後悔はなんだった?

木嶋うめ香

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穏やかな生活

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 いい考えも浮かないまま、数日が過ぎた。
 注意深くパティを観察すると、彼女の私への不満はジョゼットと私とパティの三人でいる時にも時々表に出ている時があり、ジョゼットがいない時等は全く取り繕うことすらしなくなっていると気が付いた。 
 私がジョゼットの怪我を治療してもこの態度なのだから、怪我の後遺症があった前回は更に不満が酷かった筈なのに私にはその記憶がない。
 姉同然と言いながら所詮は使用人だと考え、彼女にも感情がある等思いもしていなかったから、彼女の私への言動の意味を考えすらしなかったのかもしれないのだろうか。
 以前の私ならあり得る話だ。

「お嬢様、今日のお勉強はそろそろ終わりにいたしましょうか」
「はい。ジョゼット先生ご指導ありがとうございました」

 兄様が授業の後家庭教師にそう礼を告げているのをたまたま目撃した私は、同じ様にジュゼットへお礼を言うようになっていた。
 使用人なのにと恐縮していたが、兄様がそうしているのを見た。それに毎日授業が楽しいのはジョゼットが先生だからだと言えば、受け入れてくれるようになった。

 ただ両親に見つかればジョゼットが叱られるかもしれないから、お礼を言おうと決めた日にまず私は兄様に相談したのだ。

 兄様がお礼を言っているのを見て、自分もジョゼットに言いたいと。
 
 兄様は一瞬驚いた様な顔をして、その後どうしてと聞いてきた。
 授業が楽しいから、ミルフィは馬鹿だけどジョゼットは怒らずに教えてくれるからありがとうって言いたい。そう言うと泣きそうな顔をしながら私の頭を撫でて許可してくれた。
 今の兄様は、私を時々褒めて甘やかしてくれるから、私の心はその度に嬉しさに満たされる。
 ジョゼットにお礼を言うのは、兄様からお父様へ話すと約束してくれた。

 兄様は本当に五歳の子供なのだろうか、前回もこんなに大人びていたのだろうか。
 思い出そうとしても、頭に浮かぶのは笑っている様に見える兄様の顔だけだった。
 今私が三歳のミルフィとして兄様と話す様になって嫌という程分かるのは、前回の兄様は私を何とも思っていなかった。むしろ邪魔にすら感じていたのだろうということだけだ。
 
 以前の私は兄様から声を掛けられた事も、手を繋いで歩いた事もない。
 私が兄様に甘えようとしても、笑顔で申し訳なさそうに勉強があるからごめんね。と言うのが常だった。
 それでも徐々に冷たい態度を取り始めた両親に比べたら兄様は私に親切だったから、兄様に愛されていると誤解していたのだ。

「お嬢様、セドリック様がお庭でお待ちです。お茶を一緒にとのことでございます」
「お兄ちゃまが! 行ってもいいの?」

 入室許可を取った後入ってきたパティからの知らせに、私は思わず椅子から立ち上がり喜んだ。
 最近兄様は体調が良い時に私を誘ってくれる様になった。
 その時の兄様の状況によるが、絵本を一冊読んでくれるだけの時もあれば兄様の部屋で一緒にお茶の時間を過ごすこともある。
 それは、とても幸せな時間だった。

「勿論でございます。もう授業は終わりましたから、これからすぐにお庭に行かれて良いですよ。でも大声を上げて急に立ち上がるのは、お行儀としては如何ですか?」

 ジョゼットが笑顔で注意するのを、私は大人しく聞いた。

「お行儀良くありません。お兄ちゃまがミルフィを待ってるって聞いたから、我慢できなかったの。お行儀悪くしてごめんなさい」

 私が非を認め素直にそう言えば、誰も強くは叱らないと分かった。
 ジョゼットも満足そうに頷いた後、次からは気をつけましょうねと締めくくった。

「パティ、お嬢様と一緒に行きなさい。私は奥様に今日の授業の報告に行ってくるわ」

 毎日の授業の結果をジョゼットはお母様に報告する。
 今の私は、読み書きと簡単な単語を覚えることと、礼儀作法、この二つをジョゼットに習っている。
 ペンの持ち方すら習っていなかった私は、貴族令嬢としての教育が遅れているのだと思う。
 背筋を伸ばし椅子に座る、立つ、歩くといった所作はまだ完璧には難しい年齢だけれど、出来るように学んでいるのが今の私の現状だ。
 五歳になれば両親に連れられ茶会に出ることもあるのだから、それまでにある程度出来るようにならなければいけない。
 前回は子爵夫人にろくな教育もされずにいたから、私の行儀は最悪で癇癪もよく起こしていたからかなり上の年齢になるまで茶会に出席なんてさせてもらえなかった。
 両親は兄様だけを連れ出掛けていき、私は寂しく一人屋敷で過ごす。
 その姿を見て、子爵夫人は怠け者で出来の悪い娘が恥ずかしくて外に出せないのだと笑っていた。
 
 先生がジョゼットに変わった後当時を思い出したけれど、兄様が出掛けた日は子爵夫人の仕置きが特に酷かった様に思う。
 私が出来損ないだから置いていかれるのだと、私のことが恥ずかしくて他の家には連れていけないのだと延々と言われ続ける。
 あの時間が辛く苦しくて誰かに助けて欲しかったけれど、私の出来の悪さを両親も呆れているのだと言われ続けていたから、苦しさを誰にも打ち明けられなかった。

「幸せだわ」

 パティに手を引かれ部屋を出ながら、私は小さく呟いた。

 前回の私に教えてあげたい。
 兄様は本当は少し意地悪で、でも優しいのだと。

 手を繋いで歩く庭、前回の私が癇癪を起こして踏み荒らした花壇には今は綺麗な花が沢山咲いていて、この間兄様は自ら花を摘み私に花束をくれた。
 私はそんな幸せなこと、夫にすらされずに過ごしたというのに。
 教えてあげたい、前回の私に。
 嬉しかったことはもう一つある。
 兄様がくれた花を部屋に飾り、枯れていくのが寂しいと言ったらジョゼットはその中の一輪を押し花にして、私に綺麗なしおりを作ってくれたのだ。
 今それは宝物として、私の机の引き出しに大切にしまってある。
 
 今の私は毎日が幸せだ、以前の私は一度も知らなかった幸せを私は毎日感じている。 
 今の幸せを噛み締め歩く私を、パティが冷ややかな目で見ているなんて私は気が付きもしなかった。
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