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長く長く続くその先に8 (透視点)
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「な、なんで……」
ぐうぅっと腹が鳴る、鳴り続ける腹を両手で押さえても鳴りやまない。
人間の腹って、こんなに鳴るものだろうか、俺の体おかしくなったのか?
「止まれよ。なんだよ」
自分の腹に声を掛けるなんて間抜けすぎると思いながら、つい言葉に出してしまう。
食べ物の匂いに鼻がひくつくのが情けない、ぐうぅぐうぅと鳴り続ける腹が情けない。
ここに来てから何も飲んでないし、食べてない。
眠れてないのにずっと動いてるせいで体が怠いが、それより空腹と喉の渇きが辛かった。
根田が言っていた通り、飲まず食わずでも死なない、死ねない。それでも腹はへるし喉も渇く、眠いし怠いし、誰もいない世界に一人でいるのが辛くてたまらない。
もう嫌だ、俺が何をしたっていうんだ。
言葉に出すと石段が崩れ始めるので、心の中で悪態をつきながらゴミを片付け続けた。
落ち葉を両手でかき集め、ゴミを拾って籠に押し込むのを繰り返し、石段の一番上、長く続く鳥居の一番向こうに見える光を目指し地味な作業を繰り返し続けた。
その繰り返しの作業に終わりが見えず、石段を上っても上っても光までの距離が縮まらない現実に心が折れ、自棄になって『無』の中に落とした筈の籠が戻って来て、俺のやらかしを見ろとばかりに、ゴミだと思っていたものを俺の目の前に晒した。
両手で腹を抑えたまま、恨めし気にゴミと思っていた物たちを見下ろすと、俺を見上げている狐と目があった。
「甘えるな、落ちて楽になろうなんて許さない」
狐が話すなんて変だと思うが、そんなことを言えばこの場所がすでに変だ。
石段と鳥居と落ち葉とゴミと俺、それしか存在していない世界に俺はずっと閉じ込められているんだから。
俺は悪くない、俺が何をしたっていうんだ。
この場所に来てからずっとそう思っていたのに、俺は悪くないってそう思っていたのに、俺が自覚していなかった罪を俺はもう自覚してしまった。
俺は母親を傷つけ、弟を傷つけ、由衣達を傷つけた。その結果親父に呆れられて見捨てられたんだと。
「お前に許されなくてもいい。……あ」
俺を責める狐に反論しようと口を開くと、ひときわ大きく腹が鳴る。
食べ物の匂いのせいだ、かすかにしている食べものの匂いに『食わせろ』と腹が鳴り続けてるんだ。
「はあっ。仕方ないな、根田さんが許したんだ。そんな情けない顔してないで食べればいい」
腹を押さえる俺の顔を見上げて、狐がため息を吐きながら言うのがムカついたが、食べればいいと言われて匂いのもとをきょろきょろと探し始める。
「これだ」
狐が布に包まれたものの結び目を咥えて、俺の前にずいっと差し出したのをひったくる様に受け取る。
結び目を解く僅かな時間さえじれったいのに、寒さに感覚が鈍くなった指先は上手く力が入らず落としそうになって思わず声を上げる。
「焦るな、食べ物は逃げない。慌てると落とすぞ」
呆れた様に言われて、慌ててその場に座り込み膝の上に包みを載せる。
久しぶりの食べ物、落としてたまるか。
「……弁当」
包みを開くと出て来たのは、大きな弁当箱だった。
漆塗りの大きな曲げわっぱ、蓋がしてあるのになぜこんなに食べ物の匂いがしていたのか分からないが、蓋を開いたらそんな疑問どうでも良くなってしまった。
「本当に食べていいのか」
「盗らないから、そんな泣きそうな顔するな」
狐に不憫そうに言われて、むっとするけれどそれよりも食べたくて添えられていた割りばしを手に取る。
「……」
大きな稲荷寿司に齧り付いた瞬間、ぽろりと涙が零れた。
口の中に広がる出汁と醤油の香りと味、甘辛く煮られた油揚げと酢飯を噛むと口の中でほろりと崩れていく。
早く空腹を満たしたいのに、飲み込むのが惜しく感じてしまう。
「……美味い」
一口をよく噛んで、ごくりと飲みこんで、ほうぅっと息を吐く。
大きな弁当の中を、二口目を噛みながら眺める。
稲荷寿司、卵焼き、鶏のから揚げ、しいたけの肉詰め、アスパラのベーコン巻、鶏と根菜の煮物、カボチャのサラダにほうれん草のお浸しの海苔巻き、茹でブロッコリーに林檎という豪華なものだ。
茫然と見ていたら、狐がどこからかスープジャーを出してきて蓋を開けるとじゃがいもと玉ねぎの味噌汁が入っていた。
「この味……由衣?」
稲荷寿司を一つ食べ終えて、卵焼きを食べ始め気が付いた。
ほのかに甘くて少し醤油の香りがしている卵焼き、小さく刻んだ人参やしいたけやハムが混ぜ込んで一緒に焼かれている。これは由衣が以前作ってくれた味に似ている。
「分かるのか?」
狐が驚いた様に、狐の表情なんて分からないが、驚いた様に見える。
「分かる。この味を食べたのは一度だけだった。俺が田舎臭いって馬鹿にしたから、その後は普通の卵焼き以外は作らなくなったんだ」
弁当も何度か作ってくれたけれど、それにもケチをつけた。
由衣の料理はどれも美味しかったけれど、お礼を言って褒めた時の嬉しそうな顔より、ケチをつけた後「先輩の好みのもの作れる様に頑張りますね」と悲しそうに言う顔に優越感を感じていたんだ。
「由衣の料理、こんなに美味かったんだなあ」
ぽろりぽろりと涙が落ちる。
なんで俺は、素直に美味いって言えなかったんだろう。
「美味しいよ。由衣の料理は、美味しい。だって喜んで食べて欲しいって思いながら、心を込めて作ってるから」
「心を込めて」
その言葉に、俺はまたぽろりと涙をこぼす。
「美味い、美味いよ。いつだって美味いって本当は思ってたんだ」
泣きながら弁当を食べていく。
煮物の味付けと出汁の香り、ほうれん草の丁度いい茹で加減、カボチャのサラダにはクリームチーズが刻まれて入っているし、から揚げはニンニクが効いていてそれが美味い。
どれも美味くて、美味いと感じる度に、空腹が満たされていく度に後悔に胸が苦しくなる。
「美味いって言わなかった。一度も言わなかった」
後悔してももう遅いんだろう。
本当は美味いって思ってた、作ってもらえるのが嬉しいと思ってたなんて、なんで言わなかったんだろうと今更悔やんでも遅すぎる。
「俺は最低だった。由衣達が俺にしてくれたことに感謝したことなんて一度も無かった。俺は、どうすれば自分の都合よく使えるかしか考えて無かった。俺は……ごめん。謝っても仕方ないけど、どうしようもないけど」
謝りながら弁当を食べ、味噌汁を飲んで、また後悔して謝る。
すべて食べ終え、ふと気が付くと狐の姿も弁当箱も消えて俺はまた一人になっていた。
一人、今迄ずっと一人だったけれど、また一人になって孤独感が前より酷くなる。
腹がくちくなり、喉の渇きも癒えても、たった一人だけのこの世界でまた飢えていくのかと思うと素直に喜べはしなかった。
「謝れない。もう由衣達には会えないから、謝ることなんて出来ない」
ずっと一人だ。俺は、ここから出られずに一人。
だけど……。
「ここを綺麗にすることが俺のしでかしの償いに、ほんの少しでもなるなら」
立ち上がり籠を背負ってから、しゃがみ込む。
丁寧に両手で落ち葉をかき集め、籠に入れる。
落ちている紙屑やゴミは良く見ると、どれも過去の俺の記憶の中にあるものばかりで、それに落ち込みながら重ねていた絵や美紀のワンピースの上に置いていく。
少しずつ綺麗にしていって、石段を一段ずつ上る。
まだまだ光には届かない、石段も鳥居も数えきれない程続いている。
「会って言えることは無いと思うけど、ごめん。酷いこと言って、金を盗んで、貢がせて、酷い事ばかりして本当にごめん、ごめんなさい」
光に向かい頭を下げて、また落ち葉集めに戻る。
ほんの少し世界に日差しが差し込む様になっていることに気が付きもせず、俺は落ち葉を集め続けたんだ。
ぐうぅっと腹が鳴る、鳴り続ける腹を両手で押さえても鳴りやまない。
人間の腹って、こんなに鳴るものだろうか、俺の体おかしくなったのか?
「止まれよ。なんだよ」
自分の腹に声を掛けるなんて間抜けすぎると思いながら、つい言葉に出してしまう。
食べ物の匂いに鼻がひくつくのが情けない、ぐうぅぐうぅと鳴り続ける腹が情けない。
ここに来てから何も飲んでないし、食べてない。
眠れてないのにずっと動いてるせいで体が怠いが、それより空腹と喉の渇きが辛かった。
根田が言っていた通り、飲まず食わずでも死なない、死ねない。それでも腹はへるし喉も渇く、眠いし怠いし、誰もいない世界に一人でいるのが辛くてたまらない。
もう嫌だ、俺が何をしたっていうんだ。
言葉に出すと石段が崩れ始めるので、心の中で悪態をつきながらゴミを片付け続けた。
落ち葉を両手でかき集め、ゴミを拾って籠に押し込むのを繰り返し、石段の一番上、長く続く鳥居の一番向こうに見える光を目指し地味な作業を繰り返し続けた。
その繰り返しの作業に終わりが見えず、石段を上っても上っても光までの距離が縮まらない現実に心が折れ、自棄になって『無』の中に落とした筈の籠が戻って来て、俺のやらかしを見ろとばかりに、ゴミだと思っていたものを俺の目の前に晒した。
両手で腹を抑えたまま、恨めし気にゴミと思っていた物たちを見下ろすと、俺を見上げている狐と目があった。
「甘えるな、落ちて楽になろうなんて許さない」
狐が話すなんて変だと思うが、そんなことを言えばこの場所がすでに変だ。
石段と鳥居と落ち葉とゴミと俺、それしか存在していない世界に俺はずっと閉じ込められているんだから。
俺は悪くない、俺が何をしたっていうんだ。
この場所に来てからずっとそう思っていたのに、俺は悪くないってそう思っていたのに、俺が自覚していなかった罪を俺はもう自覚してしまった。
俺は母親を傷つけ、弟を傷つけ、由衣達を傷つけた。その結果親父に呆れられて見捨てられたんだと。
「お前に許されなくてもいい。……あ」
俺を責める狐に反論しようと口を開くと、ひときわ大きく腹が鳴る。
食べ物の匂いのせいだ、かすかにしている食べものの匂いに『食わせろ』と腹が鳴り続けてるんだ。
「はあっ。仕方ないな、根田さんが許したんだ。そんな情けない顔してないで食べればいい」
腹を押さえる俺の顔を見上げて、狐がため息を吐きながら言うのがムカついたが、食べればいいと言われて匂いのもとをきょろきょろと探し始める。
「これだ」
狐が布に包まれたものの結び目を咥えて、俺の前にずいっと差し出したのをひったくる様に受け取る。
結び目を解く僅かな時間さえじれったいのに、寒さに感覚が鈍くなった指先は上手く力が入らず落としそうになって思わず声を上げる。
「焦るな、食べ物は逃げない。慌てると落とすぞ」
呆れた様に言われて、慌ててその場に座り込み膝の上に包みを載せる。
久しぶりの食べ物、落としてたまるか。
「……弁当」
包みを開くと出て来たのは、大きな弁当箱だった。
漆塗りの大きな曲げわっぱ、蓋がしてあるのになぜこんなに食べ物の匂いがしていたのか分からないが、蓋を開いたらそんな疑問どうでも良くなってしまった。
「本当に食べていいのか」
「盗らないから、そんな泣きそうな顔するな」
狐に不憫そうに言われて、むっとするけれどそれよりも食べたくて添えられていた割りばしを手に取る。
「……」
大きな稲荷寿司に齧り付いた瞬間、ぽろりと涙が零れた。
口の中に広がる出汁と醤油の香りと味、甘辛く煮られた油揚げと酢飯を噛むと口の中でほろりと崩れていく。
早く空腹を満たしたいのに、飲み込むのが惜しく感じてしまう。
「……美味い」
一口をよく噛んで、ごくりと飲みこんで、ほうぅっと息を吐く。
大きな弁当の中を、二口目を噛みながら眺める。
稲荷寿司、卵焼き、鶏のから揚げ、しいたけの肉詰め、アスパラのベーコン巻、鶏と根菜の煮物、カボチャのサラダにほうれん草のお浸しの海苔巻き、茹でブロッコリーに林檎という豪華なものだ。
茫然と見ていたら、狐がどこからかスープジャーを出してきて蓋を開けるとじゃがいもと玉ねぎの味噌汁が入っていた。
「この味……由衣?」
稲荷寿司を一つ食べ終えて、卵焼きを食べ始め気が付いた。
ほのかに甘くて少し醤油の香りがしている卵焼き、小さく刻んだ人参やしいたけやハムが混ぜ込んで一緒に焼かれている。これは由衣が以前作ってくれた味に似ている。
「分かるのか?」
狐が驚いた様に、狐の表情なんて分からないが、驚いた様に見える。
「分かる。この味を食べたのは一度だけだった。俺が田舎臭いって馬鹿にしたから、その後は普通の卵焼き以外は作らなくなったんだ」
弁当も何度か作ってくれたけれど、それにもケチをつけた。
由衣の料理はどれも美味しかったけれど、お礼を言って褒めた時の嬉しそうな顔より、ケチをつけた後「先輩の好みのもの作れる様に頑張りますね」と悲しそうに言う顔に優越感を感じていたんだ。
「由衣の料理、こんなに美味かったんだなあ」
ぽろりぽろりと涙が落ちる。
なんで俺は、素直に美味いって言えなかったんだろう。
「美味しいよ。由衣の料理は、美味しい。だって喜んで食べて欲しいって思いながら、心を込めて作ってるから」
「心を込めて」
その言葉に、俺はまたぽろりと涙をこぼす。
「美味い、美味いよ。いつだって美味いって本当は思ってたんだ」
泣きながら弁当を食べていく。
煮物の味付けと出汁の香り、ほうれん草の丁度いい茹で加減、カボチャのサラダにはクリームチーズが刻まれて入っているし、から揚げはニンニクが効いていてそれが美味い。
どれも美味くて、美味いと感じる度に、空腹が満たされていく度に後悔に胸が苦しくなる。
「美味いって言わなかった。一度も言わなかった」
後悔してももう遅いんだろう。
本当は美味いって思ってた、作ってもらえるのが嬉しいと思ってたなんて、なんで言わなかったんだろうと今更悔やんでも遅すぎる。
「俺は最低だった。由衣達が俺にしてくれたことに感謝したことなんて一度も無かった。俺は、どうすれば自分の都合よく使えるかしか考えて無かった。俺は……ごめん。謝っても仕方ないけど、どうしようもないけど」
謝りながら弁当を食べ、味噌汁を飲んで、また後悔して謝る。
すべて食べ終え、ふと気が付くと狐の姿も弁当箱も消えて俺はまた一人になっていた。
一人、今迄ずっと一人だったけれど、また一人になって孤独感が前より酷くなる。
腹がくちくなり、喉の渇きも癒えても、たった一人だけのこの世界でまた飢えていくのかと思うと素直に喜べはしなかった。
「謝れない。もう由衣達には会えないから、謝ることなんて出来ない」
ずっと一人だ。俺は、ここから出られずに一人。
だけど……。
「ここを綺麗にすることが俺のしでかしの償いに、ほんの少しでもなるなら」
立ち上がり籠を背負ってから、しゃがみ込む。
丁寧に両手で落ち葉をかき集め、籠に入れる。
落ちている紙屑やゴミは良く見ると、どれも過去の俺の記憶の中にあるものばかりで、それに落ち込みながら重ねていた絵や美紀のワンピースの上に置いていく。
少しずつ綺麗にしていって、石段を一段ずつ上る。
まだまだ光には届かない、石段も鳥居も数えきれない程続いている。
「会って言えることは無いと思うけど、ごめん。酷いこと言って、金を盗んで、貢がせて、酷い事ばかりして本当にごめん、ごめんなさい」
光に向かい頭を下げて、また落ち葉集めに戻る。
ほんの少し世界に日差しが差し込む様になっていることに気が付きもせず、俺は落ち葉を集め続けたんだ。
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