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悪しき心は変わらない
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「え、な、なに」
状況についていけずに動揺しながら紺さんと他の三匹の狐を交互に見ていると、大きな狐がもう片方の前足も先輩の顔を踏みつけた。
その途端先輩は静かになって、それはそれで心配になる。
「悪しき心が戻ったんだ。これの心は元々歪んでいた。妬み嫉み、他人が努力の末得た幸いを狡いと嫉妬し、自分は何もしていないのに、実力を認められていないと拗ねていた。これの祖父母も両親も弟も善良で信心深く屋敷神である私を常に清め参っていたが、これは幼い頃ですら手を合わせたことすらなかった」
「屋敷神……」
大きな狐さんの、大きな耳やふさふさのしっぽを見る。しっぽ、よくよく見ると一本じゃない様に見える。
何本かのしっぽが一つにまとまった様な、そんなふさふさで大きな大きなしっぽだ。対して紺さんは体も小さいししっぽも細くて頼りなくて毛艶も悪い気がする。
「私は代々これの家を守って来た。こんな心根の悪い者は今までいなかった。私が人の形になり、これの親を補佐する様になったのもこれがあまりにも悪い影響を家に与えていたからだ」
「人の形になった? あ、根田さん?」
「そうだ。私が屋敷神だとは気が付いていないが、心の拠り所としてこれの父親は私を認めている。眷属としているわけではないから、供えられた物以外私は食すことは出来ない。生米と酒と野菜と餅だな」
屋敷神は古い家の庭の隅にある祠みたいなものに祀られている神様の事だったと思う。ご神体は不動尊様、地蔵尊様、稲荷様等様々らしいけれど、狐の姿をしてるから多分稲荷様なんだろう。生米と酒と野菜と餅というのは、その祠にお供えされているものを言っているのだろうか。
それってお参りするならそういうものだと思うけれど、なんというか話が出来る狐相手だと、それだけでは何だか寂しいと感じてしまう。
「先輩はどうなるんですか?」
冷静になるとマンションの住人がいつ通るか分からない通路に、いつまでもこうしているわけにはいかないと思ってしまうけれど、かといって先輩は部屋の中に招き入れたくない。
早くお帰り願いたいのが本音だ。
「これは私が罰する。心が少しでも清められれば外に出すが、そうでないなら一生私の囲いの中で償いをさせる」
「囲いの中で償い、ですか」
「そうだ。これの父親の意識では根田という人間の家に預けているという認識だが、実際は神域にある私の囲いの中で罰を受ける。時間経過の無い場所で己の穢れを清め償いをし続ける」
時間経過の無い場所での償い、そう聞いて背筋が寒くなる。
先輩を見る大きな狐の目は冷たくて、こんな人、狐を敵にしたくないと思う程だった。
「これが心を改めても、もうお前の前には出さない。何か言うなら今だぞ」
「何か。先輩と話せるんですか」
「お前が望むなら」
そう言われてゴクリと唾を飲み込んでから、グラスに日本酒を注ぎ狐に差し出した。
「話をさせて下さい」
「分かった。これが対価だな」
そういうつもりではなかったけれど、そう取られたらのならばと頷くと、狐は前足を先輩の額から胸の上に置き直しながら、私が差し出したグラスの日本酒を一舐めで空にした。
「美味い酒だ。出来るなら落ち着いて飲みたいものだ。僅かな時間だが話すのを許そう」
その途端、先輩は声を出せる様になったみたいだけど、動くことは出来なそうだった。
「先輩」
「由衣、助けろよ。俺悪い事なんかしてないだろ、お前が使って無かった金を俺が使って何が悪いんだよ! お前みたいな何の面白みもない女、俺じゃなきゃ相手にしないってのに何意地張ってんだよ。カリンとは別れるし、美紀たちとも別れる。それならいいんだろ! お前なんて俺を逃したら一生結婚出来ないぞ。ずっと一人で生きるのかよ。そんな淋しい、惨めな……」
大きな狐の前足に胸のところを押さえつけられて、仰向けに寝転んだまま身動きできない先輩は、その姿のまま早口に捲し立てる。
「先輩が何を思って私の部屋からお金を盗んだのか、その行動理由が理解出来ません。私や美紀ちゃん達と同時に付き合って、言い方悪いですけど貢がせて、私達を馬鹿だと心の底で思ってたんでしょうね」
それなのに、誰も先輩を疑っていなかった。
自分は先輩に愛されていると信じて、それぞれの思いで尽くしていた。
先輩との幸せな未来、それがあると皆信じていた。
「だからなんだよ。お前らは馬鹿にされる程度の奴なんだよ。ちょっとの間だけでも俺がかまってやったから幸せだっただろ。夢見せてやったんだ、感謝されても恨まれるのは違うだろ!」
これがこの人の本心か、それが分かっただけで十分かもしれない。
この人に関わる時間が無駄だ。
「先輩、私この世で一番のクズは自分の父親だって思っていました」
紺さんが狐だと思い出し、それと一緒に夢のことも思い出していた。
紺さんと歩いたあの田舎道の先、砂利が敷かれた場所にぽつりと立つ石碑を二人で見た。
その時、紺さんから祖母は私の幸せを願っていたと聞かされた。祖母が私の幸せを願っていたから、紺さんは祖母の願いが叶うといい、そうなると良いと見守ってくれていたのだと。そう話してくれた。
「でも、先輩は父よりも酷いクズだと思います。先輩なんて私の人生に必要ありません。先輩がいなくても私は一人で生きていけます。むしろいない方が幸せになれます」
私がそう言い切ると、先輩は「うわあああぁっ!!」と大声を上げ始めた。
状況についていけずに動揺しながら紺さんと他の三匹の狐を交互に見ていると、大きな狐がもう片方の前足も先輩の顔を踏みつけた。
その途端先輩は静かになって、それはそれで心配になる。
「悪しき心が戻ったんだ。これの心は元々歪んでいた。妬み嫉み、他人が努力の末得た幸いを狡いと嫉妬し、自分は何もしていないのに、実力を認められていないと拗ねていた。これの祖父母も両親も弟も善良で信心深く屋敷神である私を常に清め参っていたが、これは幼い頃ですら手を合わせたことすらなかった」
「屋敷神……」
大きな狐さんの、大きな耳やふさふさのしっぽを見る。しっぽ、よくよく見ると一本じゃない様に見える。
何本かのしっぽが一つにまとまった様な、そんなふさふさで大きな大きなしっぽだ。対して紺さんは体も小さいししっぽも細くて頼りなくて毛艶も悪い気がする。
「私は代々これの家を守って来た。こんな心根の悪い者は今までいなかった。私が人の形になり、これの親を補佐する様になったのもこれがあまりにも悪い影響を家に与えていたからだ」
「人の形になった? あ、根田さん?」
「そうだ。私が屋敷神だとは気が付いていないが、心の拠り所としてこれの父親は私を認めている。眷属としているわけではないから、供えられた物以外私は食すことは出来ない。生米と酒と野菜と餅だな」
屋敷神は古い家の庭の隅にある祠みたいなものに祀られている神様の事だったと思う。ご神体は不動尊様、地蔵尊様、稲荷様等様々らしいけれど、狐の姿をしてるから多分稲荷様なんだろう。生米と酒と野菜と餅というのは、その祠にお供えされているものを言っているのだろうか。
それってお参りするならそういうものだと思うけれど、なんというか話が出来る狐相手だと、それだけでは何だか寂しいと感じてしまう。
「先輩はどうなるんですか?」
冷静になるとマンションの住人がいつ通るか分からない通路に、いつまでもこうしているわけにはいかないと思ってしまうけれど、かといって先輩は部屋の中に招き入れたくない。
早くお帰り願いたいのが本音だ。
「これは私が罰する。心が少しでも清められれば外に出すが、そうでないなら一生私の囲いの中で償いをさせる」
「囲いの中で償い、ですか」
「そうだ。これの父親の意識では根田という人間の家に預けているという認識だが、実際は神域にある私の囲いの中で罰を受ける。時間経過の無い場所で己の穢れを清め償いをし続ける」
時間経過の無い場所での償い、そう聞いて背筋が寒くなる。
先輩を見る大きな狐の目は冷たくて、こんな人、狐を敵にしたくないと思う程だった。
「これが心を改めても、もうお前の前には出さない。何か言うなら今だぞ」
「何か。先輩と話せるんですか」
「お前が望むなら」
そう言われてゴクリと唾を飲み込んでから、グラスに日本酒を注ぎ狐に差し出した。
「話をさせて下さい」
「分かった。これが対価だな」
そういうつもりではなかったけれど、そう取られたらのならばと頷くと、狐は前足を先輩の額から胸の上に置き直しながら、私が差し出したグラスの日本酒を一舐めで空にした。
「美味い酒だ。出来るなら落ち着いて飲みたいものだ。僅かな時間だが話すのを許そう」
その途端、先輩は声を出せる様になったみたいだけど、動くことは出来なそうだった。
「先輩」
「由衣、助けろよ。俺悪い事なんかしてないだろ、お前が使って無かった金を俺が使って何が悪いんだよ! お前みたいな何の面白みもない女、俺じゃなきゃ相手にしないってのに何意地張ってんだよ。カリンとは別れるし、美紀たちとも別れる。それならいいんだろ! お前なんて俺を逃したら一生結婚出来ないぞ。ずっと一人で生きるのかよ。そんな淋しい、惨めな……」
大きな狐の前足に胸のところを押さえつけられて、仰向けに寝転んだまま身動きできない先輩は、その姿のまま早口に捲し立てる。
「先輩が何を思って私の部屋からお金を盗んだのか、その行動理由が理解出来ません。私や美紀ちゃん達と同時に付き合って、言い方悪いですけど貢がせて、私達を馬鹿だと心の底で思ってたんでしょうね」
それなのに、誰も先輩を疑っていなかった。
自分は先輩に愛されていると信じて、それぞれの思いで尽くしていた。
先輩との幸せな未来、それがあると皆信じていた。
「だからなんだよ。お前らは馬鹿にされる程度の奴なんだよ。ちょっとの間だけでも俺がかまってやったから幸せだっただろ。夢見せてやったんだ、感謝されても恨まれるのは違うだろ!」
これがこの人の本心か、それが分かっただけで十分かもしれない。
この人に関わる時間が無駄だ。
「先輩、私この世で一番のクズは自分の父親だって思っていました」
紺さんが狐だと思い出し、それと一緒に夢のことも思い出していた。
紺さんと歩いたあの田舎道の先、砂利が敷かれた場所にぽつりと立つ石碑を二人で見た。
その時、紺さんから祖母は私の幸せを願っていたと聞かされた。祖母が私の幸せを願っていたから、紺さんは祖母の願いが叶うといい、そうなると良いと見守ってくれていたのだと。そう話してくれた。
「でも、先輩は父よりも酷いクズだと思います。先輩なんて私の人生に必要ありません。先輩がいなくても私は一人で生きていけます。むしろいない方が幸せになれます」
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