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「お言葉ですが、これはたかが熱程度で陛下へのご挨拶に伺わなかったのです。お忙しい陛下にお時間を頂いておきながら私だけしか伺えず、臣下としてあってはならぬ失態を犯してしまいました。幸いにも陛下はお許し下さいましたし、これを案じるお言葉も賜りましたが、私は今まで生きて来てこのような恥をかかされたことはありません」

 話しながら旦那様は、王女殿下の視界から私達を隠す位置に移動していく。
 大柄な旦那様が移動してくれたお陰で王女殿下の視線は気にならないけれど、逆を言えば王女殿下の様子が何も分からなくなってしまった。

「まあ、お父様は寛容な方だからその程度では怒ったりはなさらないわ。でも、貴族達はあなたの妻がお父様を蔑ろにしたと騒ぐかもしれないわね」

 言葉だけを聞けば旦那様を心配しているものだけれど、その声には笑いが含まれている様に聞こえる。

「それにしてもこの部屋、変な臭いがするわ」

 ばさりと扇が開く音がして「ねえ、あなたは気が付かないの?」と王女殿下は旦那様に聞いている。
 臭いとは何だろう。
 毒茶は匂いが無い。独特の味はするけれどそれだけだ。

「臭いですか」
「ええ。これは彼の国に向かう途中の田舎道で、嫌になる程嗅いだ様な臭いよ。あの国は小国だし、王都ですらこことは違って田舎だから仕方がないのかしら」

 つまり田舎から来た私がいるから、部屋が臭いと言いたいのだろうか。
 だけど言わせてもらえば、その田舎の小国に王女殿下はこれから嫁ぐんですけどね。

「田舎の小国とはいえ、王女殿下が自ら嫁ぎ先に選ばれた場所です。王女殿下を不快にさせる臭い等は無いかと」
「お前は相変わらず私が好きなのねえ。可哀相だこと、私はもうあちらの国の王太子殿下のものよ。いい加減諦めてくれないと見苦しいわよ」

 露骨な程嬉しそうな声に、私は吹き出しそうになるのを堪えた。
 お陰で体が震えてしまう、毒のせいで高熱が出始めているというのに笑わすのは止めて欲しい。

「侯爵家の豊かさは魅力だったけれど、所詮王家の飼い犬でしかないものね。その点あちらは小国とはいえ王家、そして彼は将来王になる身、体つきもお前の様に大きくなければ険しい顔もしていない美しい方なの。だからお前は諦めなさい。お前にはその貧相な女が良く似合っているわ。追い出すなんてとんでも無い事よ。この結婚は王命なのですからね」

 諭す様な言い方すら、面白過ぎる。
 確かに王太子殿下は見た目だけは抜群に良いけれど、女癖も悪ければ性格も悪い人だ。
 それにしても、どこをどう見たら旦那様が王女殿下に未練があるように見えるのだろう。

「確かにこの結婚は王命です。業腹でも屋敷から追い出す等出来ませんから、女主人の部屋では無く他の部屋に移すだけにしましょう。心優しき王女殿下のご指示ですから」

 大根役者の称号を旦那様に差し上げたくなる程の棒読みで、旦那様は王女殿下に答える。

「うふふ、私は優しいのよ。だから王太子殿下に捨てられた彼女に、新しい縁談を与えてあげたのだもの。こんな貧相な顔の女が婚約解消されたら、次の婚約等探せないでしょうからね。優しいでしょう? お前だって私に捨てられて一人になったのだもの、次を探すのは大変だった筈よ。お前みたいな愚鈍な男と婚約するなんて、お父様から言われなければ私だって嫌だもの」

 この二人の婚約は、王女殿下の望みだったのかと思えば陛下が決めたことだったのか。
 旦那様は王女殿下が言う程険しい顔なんてしていないと思うし、大柄だけど太っているわけではなくて鍛えている体つきだから頼りがいがあると思う。
 難があるとすれば、性格がちょっと人が良すぎるところだろうか。
 良く知らないから、今はその程度だし、王太子殿下に比べたら百倍マシな人だ。

「はい、王女殿下の慈悲に感謝いたします」
「それだけ?」
「……」
「ふふふ、未練があるのでしょう? 私に捨てられて悲しくてたまらないのね。可哀相に」

 可哀相、可哀相なんだろうか。
 私は顔は地味だけれど、そこまで醜いわけではないし性格は悪くないつもりだ。
 それに尽くすタイプだし、頭だってそんなに悪くないから王太子妃教育も殆ど終わっている。
 おまけに治癒魔法が使えるし、魔力量だって多いし、毒にも慣れているから毒見役だって引き受けられる。

「そうね、お前がその女に女の子を産ませることが出来たら私の子と婚約させてあげてもいいわ」
「婚約、ですか」
「そうよ。お前が私を妻に出来ない代わりに、お前の子を私の子の妃にしてあげる。容姿は期待出来ないけれどお前は馬鹿じゃないから妃の仕事をする分には役に立つでしょう。それにお前の子が婚約者になれば向こうの国とこちらの国の繋がりも続くわ。繋がりが出来ればその女の実家から私に貢ぎものをさせる理由も出来るというもの」

 何を馬鹿な事を言っているのかと呆れながら、もしかしてこれが小説の中でシャルリアが子供を産んだ理由なのかと思いついた。
 もしかして小説のシャルリアは本当に虐げられていたんだろうか、確かにシャルリアの夫が初夜であんなメモを見せながら怒鳴ったなんて描写は無かったけれど。
 どうなんだろう。
 でも、もしも私が死なずにすんで小説のヒロインである女の子が無事に生まれたとして、本当にその子供が王太子殿下と王女殿下の息子の婚約者になんてさせられてしまったら、私の子が不幸になるのは目に見えているしお父様達にも迷惑が掛かってしまう。

「殺しては駄目よ、追い出すのも駄目。私は嫁いですぐに身ごもるつもりだから、年を合わせてその女との間に女の子を設けなさい。でも産むのは私が産んだ後よ。私の子より先は駄目」

 無茶を言う。
 子供は授かりものだし、性別なんて選べるわけがないというのに。

「それ位出来るわよね。懐妊したらすぐに知らせてあげるわ」
「はい、王女殿下の仰せのままに」

 小説の私が産んだ子供は、小説のヒロインだけれど私は死んでしまうし戦争も起きる。
 私が死ななければ、戦争は起きないかもしれないけれど本当に王女殿下が王子を産んだら私の子供が婚約者にされてしまうかもしれない。
 それって、どちらにしても不幸って事じゃない? 
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