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敗北の後

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「ゾルティーア侯爵令嬢、あの」
「ありがとうございます。どうぞ扉を閉めて下さいませ」

 銀盆を持っている為涙を拭けない私は、精一杯の笑顔で騎士様にそうお願いすると返事を待たずに歩き始めました。
 戸惑いながら騎士様は、王太子殿下が信頼されている優秀な方であるというのが察せられる態度で私に頭を下げた後扉の鍵を閉めました。

 一歩一歩、ゆっくりと歩みを進めながらも私の涙は止まりませんでした。
 この涙をどう説明したらいいのか分かりません。
 先程の部屋に戻る前に涙を止めなければいけないというのに、止められません。

「フローリア」
「ケネス」

 先程の部屋の扉の前でケネスが待っていました。
 どうしてケネスだけが外に出ているのか考えて、また私の両目から涙が零れ落ちていきました。

「目を閉じろ」
「ケネス」

 ぽたぽたと落ちていくこれが何に対する涙なのか、私には判断出来ません。
 フィリップ殿下へのエミリアさんの気持ちへの涙なのか、エミリアさんに負けてしまった私への涙なのか。
 王妃様に湯が見られてしまった人たちへの涙なのか、私には理解出来ません。

「ありがとう」

 ケネスがハンカチで私の涙を拭いてくれているのを、ただ目を閉じて受け入れていました。
 いつもは剣を握る無骨な手が、優しく私の目元を拭いてくれるのを不思議な気持ちで受け入れていると自然に涙が止まっていました。

「お前は仕方ないな」
「なによ、それ」

 ケネスとは気心が知れている分、軽い言葉も言えます。
 他の従兄達とは、私とケネスとの距離感は違うのです。

「わざわざ自分が傷つくために会話しに行く必要なんて無かったと俺は思うし、それを考えるとお前は馬鹿だ」
「酷いわ」
「うん。なんか、わざわざカサブタを剥がしていたがる級友を見ている様な気持ちになってさ」
「カサブタを剥がす?」

 怪我など貴族令嬢が作ることは殆どありません。
 私も過去に数度ある程度の経験でしかありませんから、ケネスが言う様なカサブタを自ら剥ぐ様な事はしたことがありませんし、その気持ちを理解出来ません。

「そう。待っていればいつか傷が癒されて跡形もなく綺麗に治るのに、わざわざカサブタを剥がしてまた血を流すんだよ」
「そういう事があるのね。知らなかったわ」
「フローリアは、模範的な貴族令嬢だからなあ。そういう経験はないだろうな」
「そうね。傷なんて傷用のポーションを塗ればすぐに治ってしまうもの」

 ほんの少しの傷でも、私には傷用のポーションが使われてきました。
 例え貴族令嬢でも自然治癒出来痕も残らない様な傷にはポーションを使ったりしないのは、大きくなってから知りましたが私には未だポーションの治療は必須です。

「騎士学校だと大きな傷でもポーションなんて使わずに治してしまう奴らが多いんだ」
「そうなのね」
「で、傷の治り駆けに出来るカサブタを剥がす奴がいるんだよ」
「どうして」
「どうしてなんだろうな。少し痒みがあったりするから苛々するのかもしれないな」

 想像してみようとしても、カサブタが出来たことが無い私にはその感覚を理解するのは難しそうです。
 経験したことがない感覚は理解するのは難しいのだと、悟りました。

「ケネス」
「なんだ」
「エミリアさんはフィリップ殿下を優しいと言うのよ」
「そうみたいだな」
「私には理解出来ないわ。想像すら無理よ優しいフィリップ殿下なんて」

 ああ、止まった筈の涙がまたあふれそうです。
 
「無理よ。私の前でいつもあの方は声高に私を威喝して、私を蔑んで、笑いかけてくれたことすら無かったのよ」

 婚約者だったのに、フィリップ殿下も私も寄り添おうとしませんでした。
 婚約破棄が無ければ結婚するしかなかったのに、その前から冷え切った関係しかありませんでした。

「私がちゃんと努力していたらいつの日か私にフィリップ殿下が笑いかける未来があったの?」

 言いながらそんな日は絶対に来なかったと自分自身で答えを出して、無理矢理に笑いました。

「皆様をお待たせしてはいけないわね。部屋に入るわ」
「大丈夫なのか」
「ええ。ケネス、ありがとう」
「俺は何も」

 ハンカチをそっと私の目元に当てるケネスに甘えてしまいたくなります。

「傍にいてくれただけで心強いのよ。だからありがとう」

 ケネスの顔を見て笑って、漸く私の涙は止まりました。
 扉を開き中へと入ります。
 これから四人の判決が下されるのです。泣いても悔やんでも、すべてが決まるのです。
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