ごめん、好きなんだ

木嶋うめ香

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馬車に乗って

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「帰ったら食事をしてゆっくりしよう」
「はい」

 頷いて、初夜ってどうするんだろうとキティは戸惑っていた。
 下町の食堂で働いていたキティには、それなりの知識だけはあった。
 勿論なんの経験もないけれど、所謂耳年増だった。

 これは聞いた方がいいのかしら。

 キティはお飾りの妻だけれど、貴族は子供を残すために婚姻を結ぶのだ。
 平民だってそれは同じだけれど、彼らにはその前提に愛情がある。キティはどちらか言えば平民寄りの考え方をする方だったけれど、旦那様となるカラムは貴族なのだから、子供を産むのは妻の大事な役目だろう。
そうキティは考えていた。

「どうした」
「あの、ええとですね」

 女性が口に出せる話ではない。
 でも聞かないといけない問題だと、キティは勇気を振り絞った。

「私は今晩から寝室一緒でふ、ですか?」

 恥ずかしい質問だと自覚していながら頑張って、見事に噛みながらも何とか尋ねるとキティは耳も頬も赤くなってしまった。
 人生で一番恥ずかしいことを聞いたかもしれない。
 顔を伏せて、ちらりと視線を横に動かし隣に座っているカラムの顔を見ると、両手で顔を覆っていた。

「キティ」
「はい」
「婚姻を自分の都合で急がせておいて、こんな事を言うのは大変申し訳ないが、あなたはまだ成人前だろう?」
「はい、でも子供を産むのは……」

 素直に頷きがら手を外すし横を見ると、生真面目にどんよりした顔がキティを見つめていたから、キティも真面目な顔で夫になったばかりのカラムの顔を見つめた。

「成人前の女性の体に無理を強いるのはいけないことなのだよ。若すぎる妊娠は母体に負担が掛かりすぎる」
「はい」
「だから、キティが成人するまでは寝室を分けた方がいいと思うんだ。それに、私達は昨日初めて会ったばかりだろう。知らない人と言っても間違いじゃない私と同じ部屋で寝起きするのでは気が休まらないだろうし、心の準備もあるだろう」

 予想外の発言に驚きながら、まだ成人前の自分を気遣ってくれていると知り、キティは素直に嬉しかった。

 家族仲はいいけれど、母親は病弱で双子はまだやっと十歳になったばかりで手が掛かる。
 キティは幼い頃から誰かに無条件に甘えるとか、気遣われるという経験が少なかったのだ。

 頼れる長女、頼れる姉、それをキティは無意識に自分に課していたのだ。

「私の都合上先に婚姻の手続きをしたし、対外的には妻と夫だけれど。今日婚約したのだと思って欲しい」
「婚約」
「ゆっくり互いを知っていこう。それでは駄目だろうか」
「いえ、私を気遣って下さりありがとうございます嬉しいです」

 笑うキティは新妻というより愛らしい子供そのもので、可愛げなんてものを持たずに幼少期を過ごしていたカラムは眩しいものを見ている様な顔でキティを見つめていた。

「そうだ、私からひとつお願いしよう」
「お願い、ですか?」
「ああ、決して遠慮や我慢をしないこと。私は昔から人の心を考えるのが苦手なんだ。そして、私は見た目が怖いだろう?怖いと子供に泣かれたことも一度や二度じゃない」

 冗談と笑った方がいいのだろうか、それとも納得した方がいいのだろつか、キティは悩みながら口を開いた。

「私は泣いていませんけど」

 泣いていないけれど、初対面の印象はちょっと怖かった。
 今はそうではない。

「私は嫌だと思ったらそう言うし、出来ないことを安請け合いすることもない。だから」
「では、ひとつお願いしてもいいですか?」

 カラムの言葉は本当だろうかと、心の中で少し躊躇しながらキティは朝から感じていたことを言ってみようと思った。

「なんだ」
「なるべくご飯を一緒に食べたいです」
「ん?」
「お屋敷が広くて落ち着かないです。食堂も広いしテーブルも大きいし。なにより寂しくて」

 今朝は父親と二人だけの食卓だった。
 付き添っていた執事に聞けばカラムは殆んど家で食事を取らず、家にいても朝食は不要と言われるのが殆んどなのだと教えられた。

「お仕事がお忙しいのは分かります。でも」

 家は貧乏だけれど皆で食事をするのが常だったキティには、どんなに豪華な食事でもそれを一人で食べるのは寂しすぎると思っていた。

「分かった。帰りが遅くなるときは諦めて貰うがそうでなければ朝と晩は一緒にすると約束する」
「ありがとうございます。カラム様」
「うむ」

 カラムが頷いて、何故かその場を誤魔化すように一度だけコホンと咳をするのを眺めながら、やっぱりこの人は話すのが苦手なだけなんだと、キティは思った。
 目付きは怖いけれど、キティの考えを聞こうとしてくれる人だと分かったから怖く無くなったのだ。

「カラム様、これからよろしくお願いします。カラム様の妻として恥ずかしくない人になれるように私頑張りますから」
「う、うむ」

 カラムの視線が動揺したように左右に小さく揺れているのを、キティは気が付かないまま馬車は屋敷へと向かっていくのだった。
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