとるにしても国王陛下が王国騎士団を許すとは思えません」

 父のハーディスと会ったのは数回だが、祖母クローディアから父のことは聞いている。幼い頃、国王として即位し、狡猾な大人に囲まれて育ったハーディスは疑り深い性格になってしまったのだ。

 ここでカテリアーナが逃げだせば、王国騎士団はどこまでも追求されるだろう。

 たとえ『妖精の取り替え子』だとしても、カテリアーナががいなくなれば、ハーディスは王国騎士団とアイザックを許さないだろう。切り札になるはずだったのだから。

「この話は聞かなかったことにします」

 それきりカテリアーナは口を閉ざしてしまった。

◇◇◇

 湖に浮かぶ中洲からこちらを見送るカテリアーナの姿をアイザックは目に焼きつける。

「アイザック、行くぞ」

 父である王国騎士団長ストリングスに声をかけられ、アイザックは馬首を返す。

「カテリアーナ姫の行く末が気になるか?」

 アイザックと馬首を並べたストリングスは前方を見据えながら、そう問いかけてくる。

「当然です。未知の世界にたった一人で行かせるなど、国王陛下は何を考えておられるのか」

 カテリアーナが七歳の時に彼女の護衛騎士となったアイザックは、王宮の塔に閉じ込められるまで、そばで見守ってきたのだ。気にならないほうがおかしい。

 アイザックは幼かったカテリアーナを思い浮かべる。
 
 活発な王女は離宮の庭園にあった高い木に登ったり、鞍を着けていない馬に乗ったりと大変なお転婆姫だった。その度に祖母に叱られて、頬を膨らませていたカテリアーナは子供らしい子供だったのだ。
 
 だからこそ、十六歳になったカテリアーナを久しぶりに見た時、アイザックはあまりの美しさに思わず息をのんだ。人間離れしたその美しさは形容することができなかった。

「カテリアーナ姫をエルファーレン王国へ嫁がせると、会議で突然陛下が仰られた時は儂もお前と同じ気持ちだった」
「でしたら、なぜ殿下を引き留めなかったのですか? 父上」
「あのままラストリア王国にいてもカテリアーナ姫は不幸なだけだ」

 ストリングスは眉を顰める。ラストリア王宮でカテリアーナの味方は一人もいない。使用人ですら、不敬とも思わずカテリアーナを『取り替え姫』と呼び蔑む。

「エルファーレン王国は妖精の国です。妖精が人間の殿下を受け入れるとも思えません」
「いや。エルファーレンの国王は懐が深い人物と聞く」
「人ではなく妖精です。エルファーレンの国王は怪物のような姿という噂しか聞いておりません。殿下が食べられてしまったらどうするのですか?」

 捲し立てる息子を宥めるために、ストリングスはアイザックへ顔を向ける。アイザックは騎士としては一流なのだが、一本気な性格が玉に瑕だ。

「落ち着け。妖精は人間を食わない」

 ストリングスも実際にエルファーレンの国王の姿は知らない。

 人間でエルファーレン王国への入国を許されているのは、隣国オルヴァーレン帝国のカルヴァン商会のみだった。

 だが、三年前にラストリア王国のオーガスタ商会もエルファーレン王国への入国を許可されたのだ。

 オーガスタ商会の会頭ベアトリクスはストリングスの騎士学校時代の友人だった。今でも親交はあるので、時々飲みに行ったりしている。

 ベアトリクスは剣の腕が恐ろしくたつ。男装して騎士になったことがばれなければ、王国騎士団長になっていたのは彼女だったかもしれない。

 男装がばれて騎士の位を剥奪はくだつされたベアトリクスは、実家のオーガスタ商会を継いだ。
彼女は商才もあったらしく、エルファーレン王国への入国許可まで取り付けた手腕は大したものだとストリングスは思う。

 先日、ストリングスはベアトリクスと酒を飲みに行った時のことを思い出す。酒の席でエルファーレン王国へ商談に行った時の話を延々と聞かされたのだ。商談の際、エルファーレンの国王と謁見したことも得意気に語っていた。

「とにかくね。懐が深いというか、できた人物? 妖精猫だからお猫様かしら? だったのよ」

 それと「もふもふが溜まらなかった」ともベアトリクスは言っていたが、ストリングスには理解できなかった。

 ベアトリクスは少々がさつなところがある女性だが、信頼がおける。彼女の言うことは本当だろう。

 ストリングスは空を仰ぐと、ひとりごちる。

「カテリアーナ姫が幸せになることを祈るばかりだ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。

豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」 「はあ?」 初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた? 脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ? なろう様でも公開中です。

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

処理中です...