ごめん、好きなんだ

木嶋うめ香

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キティのお願い

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「私には難しいかもしれませんが、それでもお義母様の様な美しい所作を身に付けたいです。お手数をお掛けするのは大変恐縮ではございますが、どうぞご教授頂けないでしょうか」

 カラムと微笑ましいやり取りをした後、三人で穏やかに話しながらお茶とお菓子を頂いている内に話の内容はキティの社交界デビューに移っていった。
 貧乏なキティの家では、淑女教育等殆ど無かった。
 食事の作法と勉強は父親が教えてはいたが、男性である彼が淑女教育まで出来る筈が無かった。
 貴族女性が当たり前に出来なくてはいけない立ち居振る舞いも、ダンスもキティには身に付いてはいない。
 それを素直に、でも恥ずかしそうに話すキティの姿はシアーラの目には好ましく映った。
 知らないものは仕方がない、それを身に付ける環境が無かったのだから。
 でも、知らないことを隠したり取り繕おうとするのは、愚かな行いだとシアーラは考えている。
 そして、与えられなかったのだから仕方がないだろうと開き直るのは、もっと愚かな行いだとも思う。
 キティにはそれが無かった。
 貴族としてこんなに素直すぎるのは少し困るが、それでも知らないことを恥だと思い、教えを乞い願う姿は立派だとシアーラは思うのだ。
 カラムは相変わらずの知らない人が見れば不機嫌そうに見える顔で、でも母であるシアーラの目には妻を心配する夫の顔をしていると分かっていた。

「母上」
「分かっていますよ。暫く私がこちらに通いましょう。この家に慣れるのも大切ですからね」
「そんな、教えて頂くのは私なのですから、私がお義母様のもとに参ります」

 シアーラが通うと聞いて、キティは心臓をギュッと掴まれた様な気持ちで慌てて口を開いた。
 教えてもらう立場の自分がのほほんと家にいて、義母であるシアーラに通わせるなどあっていいはずがない。

「いいんですよ。屋敷はそう遠くありませんからね。それにあなたはまだこの屋敷にも慣れていないのですから、遠慮せずに私に甘えなさい」
「ですが」
「手数を掛けるのを気にしているのなら、一日でも早くその手数を減らせる様に努力なさい」
「努力、は、はい。お義母様、ではよろしくお願い申し上げます」

 キティは立ち上がると、背筋を伸ばしシアーラに向かって深々と頭を下げた。
 それはキティが子供の頃母から教わった、商売人が貴族に向けてする礼だった。
 背筋を伸ばし、ゆっくりと頭を下げるその姿は、商売人や使用人であれば上等と褒められるものではあるけれどキティはカラムの妻になり、伯爵家の一員となったのだから大問題だった。
 シアーラは目眩を感じながらキティを叱るべきか逡巡し、カラムの縋る様な視線に気が付いて口を開いた。

「座って、キティ。あなたの気持ちは良く分かったわ。これは私からあなたへ初めての授業だと思って」
「はい」
「よく見ていなさい。貴族の女性の礼はね正式なものはこうするの」

 シアーラは、すっと背筋を伸ばし立ち上がるとソファーから少し離れた位置に移動しキティの方を向いた。

 左右の手で、ドレスを少し摘みそのまま持ち上げながら片足を後ろに引きながら上体を低くしていく。
 そのままの姿勢でゆっくりと頭を下げていき、ある程度の位置で姿勢を止めた。

「誰かに挨拶する場合、この状態で行うのよ。挨拶が済んだらゆっくりと体をもとに戻すの。まずは顔を上げその後で足を揃えながら立ち上がる」
「……」
「これが正式な礼です。格上の方、特に王家の方へは必ずこの形で礼を行います。頭を下げずに行う場合もありますが、どの様な時に行うのか追々教えます。まずはこれが正式だと覚えればいいわ。そして略式はこう」

 今度は左手はお腹の辺りに置き、右手だけでドレスを摘むと先程よりだいぶ控えめに片足を後ろに引いて軽く頭を下げると、すぐに元に戻した。

「これは親しい方、もしくは格下の相手への挨拶ね」
「格下」

 今までキティ自身が格下の立場だったし、そもそも他の貴族との交流すら無かった。
 父の仕事場に行くことがあってもキティは立ち止まり、習った礼をするだけだった。
 でも、と思い出す。
 この礼をこの館で見たのは今が初めてだと。
 これは貴族の女性の礼、つまり今までキティがしていたのは使用人や平民がするものなのだと分かったのだ。
 しかも、先程のが正式な礼だとすればキティは義母への挨拶も間違ってしていたことになる。
 それはとても失礼な事だ。
 自分の失態に気が付いて、キティは震えながらシアーラを見つめた。

「お義母様、まともにご挨拶することも出来ず申し訳ありません」
「いくら美しい礼が出来たとしても、それに心が籠もっていないのであれば見苦しいものよ」
「母上、ですが」
「キティ、先程あなたはとても丁寧に、心を込めて私に礼をしてくれました。形こそ貴族女性のそれではありませんでしたが、あなたが何を思いそうしてくれたのか私に伝わったのですからそれでいいのですよ」

 貴族同士の付き合いであの礼をしたら、自分は格下だと態度で示した様なものだから問題だけれど。
 心の中でシアーラはそう言いながら、口には出さなかった。
 自分で何が悪かったのか気が付いたのだから、今までのキティに貴族令嬢としての経験が殆ど無くてもこれから指導していく内に覚えていけるだろう。それなら最初から叱って萎縮させる必要はない。
 それにデビューしてから暫くの間は自分が常に側についていればいいのだから、問題は無い。
 シアーラはそう判断したのだった。

「ありがとうございます」

 キティは立ち上がるとシアーラの前まで歩き、背筋を伸ばした後先程シアーラがした様に両手でドレスを摘みすっと片足を後ろに引きゆっくりと頭を下げた。

「お義母様、至らぬ私ですがどうぞよろしくお願いいたします」

 まだまだ不格好と言えるその礼は、それでもシアーラには今はこれで十分だと思えるものだった。
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