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長く長く続くその先に6 (透視点)

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「まだまだあるのか」

 どれだけ長い時間ここにいるのか、もうそれすら分からない。
 昼間だと思われる時間は薄暗く、夕方らしき時間はどんよりとした雲のところどころが赤く染まる。暗い雲の色と赤が混じる空は、これから夜になると知らせながら何か良くないものが現れてくる様にも見えて、背筋がゾクゾクとしてしまう。
 そして夜、手元も足元もよく見えない。
 薄っすらと輪郭だけがやっと見えている様な夜の闇の中は、手探りで探りつついなければ石段から落ちてしまいそうで気が抜けない。
 でも、落ちるのが怖いから動かずにいればいいのかというと、そうでは無かったり
 暗闇で膝を抱え黙り込んで、時が過ぎていくのを待つだけの時間は、動いているよりも長く長く感じてしまうのだ。
 自分が動いていれば多少なりとも枯れ葉を集める時の、湿った葉が擦れる微かな音がする。クシャクシャに丸められた紙屑のカサカサした音、靴底がそれらを踏みしめる音、そして自分の息遣い。
 それらの音が、自分はまだ生きているのだと教えてくれる。
 だけど、黙っていると息をするのが怖くなる。
 誰もいない自分以外誰もいない世界、息を吐く音心臓の脈打つ音すら響きそうで、それが何か良くないものを引き寄せそうで、恐ろしくなる。
 長い長い夜の時間に、思うのだ。
 もう朝は来ないのでは無いか、自分は暗闇に閉じ込められてしまったのでは無いか、腹が空いて、喉が渇いて、寒くて、疲れて、眠りたいのに恐ろしさに眠ることが出来ない。
 長い時間を恐怖に怯えながら過ごし、やっと朝を迎える。薄暗くても、それでも本当の闇では無くなることに安堵して、また一日を過ごす。
 恐ろしい夜を何度も何度も過ごし、朝も昼も夜も落ち葉とゴミを拾い集め続けたのに、まだ終わりが見えない。
 その事実に打ちのめされていた。

「もう落ちてしまえばいいのか?」

 時々下を振り返ると、階段の下の方に『無』が見える。
 そこは、夜の闇よりも濃い闇の黒、何も無い場所だ。
 時々無意識に悪態をつく度に、下の石段崩れて落ちてしまうからそこまで長くはないけれど、それでも崩れず残っている石段はあり、その下に『無』があるのだと俺は常に意識している。
 あそこに落ちれば楽になれる。
 もう空腹や寒さや孤独に耐えながら、ゴミを集めなくてすむ。
 石が崩れるのに身を任せる、一緒に落ちてしまえばきっと俺は楽になれる。

「落ちたら楽になれる」

 しゃがみ込み両手で集めていたゴミから手を離して、ふらりと立ち上がると背負っていた籠を階段の下に放り投げる。
 ガサガサと中身をぶち撒けながら転げ落ちていく籠は、やがて無の中に消え見えなくなった。

「あんな風に俺も落ちて……」

 落ちるのはどんな気持ちだろう。
 痛いのだろうか、苦しいのだろうか、それでも今よりマシだろうか。

「最後にせめて何か食べたかった」

 ふいに思い出すのは、由衣の部屋で出された鍋焼きうどんだった。
 風邪をひいた夜に由衣の部屋を訪ねた。
 鼻声の俺に、由衣は鍋焼きうどんを作って食べさせた後で、香りつけ程度のラム酒を入れたエッグノッグを出してくれた。
 それに俺は文句を言った。
 小さな土鍋に柔らかく煮えた味噌味のうどん、具は長ネギと半熟の卵というシンプルなもので、体が温まる様になのか千切りの生姜も入っていた。
 寒い夜だったし、熱を出しかけていたのか悪寒もしていたから、それをとってもありがたく思いながら完食したのに、エッグノッグを飲みながら、天ぷらくらい入れて欲しかったとか、味噌味より醤油の方がとか、思いつくままに文句を言った。
 俺は弱っている時ほど由衣達に嫌味を言い、我儘を通した。俺の我儘を聞き入れてくれて、俺の何もかもを許してくれることで、彼女達に愛されているのだと満足したのだ。
 自分に自信がなくて、彼女達の愛情を感じることで自尊心を満たしていた。
 金を好きなだけ使い、足りなければ金や物を彼女達に強請り、由衣が貯めていた金をこっそり盗みもした。

「俺は誰も好きじゃなかった。好かれているって思えるのが嬉しかっただけだ」

 カサカサと風もないのに足元で音を立てている紙屑を拾い、クシャクシャに丸まったそれを開くと下手くそな、子供が描いた様な絵が見えた。

「おかあさん、ありがとう?」

 その絵は、笑っている女の顔が描かれていた。そして『おかあさん、ありがとう』の文字と自分の名前が平仮名で書かれていた。

「なんでここに? なんでセロテープ?」

 破れたものをセロテープで貼り合わせている。
 それは、見覚えがあった。

「俺が、破って捨てたやつだ」

 ふと視線を動かすと、落とした筈の籠が戻って来ていた。その籠の中には枯れ葉は消えていて、紙屑や拾った覚えのない物が入っているのが見えた。

「これは弟に意地悪して壊したおもちゃ、こっちは似合わないって捨てさせた美紀のワンピース、これは神田がくれたネックレス……」

 全部覚えている。
 幼い頃の物まで、手に取るとその時の記憶が蘇ってくる。

「全部俺が駄目にしたもの、捨てたもの、捨てさせたものばかり、これは俺が自分のプライドを満足させるために、あいつらを傷付けた時の……」

 酷い言葉を投げつけた。最初の絵は母の日に学校の授業で描いて、だけど弟から折り紙で作った花を喜ぶ母親を見て、母親の目の前で破り捨てた。
 丁寧に折られた折り紙の花、そっちの方が良いものに見えて、俺の下手くそな絵なんて渡せないって思ったんだ。
 絵が苦手だったから、笑われるのが怖かった。
 俺のことも弟のことも、平等に可愛がって大切に育ててくれていた母親が、俺が描いた絵を笑うわけないのに、それを知っていても怖かったんだ。

『お母さんを描いてくれて嬉しいわ。今度は破かないでね』

 そう言いながらセロテープで破れた絵を貼り合わせて、『描いてくれてありがとう』と言ったけれどその顔は少し困っているように見えた。
 美紀が気に入っていたワンピースを似合わないと捨てさせた時も、由衣が見えた作ってくれた飯にケチをつけた時も、神田がくれたネックレスを気に入らないから捨てたと言って売っぱらってしまった時も、彼女達は俺を許しながら、少し寂しそうな顔をしていた。
 俺はそれに気がついていながら、優越感を感じていたんだ。
 俺の暴言や我儘を許すのは、俺を好きだから。俺は不安になる度に、そうやって愛情を確認していたんだ。
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