後悔はなんだった?

木嶋うめ香

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駄目な私を慰める人9

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「……いい子……そんな風に思っているの」

 ルーシーの沈んだ声が、メイドと違って小さな声なのに部屋に響いた気がした。
 彼女がとてと傷付いている様に感じて、すぐに会話を止めさせたくなるけれど、私は聞こえないふりをしているから動けない。

「……いい子でしょ? セドリック様付きは皆そうだもの。旦那様も奥様も、セドリック様の近くに害になりそうな人は配置していないわ」
「それは」

 メイドも兄様付きではないのか? それとも自分以外がそうだと言うのか、分からない。

「そんな顔しないで、ごめんなさい。謝るわ、八つ当たりしちゃったのよ。あなたを見てると私の母を思い出しちゃうの」
「お母様?」
「愛人が屋敷の中で大きな顔をしても、父のご機嫌を損なうのを気にして母は何も言えなかった。母が心労で体を壊しても、子供だった兄も私も我慢するしか無かったわ」

 貴族は政略結婚することが多いから、私の両親の様に仲が良いところは少ないのかもしれない。
 それでも愛人を妻や子供が住む屋敷に連れて来る男性は珍しい部類に入るだろう。

「父の都合で、私は成人してすぐにあるお屋敷にメイドとして働かされることになったわ。でも、そこが酷いところでね。耐えられなくて母と兄に手紙で訴えたら、母がこの家の奥様に頼んでくれたの」

 そうか、思い出した。
 このメイドは、お母様付きのメイドだった。
 以前の時もお母様付きで働いていたし、私がある程度大きくなるまでは屋敷にいたと思う。
 話したことは無かったけれど、いつも不機嫌そうな顔で私を見ていたのは覚えている。

「それで奥様付きなのね」
「ええ、こちらに移ってすぐに母は亡くなって、兄が家を継いだの。信じられる? 父って入り婿だったのよ。母が亡くなって、その息子である兄に爵位が移ったの。兄はすぐさま父と愛人を屋敷から追い出したわ」
「そう、それは良かったと言っていいのかしら」

 ルーシーが戸惑っているけれど、それはそうだろう。入り婿が、堂々と愛人を屋敷に連れ込んでいたのだから、驚くなと言う方が無理な話だ。
 
「母は人が良すぎたし、優しすぎたの。まるであなたみたい」
「私?」
「そうよ、優しくて周囲に気遣いが出来て、他人が傷付くのを自分の痛みみたいに感じて。本当馬鹿みたいにいい子なのよ。パティの手癖の悪さにも何か理由があるのかもなんて考えてない?」

 それは、考えて当然だろう。
 何か理由があるのか、私が悪かったのか、お菓子を盗んだのも、リボンを盗み私に嘘を吐いたのも、何か理由があるのかと、そうであって欲しいと考えてしまう。
 だってずっとパティは以前の私に仕えてくれていたのだから、私は彼女を姉の様に思っていたのだから。

「でもね、嘘を吐き自分が仕えている人を悪者にした挙げ句盗みを働く。そんな人間に理由なんかないのよ。自分が持っていないのに、相手が持っているから狡いと思う。立場が違うなんて関係ないの、欲しいから盗むし、妬みから悪者にするの」
「そんな……でも、そんな」

 ルーシーは、メイドが言う通り優しいのだろう。
 メイドが言う盗む理由を、肯定出来ずにいるのだから。

「勿論これは私が考えた理由よ。でも、そんなに間違ってはいないはず」
「そんな……」
「パティって、お嬢様と接することが少ない相手を選んで話をしている気がするの。ほら、私いつもは奥様のお側にいるから、お嬢様が日頃どんな感じかなんて知らないでしょ? パティが言うからそうなのかって信じていたわけだし」

 それはそうだろう。普通は、よく知らない相手の悪い話を、あの人はそんなことはしない。なんて思わない。その噂話をした人の方を信じるだろう。

「それはつまり、パティから話を聞いた人はお嬢様の悪い話を信じているということ?」
「ええ、そうよ。特にさっき話した執事見習いはパティは妹思いの健気な子で、お嬢様に毎日嫌がらせされていると信じているわ」

 執事見習い、私より皆がパティを信じている。
 メイドの言葉は、私の心の奥底に響いた。



 皆が私を悪く言っているの、私は昔から駄目な子
だったから、私は大人になっても両親にすら見捨てられた程の駄目な人間なんだって、皆笑っているのよ。



 ぎゅうと心臓を掴まれた様な、苦しさに私は目をつむり耐える。

『お嬢様、大丈夫ですよ。パティはどんなにお嬢様が駄目な出来損ないでも側におりますから』

 遠くから聞こえてくる、この声はパティだ。
 私を慰める手、その手の持ち主は私が泣く度に優しく慰めてくれた。
 兄様が亡くなって、私が両親に見限られて、結婚して夫からも見限られても、パティはずっと側にいてくれた。

「あれは、嘘?」

 以前の私の側にいたパティ、私を慰めてくれた姉の様な人。
 あの時もパティは私を裏切っていた?

『あなたは結婚しても、子供を産んでも出来損ないのお嬢様のまま、それでも大丈夫。私は見捨てずに側にいますからね』

 いつだったか私が眠った後、パティは私の耳に囁いた。

『安心して下さい。お嬢様の代わりに私がお嬢様の欲しいもの全部貰いましたから。誰もあなたが死んでも悲しんだりしませんから』

 ああ、違う。
 あれは、私が死ぬ直前、家族も使用人も誰も来ない部屋で一人死を待っていた時だ。
 思い出した、死を待つ私にパティは囁いた。

『お嬢様、侯爵家に生まれ育って、夫も子供もいるのに淋しく一人で死んでいく、あなたはなんて可哀想なのかしら』

 その言葉に絶望して、私は息絶えたのだ。
 孤独だったと、夫がいても子供を産んでも、孤独でしか無かったと、自覚して絶望して私は息絶えたのだ。
 ただ一人でいい、誰かに愛されたかった。
 もしも、来世があるなら、生まれ変われるなら、次こそは誰かに愛されたいと願いながら。

「うううっ」

 愛されたい、誰か、私を愛して。
 一人は辛いの、皆に蔑みの目で見られるのは辛くて悲しくてたまらないの。

「お嬢様?」

 ルーシーの慌てた声が近付いて、ルーシーの手が私に触れた。

「熱い、すごい熱だわ。お嬢様、お嬢様!」
「私奥様に知らせてくる! ガスパール先生もすぐに呼んでくるわ!」

 世界が歪む、パティの嘲笑う声が私を苦しめる。

「ル……シー」

 苦しさに閉じていた瞼を開くと、ルーシーが心配そうに私を見つめながら私の背中を撫でていた。

「お嬢様、すぐにガスパール先生がいらっしゃいますからね、大丈夫ですよ」
「ルー……」

 あぁ、私は思い出した、全て思い出してしまったのだ。
 苦しかった、悲しかった、一人だった。
 ずっと、ずうっと。

「大丈夫ですよ、お嬢様。すぐに奥様もいらっしゃいますからね」

 私は力の入らない手をルーシーに伸ばした。
 その手をルーシーが握りしめる。

 ああ、私はこうして誰かに心配して欲しかった。
 ずっと誰かに、愛して欲しかったのだ。
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