綺麗になる為の呪文

木嶋うめ香

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「次は音楽だね、そろそろ音楽室に向かおうか」
「はい、ライアン様」

 ライアン様から差し出された手を握り、私は教室を出た。
 学校が始まり十日程過ぎた。
 学校生活は思っていたよりも順調に過ぎている。
 お義母様が挨拶回りで紹介して下さった方々の娘さん達とは顔見知り程度から友人と呼べる方まで様々だけれど、お義母様の従姉妹の娘であるシシリー・ビッケとはお互い名前を呼び捨てに出来る程に親しくなった。
 シシリーはライアン様の弟であるグラハム様と婚約しているから、彼女は未来の義妹になる。
 彼女達も先日仮婚姻を申請したから、正確にはもうすぐ義妹になる。
 シシリーは優しくて思いやりがあるし、とても明るくて社交的でもあるお陰で私は女性の友人が増えた。
 友人が増えたのはお義母様との挨拶回りの恩恵と、シシリーの友人達が彼女同様優しい人達ばかりだったせいもあるのかもしれない。
 お母様の件を知らない人はいないだろうが、誰もその事には触れようとはしなかった。

「リナリアは楽器が得意で羨ましいな」

 音楽室は個々の教室がある建物とは渡り廊下で繋がっている東の校舎にある。
 まだ少し時間が早いからなのか、渡り廊下の辺りは人が少なく私とライアン様は手を繋ぎのんびりと歩いていた。
 音楽の授業は数日前に一度あったけれど、その時は自己紹介代わりにそれぞれ得意な楽器を演奏するというものだった。その時私はリュートを、ライアン様は横笛を演奏したのだ。

「得意と言ってもリュートが少し出来る程度ですよ。ピアノは苦手ですし他の楽器も得意とは言えません」
「横笛しか出来ない私よりは良いよ、それにリナリアが奏でるリュートはとても素敵だと思うよ」
「ありがとうございます」

 ピアノとリュートは音楽教師に習っていたけれど、弟にピアノを独占されて授業以外は練習出来なかったから、自分専用を与えられ練習時間が取れたリュートの方が出来るようになったにすぎない。
 この国の貴族は音楽を身近なものとしていて、大抵の貴族は何かしらの楽器を演奏出来る。
 楽器は高いし、音楽教師も腕が良い人は上位貴族が専任で雇ってしまうから、裕福でない家は雇えないのだと知ったのは最近のことだ。
 家に来ていた教師は、お母様の実家である侯爵家と専任契約している人で私と弟どちらも分け隔てすることなく教えてくれたのはありがたかったけれど、そのせいでお母様から音楽教師がキツく当たられていたから申し訳なくもあった。

「リナリアどうしたの」
「え、あの、指輪に慣れなくて何だか、その、照れてしまいました」

 お母様の音楽教師への仕打ちを思い出し俯いて歩いていたせいで、ライアン様に心配を掛けてしまったと気が付いて、私は慌てて視界に入った指輪のせいにしてしまう。
 飾り気のない銀色の指輪は、仮婚姻の祝として国から贈られる品だった。
 正式な婚姻では嫁ぎ先が用意した指輪を着けるけれど、仮婚姻の婚姻は何故か国が用意するらしい。
 これは魔導具で、指の太さに合わせて指輪の大きさが変わるし、夫婦互いの魔力を流しながらでなければ指輪を外すことも嵌めることも出来ない。
 しかもこの指輪を嵌めている間は、浮気も出来ないのだそうだ。
 謎が多すぎる。

「指輪、うん照れるね」
「はい。まだ髪は結い上げられませんが、なんだか婚姻を実感してしまうというか」

 既婚女性は髪を結い上げるものだけれど、仮婚姻の場合はそうしないのが普通だ。
 制服に大人の女性の様に結い上げた髪型は合わないと思うし、皆と同じ様におしゃれしな髪型を楽しみたくもあるからそこは良かったと思っている。
 それに結い上げてしまうと、ライアン様が贈ってくれた髪飾りやリボンは少し使い難いものになってしまう。

「本当だね。授業中私はつい指輪を見てしまうよ。多分頬も緩んでいて情けない顔をしていると思う」
「ふふ、ライアン様笑わせないで下さいませ。でも私も見てしまいます」

 ライアン様の視線が甘く感じて、冷静な振りをするのに困ってしまう。
 ライアン様は、仮婚姻の後今まで以上に優しくなった。
 元々優しいのに、ライアン様はどこまで私に優しくするつもりなんだろうと怖くなってしまう。
 だって、その優しさと甘さに慣れてしまったら、ライアン様の心が離れてしまった時に耐えられないだろう。

「そう言えば母上から手紙が届いてるかな。リナリアのドレスを作るって張り切っていたよ、読んだ?」

 お義母様から、週末外泊届を出して帰っていらっしゃい。一緒にドレスを選びましょうという手紙を頂いて実は戸惑っていた。
 今は学校優先で、お茶会等の出席はまだまだ先という話だった。
 まだ社交界にもデビューしていないし、そもそも私は外に出る事に慣れていないから徐々に慣れて行こうと言われていたのだ。

「はい、今週末二人一緒に帰っておいでと。でもドレスは何故」
「うん、特に理由は無いみたいだけど。多分母上とお揃いのドレスを作りたいんじゃないかな」
「お義母様とお揃いですか」
「うん、昔から言ってたんだよ。リナリアが嫁いできたらお揃いのドレスを作るんだってね。悪いけど母上の夢を叶えてあげてくれる? 宝飾品もね、自分が若い頃に使っていた物をリナリアに使って欲しいと我儘を言っているんだよ」
「それは嬉しいですけれど、私でいいのでしょうか」

 お義母様と息子の妻という立場はシシリーも同じだけれど、私でいいのだろうか。

「うん。凄く楽しみにしているから、疲れてしまうだろうけど」
「私ドレスを注文したことが無いので楽しみです」
「そう。それなら助かるよありがとう」
「お礼を言うのは私の方です」

 こんなに毎日でいいんだろうか。
 でも、幸せと不幸せは交互にやって来る、そう聞いたことがある。

「ねえ、あれが妖精姫の娘? 私お母様に話を聞いたのよ、酷い話ね」
「じゃああれがモーラの妹? 全然似てないわね」

 廊下の隅に集まっていた上級生らしい女子生徒が、私達の方を見ながら話をしている。
 ヒソヒソと、でも聞こえる様に話す声に私の笑顔は一瞬で強張ってしまった。
 モーラの妹、妖精姫の娘、それは私の事を話しているのだと分かってしまったからだ。
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