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本編

二月四日の朝

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「ふわああ、眠い」

 昨日、覚えている限りのエピソードをノートに書いていたせいで寝不足だ。
 目覚ましにセットしているスマホのアラームが鳴り響く中、爆睡して朝食の時間を犠牲にして寝まくった。元々そんなに食欲旺盛な方じゃないから朝食抜きは全然苦じゃない。むしろ朝は食欲無い方だから食べなくても平気だ、ただもの凄く眠くてふらふらする。

「授業中寝ちゃいそうだな。具合悪いって言って保健室行こうかな」

 寮から学校に向かう途中、鞄を枕代わりに抱えながらそんな事を考える。
 この体、無理をした経験皆無のせいか一晩寝るのが遅くなっただけでも、結構辛い。
 ちょっと貧血っぽい感じに世界がふわふわしてる。
 こんな軟弱で大丈夫なのかと、前世の記憶を取り戻した僕は考えるけれど。恐ろしい事にこの世界、貴族家嫡男とそのスペア以外は愛妾候補として育てられる傾向が強くて、強さとか男らしさとかそういう物は求められていないし、娘がいない家では政略結婚の駒として育てらてる事も多々ある。
 ちなみに、僕はどちらかといえばどこぞの貴族に愛妾として嫁がされる予定枠として育てられてるんじゃないかという疑惑が、ちょっとある。
 僕は次男だから、本来ならスペア枠なんだけれど。
 家を継ぐ予定の長兄、その兄を補佐する又は長兄が何かあった時の為のスペア枠の三男。家の場合はそんな感じ。次男である僕はスペア枠には考えられていない気がする。

「卒業したら、家にとって都合がいい相手に嫁がされるのかな」

 長男である兄は優秀で、弟は結構野心家だけど兄の補佐として生きていこうという感じは持っている気がする。兄はこの学校を卒業していて、弟は別の学校に通っているけれど僕とは真逆の性格だ。
 僕だけ世間知らずになるように育てられた。前世の記憶を取り戻したから分る。僕だけ男尊女卑の世界の女性の様な思考になる様に教育されてきた。
 恐ろしい事に、そういう教育をされてきたんだろうなという人は学校内にちらほら確認出来る。前世を思い出さなかったら、違和感すら覚えなかった話だ。

「まあ、どこか会社に勤めるとか自分で仕事見つけるとか、そういうの考えられないからそういう未来でも全然いいんだけどさ」

 貴族の家に生まれて、平民の様に自分で就職活動するのは難しいだろうというのは容易に想像がつくし、僕には無理だと分っている。
 爵位でいえば中級の、親が治める領地はそこそこ裕福でお金の苦労なんて皆無、ついでに努力とか根性とか駆け引きとかの思考も皆無に教育されてきた僕に、貴族位を無くして自分でお金を稼いで生きていく未来なんて想像すら出来ないのだ。そういう意味では親のした教育は上手く僕の中に浸透していると思う。

「卒業したらどこかの家に嫁がされるんだろうな」

 自分で就職先を探す未来が考えられない以上、親が決めた相手に嫁ぐ未来しかない。
 親が決める前に、親が納得しそうな相手を見つけたら恋愛結婚出来るかもしれないけれど殆ど望み薄だ。

「好きじゃない相手の妾とか、絶望しかないけど。雅以外なら誰だって一緒だもんなあ」

 そう考える僕の思考は、もう終わってる。
 前世の俺の思考なら親に将来決められるなんてごめんだと思うけれど、今世の僕の思考は仕方ないと諦めている。貴族と平民の壁は厚過ぎる位に厚いし、それを超えて仕事を探そうという根性が僕にはないのだ。

「貴族と平民の壁の厚さをなんとかできる様な根性は僕にはないもんなあ。雅が主人公と上手くいったら、僕は僕の未来を少しでもマシに出来る様に頑張らないといけないのかも」

 今は雅のことが好きすぎるから、そんな未来は考えられないけれど。
 いつかは、雅を諦めてそういう未来を受け入れないといけないのだ。
 明るいとはいえない自分の未来を考えながら、誰も歩いていない道をのんびりと歩く。というか寝不足で頭がふらふらしていて早くなんて歩けない。
 遅刻ギリギリなこの時間、寮から学校に続くこの道を歩いている人は皆無だ。
この学校、貴族の子息が通っているだけあって授業をサボるとか考える人は少ないみたいだから、頭痛がしてという簡単な理由でも保健室で休ませてくれる。
 いや、貴族だからこそそういうささやかな体調不良でも大事にしてくれるのかもしれない。

「ハルおはよう。今日は食堂に行かなかったのか?」

 ぼんやりした頭のまま歩いていたら、急に声を掛けられてびっくりして振り返る。

「み、雅おはよう」

 いつも雅は僕が登校した頃には教室にいるのに、今日は遅刻ギリギリ。
 なんで? なんて動揺しながら朝から教室以外で会えたのが嬉しくて笑顔になる。
 今日も雅は格好良い。僕の推しは今日も尊い。
 昨日の私服の雅も格好良かったけれど、制服をきっちりと着こなす雅は本当に本当に格好良い。

「食堂にいなかったよな? 朝食食べてないのか? 顔色良くないぞ」

 心配してくれてるんだろうか、というか、なんで僕が食堂に行かなかったって知ってるんだろう? そんな疑問を持ちつつ心配されてるのが単純に嬉しくて頬が緩む。

「たいしたことないんだけど、ちょっと食欲なくて。なんとなく頭痛もしてるし風邪の引き始めかな」

 転校生が来たら、体調不良を言い訳に勉強会をキャンセルするつもりだから、それを見越して風邪の引き始めを匂わせておく。
朝食は食べていないけれど、そんなに空腹は感じない。むしろ眠気が勝ってる感じだ。
というか眠気が勝ちすぎてふらふらしてる。授業中意識保てる自信がない。

「風邪?」
「うん、そんな感じ」

 テストは来週の月曜日から始まる、この世界が本当に前世にやったゲームの世界なら転校生は今週中にやってくる筈だ。本当に転校生が来た時に、そういえば僕が風邪きみだったって言ってたなと思ってくれるだろう。
 実際今、鞄持つのも怠い位には調子悪いしから信憑性がある。
 もし転校生が来なければ、同姓同名がいるだけのゲームに似た世界に僕が転生したのだということだ。
そしたら少し希望はあると妄想出来る。
 雅と恋人になりたいなんてそんな夢は望まないから、せめて学校にいる間だけでも雅の傍にいたい。

「風邪? なら休まないと」
「そこまで大袈裟な感じじゃないよ。ちょっと食欲がないだけ、調子が悪いかも程度だしテスト前に休めないよ。テスト前だし」

 眉をしかめて心配してくれる雅の様子にときめきながら、慌てて言うと雅は納得いかない様子で僕の鞄を取り上げた。

「雅?」

 僕達以外誰もいない寮から学校までの道。
 なのに、挙動不審にキョロキョロと周囲を見回してしまう。
 貴族の子息が通う場所らしく、ただの通学路すら綺麗に整えられている。
 車が通る事が殆どない道路は、綺麗な石畳。ところどころにはおしゃれな形のベンチが置いてあり、街灯もこじゃれたデザインだし植えられている低木も花々も綺麗に整えられている。前世庶民の感覚を思い出すと、この島はびっくりする程にお金が掛けられている。
 制服を着た生徒達が行き来する道に今は二人だけ。なんて言うか贅沢な空間だ。 

「体調悪いなら、荷物持つな。鞄重すぎじゃないか? 何が入ってるんだ」
「え、普通でしょ。今日の授業分の教科書とノートだよ。あ、あとは英語の辞書かな」

 電子辞書が苦手な僕は、英語の辞書を和英、英和の両方英語の授業があるときに持ち歩いている。これが結構重いんだ。
 今世の僕は結構非力で、体型も華奢だ。
 嫡男以外の男性は、他の貴族の妾になる事が多いからあまり筋肉を付けたりせず華奢な外見を保てる様にする。それがこの世界の常識だったりするし僕はその典型だ。
 
「電子辞書使わないのか?」
「うん、僕電子辞書苦手なんだ。というか、紙の辞書が好きって言った方がいいのかな。出版社によって訳のニュアンスが違うじゃない? ああいうのがなんか好きで」

 こういうのってマニアック過ぎるのか、あまり賛同してくれる人がいない。
 この世界にも電子書籍は当り前に存在するけれど、僕は書籍派だ。
 ゆっくりとページをめくり本を読む。それが好きなんだ。
 そう告げると、雅は「ああ、なんか分る」と言ってくれた。なんか嬉しい。

「鞄持てるから、返して」

 雅に向かって手を伸ばす。
 返してという声が、甘い。意識したわけじゃないのに、本能で甘えている。
 雅の顔を見上げ、小首を傾げて手を伸ばす。
 遅刻ギリギリの道は僕と雅の他誰もいないから、だからつい甘えたくなる。

「俺が持つよ。ハル」

 雅が呼ぶ僕の名前は、甘い。そんな気がする。
 ああ、こんなのズルイ。と思う。
 僕は雅が好きで、だけど雅は僕をちょっとだけ仲の良いクラスメイト程度にしか思って居ないのだろう。
 雅は優しくて、僕に誤解させるんだ。
 雅に、もしかしたら好かれているんじゃないかって。夢を見せる。
 そんな現実も未来もないのに。

「少し調子が悪いだけだから。鞄くらい持てるよ」

 やんわりとそう言って、雅から鞄を回収して歩き出す。
 二人だけの現実は、僕に夢を見せる。
 こんな時間がずっと続くのだと、夢を見せる。

「雅は過保護だよ。このくらい僕だって苦じゃなく出来るんだから」
「でも、顔色良くない」
「大袈裟だよ」

 笑って雅の言葉を否定しながら、僕の心はゲームの進行状況を考えるのに忙しい。
 転校生はいつ来るんだろう。
 いきなり勉強会を中止するのは違和感がありまくりだから、上手く体調不良な状態をキープしつつ、転校生が来たら僕は早退しよう。
 そしたら雅は勉強会が無理だと理解して、転校生の案内イベントをクリアしてくれる筈。
 それが一番違和感無く、雅をイベントに誘い込める筈だ。

「ハル。本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。雅は本当過保護だね」

 ああ、僕って馬鹿だ。
 雅が心配してくれるのが、こんなにも嬉しいなんて。
 雅が心配してくれるなら、ずっと体調不良でいたいと思うなんて。

「っふ」
「ハル?」
「雅、心配しすぎだよ。ちょっと食欲がないだけだよ。すっごい過保護」

 心配しないで、ただのクラスメイトなんだから。
 心配して、僕が心配だと、そう言って。

 二つの気持ちが僕の心を支配する。
 雅に心配されたい。僕の事をもっと考えて欲しい。転校生が来ても僕を気にして欲しい。
 僕は馬鹿だ。
 これから僕は自分の恋を封印して、雅の恋を応援するのに。

「心配するのが可笑しいのか?」
「可笑しいでしょ。ちょっと食欲がないだけだし、大袈裟だよ。雅って結構心配性なのかな?」

 言いながら、鞄を両手で抱きしめる様に持って雅の顔を見上げる。

「雅ずっと外に居たの? 少し顔色悪くない?」

 言いながら雅の手に触れてその温度に驚いた。

「雅、手が冷たい。もしかしてずっと外にいたの」

 びっくりする程冷たい手に驚いて、僕は思わず両手で雅の手を包み込んだ。
 僕の手は、雅の手に比べたらだいぶ温かい。
 体温が高い方ではない僕の手が温かく感じる程、雅の手は冷たいんだ。

「凄く冷たいよ。氷みたい。どうして?」

 はあっと息を吹きかけて、雅の手を温める。冷えた手を少しでも温めたくて何度も息をふき掛け指先を擦る。
 僕の体調不良より雅の方が心配だ。
 最近凄く寒いのに、どうして手袋もせずにこんな風にしてたんだろう。

「体冷やしちゃ駄目だよ。雅、風邪ひいたらどうするの?」

 息を吹きかけながら、手を擦る。
 少しでも温めたい。そう思って手を擦っていたら雅の笑い声が頭の上で聞こえた。

「雅?」
「俺は何でも無いよ。でも心配してくれてありがと。ハル」

 見上げる雅の顔が嬉しそうで、幸せそうで思わずキュンと心臓が反応した。
 なんだよこれ、心臓が痛い。

「手、冷たくないの?」
「ハルが温めてくれたから、あったかくなったよ」

 笑う雅の表情に、僕はまたキュンと心臓が反応して思わず雅の手をぎゅっと握ってしまった。
 ああ、好きだ。好きすぎる位に雅の事が大好きだ。
 笑う顔も、僕に掛けてくれる優しい言葉も何もかもが好きすぎて辛い。
 どうしてここはゲームの世界なんだろう。
 どうして雅は攻略対象者なんだろう。雅は主人公のものなのに、僕はどうして雅を好きになっちゃったんだろう。

「ハルの気持ちは嬉しいけど、急がないと遅刻する」
「あ、うん」

 キュンとした心臓は、トクトクと鼓動を早めたまま。
 僕の心は、出口を失って途方に暮れる。

「行くぞ」

 なぜか繋がれてしまった右手をそのままに、僕達は学校に向かって歩き出したのだった。
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