これから言うことは嘘だから信じないでくれという紙を見せながら、旦那様はお前を愛することはないと私を罵りました。何この茶番?

木嶋うめ香

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「はあ、憂鬱だわ」

 ため息を吐きながら俯くと、この場に合わない大袈裟な飾りが視界に入り思わず顔を歪めてしまう。
 太ももが半分以上見えている短い丈の、何とも頼りない薄物一枚だけを着せられベッドの端に座り私は今夫を待っている。
 寝間着というには肌が透けそうに薄い絹地、胸元と裾に金糸で大輪の薔薇の刺繍がされていてそれと共に小さな宝石が大量に縫い留められている。上質な絹地に金糸の刺繍というのをこんなに下品に仕上げられるのはある意味職人の才能を感じるが、夫の目にはどう映るのだろうと不安になる。
 王命で、私は今日結婚した。
 全く望んでいなくても王命に逆らうことなど出来ず、私はデルヴィーニュ国のシャルリア・エーレンからプーラット国のシャルリア・ディアロになった。
 夫はアンドリュー・ディアロ、プーラット国の若き侯爵様だ。

「覚悟はしていたけれど、家族一人いない結婚式って想像以上に辛いものだったわ」

 私は生まれ故郷であるデルヴィーニュ国から国境を越え、侍女のジジの他に五人の護衛兼メイドを連れこの国に嫁いできた。
 お父様は沢山の護衛と使用人を私に付けてくれたけれど、国境まで迎えに来てくれたディアロ家の騎士に最低限の人数でと言われてしまったものだから、彼らとは国境で別れなければならなかった。
 雇う費用は私の実家が負担するのだから問題ないだろうと問えば、それなら全員に国に入る許可を出せなくなると言われたら従うしかない。
 他国に嫁ぐ私の事を不憫に思い住み慣れた土地を離れる決心をし付いて来てくれた皆に、私は泣く泣くお別れを言い事情を書いたお父様宛ての手紙を持たせ帰らせるしか無かった。
 けれど別れずに済んだ侍女達も、結婚式を行う神殿の中には入れてもらえず私は身内と呼べる者が誰もいない中神に結婚の誓いを行った。

「結婚式の時の様な冷たい目で見られたら、それだけで心が折れてしまうかもしれないわ」

 結婚式の準備をした私は、不安な気持ちを抱え一人で馬車に乗せられ神殿に向かった。
 ジジ達が精一杯着飾ってくれたから、結婚式の時の私はドレス化粧髪型、すべて完璧だったと自画自賛したくなる程に綺麗だったと思う。実際結婚式ではあちらこちらから私を称賛する声が聞こえてきた。
 けれど、精一杯着飾った私を見た彼の目は、とても冷たかった。
 あの目を思い出すだけで、ため息どころか涙が出そうになる。
 彼が私を見る目は冷ややかで、軽蔑? 怒り? どんな感情か分からないけれど、私が受け入れられていない事だけは十分に伝わってきた。

「ディアロ家がこれを用意したのだから着ないわけにはいかないけれど、今日限りにして欲しいわ」

 結婚式で私に向けられた夫の冷たい目を思い出しため息を吐きながら俯き、自分の姿を視界に入れてまたため息を吐く。
 これはディアロ家が初夜の為にと用意したものだ。
 これから初夜なのだしドレスを着て化粧や髪飾りで飾るのはさすがにおかしい。でも、嫁ぎ先でこんな下品な物を用意していたのは私への嫌がらせなのかと疑いたくなる。
 侍女のジジは一瞬眉間に皺を寄せた後慌てて笑顔を作り「……初夜ですから、雰囲気を盛り上げようとしているのかと」と、苦し紛れの慰めを口にしながら私にこれを着せてくれた。
 恋愛感情があるわけではない二人の初夜を少しでも盛り上げようとしているのか、それとも最悪な空気にしたいのか、最悪な物を着させられて気分が悪いが、初夜にと用意されていたものを嫌だと拒絶出来なかった。

「私これから先、ずっとあの目で見られるの? そんなの耐えられるのかしら」

 独り言を言ってしまうのは、心細いせいだ。
 私は王命でこの家に嫁いで来たけれど、彼はそれを私以上に不満に思っているのだとあの時すぐに理解した。
 彼の気持ちは分かる、でも王命なのだから諦めてもらうしかない。
 私だって本当は逃げ出したい、でも私の用意を終えた侍女達は「良き夜をお過ごしくださいませ」とだいぶ前に部屋を出て行ってしまったし、王命に背いて逃げるわけにはいかないのだから私はもう諦めている。

「私を歓迎していない彼と結婚して上手くいくとは思えないわ。これから冷遇されるのかしら。そもそも私自国の王太子殿下に婚約を白紙にされている傷物だものね、冷遇されても仕方ないのかもしれないわね。婚約白紙は私が理由ではないけれど、傷物なのは事実だもの」

 私は、三ヶ月程前までデルヴィーニュ国の王太子の婚約者だった。
 王家に嫁ぐには私の家エーレン伯爵家では爵位が低すぎるが、過去に聖女を何十人も出している事と数代前に王女がエーレン家に嫁いでおり私にも王家の血が僅かでも入っているから王太子の婚約者になるのは問題が無い。とされての婚約だった。
 王太子殿下の婚約者に相応しい家格の令嬢は、私の他に何人もいた。それでも無茶な理由を押し通したのは、王家が聖女の血筋を取り込みたかったからに過ぎない。
 エーレン家の血筋は体が丈夫で男女共に長命の病気知らずの上子沢山、使用条件はあるけれど貴重な回復魔法の使い手だ。
 神殿で神に仕えて苦しい修行の末覚えられると言われている回復魔法を、エーレン家の人間は全員ではないが子供の頃から使える者が多いのだから、神殿とは仲が悪い王家がこの血を欲しがるのは当然かもしれない。
 エーレン家の者の治癒能力は特殊で、普通であれば王家の者は癒せない。それを結婚で何とか王家の者を癒せる様にしたいという無茶な考えが婚約の理由だった。
 私も家族も気乗りしない婚約だった。
 父も兄も家はそこそこ繁栄していれば良く、家族と領民が元気ならそれで満足という人なのだ。

「王太子殿下と結婚していても不幸、ここに嫁いでも不幸になるのね」

 私も家族も気乗りしていない婚約だったが、私の相手である王太子殿下も不満に思っていた。
 王太子殿下は、私が最初から気にいらなかったのだろう。
 不満を隠そうともせず、親しくなろうという気配すら無かった。
 私がどれだけ好かれようと努力しても、王太子殿下との心の距離は離れるばかり、誰の目から見ても不仲なのだと分かる関係でしかなかった。
 それでも婚約は解消にも白紙にもならず、私が成人になり次第結婚出来る様準備が進められていた。
 幼い頃から王命で決められていた婚約だから、私は抵抗するなんて考えは無かったし、幸せな夫婦になる事も諦めていた。
 王太子殿下と結婚し、王太子妃になり王妃になる。
 それは義務だと考えていたのに、突然婚約が白紙になったのだから人生何が起こるか分からない。
 互いに不幸だと思っていた縁は突然切れてしまった、プーラット国王女の一目惚れによって。
 王女の我儘が、私の未来を変えた。
 デルヴィーニュ国に遊び……陛下の年の離れた弟君の結婚を祝う為に来ていた王女が、王太子殿下と出会いその場で結婚したいと言い出したのだ。

「カイリー王女様はご結婚まであと一ヶ月なのね」

 王太子殿下の結婚式は予定通り行われる。
 花嫁は長年王太子殿下の婚約者だった私ではなくカイリー王女に変わるけれど、王女を溺愛しているというプーラット国の王からの願いでそれは簡単に叶ってしまった。
 プーラット国の方が国としては大きく力も強い、断れば何をされるか分からないのだからデルヴィーニュ国の王はその要望を受け入れるしかなかった。
 ただ、国交を保つ為王が決断したというのは表向きの言い訳だ。
 本当は美しいカイリー王女からの求婚に王太子殿下が浮かれてその場で承諾し、すぐさま私との婚約を破棄しようとした為に、デルヴィーニュ国の王が慌てて婚約を白紙に変更し、我が家は多すぎる慰謝料と共に新しい縁談を賜ったというのが真相だ。
 王から賜った縁談、それはカイリー王女の婚約者だったアンドリュー・ディアロ侯爵との結婚だった。
 婚約ではなく結婚だ。それも両国の国王陛下からの王命で、私がプーラット国の王都にある侯爵家に到着した翌日に結婚するというものだった。
 つまり今日だ。
 私は一言も話をしていない相手と式を挙げた。これから初夜を迎える。
 到着したのは昨日だというのに、出迎えたのは執事一人で侯爵の姿は無かった。
 初めて顔を見たのは式の時だったのだから、呆れる。
 ちなみに結婚式に着たドレスは私と王太子との式の為に準備していたもので王家が慰謝料の一つとして贈ってきたものだ。慰謝料のドレスで式を挙げるなんて縁起が悪すぎる。
 
「私はともかくとして、ジジ達の待遇は良くして貰わないといけないわ。その為には彼に良く思われなくては」

 王太子殿下に好かれていなかった私は、同世代の令息令嬢達からも馬鹿にされていた。
 王妃様や大人達は私に優しかったし、貴族令嬢でも年上の方々は優しかったけれど、学園に通っている間仲の良い友達なんて一人も出来なかった。
 寂しい学園生活を送る間、私の侍女であるジジやメイド達は登下校の馬車の中で私の話し相手になってくれた。
 彼女達が居なければ、私は愚痴を言う相手もなく鬱々とした日々を過ごしていただろう。
 雇っている主人の娘と使用人という間柄でも、ジジ達は私に誠意を尽くしてくれたし私は彼女達を信じている。
 異国に嫁ぐ私に付いて来てくれた彼女達を、不幸になんてさせたくはない。

「私が弱気になっていたら駄目よね。彼女達を守るために絶対に初夜を成功させなくちゃ。でも遅いわね」

 俯いていた顔を上げ扉を見つめても、誰かが来る気配すら無い。
 いくら私がジジ達を守る為初夜を乗り切る決心をしても、肝心の相手が現れなければどうしようもない。
 寝室に置かれたテーブルには、軽食と葡萄酒の瓶とグラスが二つ。
 でもそれは当然手つかずのまま、明日の朝までこのままかもしれない。

「こんなに長い時間放置されているんですもの、もう今夜はこちらに来る気はないのかもしれないわ」

 少し大きめな声で、扉の方に顔を向けて言ってみても反応なんてある筈が無い。
 一人の部屋で、ため息はどんどん深くなる。
 それと共に気持ちも落ちていく。

 今夜は自分に優しくしよう、戦いは明日から。
 のそのそとベッドに潜り込み始めた私は、入室許可を求めることなく扉が開いた気配に「ひっ」と声を上げた。
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