おきつねさんとちょっと晩酌

木嶋うめ香

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一人で帰るのは寂しいものなんだ1

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「今日は本当にありがとうございました」

 地下鉄の入り口でお礼を言うと、課長は神田さんと美紀ちゃんと共に手を振り去って行った。
 私だけ路線が違うのが、今日はとてもありがたいと感じながら階段を下り改札を抜けホームへと歩く。

「ふう、食べ過ぎちゃったかな」

 電車を待つ人が数人いるだけのホームで、いつもと同じ場所に立ちそっと胃の辺りを撫でる。
 暗い話をしながらの飲食は、いくら飲んでも食べても胃とは違う場所に入っていく気がして勧められるままに飲んで食べてしまった。
 しかも課長の奢りだったのが申し訳ない。

「課長と私的な話したことなかったけど、もの凄く気遣ってくれる人なのね」

 定時までシュレッダー作業をし続けて、自分の机に戻ると課長からメッセージが届いていた。
 今日は営業も皆定時退社なのか、すでに部屋には誰も居らず私達三人はそれぞれ自分のパソコンに届いていた課長からのメッセージを読み「お店予約済みなの?」と驚きの声を上げた。
 今日迷惑を掛けた課長からの飲みの誘いを断る理由は勿論無いし、むしろ私達が課長にお礼の席を設けるべきなんじゃない? なんて話をしながら帰り支度をしてメッセージに書かれていた居酒屋に向かった。
 居酒屋と看板に書かれていたけれど、店構えはかなり高級そうに見えて予約しているという課長の名前を出すと店の奥の個室に通された。
 四人掛けのテーブルの片側に私と美紀ちゃんが座り、神田さんはその正面に腰を下ろした。
 メッセージに少し遅れると書かれていた通り課長の姿は無かったけれど、私達は課長の指示通りテーブルの上にあったタブレットから飲み物を各自注文すると、予約の段階で注文済だと言って前菜っぽいメニューを三点程、店員さんが飲み物と一緒に運んで来て驚いてしまった。
 指示があったとしても、飲み物ならともかく食べる物まで先に注文してしまうのは何となく躊躇いがあったから「課長って凄いですね」と言いながら、カチリとグラスを合わせた。
 神田さんは生ビール、美紀ちゃんはハイボール、私は梅酒のロックをちびりちびりと飲みながらテーブルの上のお皿に箸を伸ばした。
 飲み会の時かなり豪快にジョッキを傾けている印象がある神田さんは、すでに生ビールの泡が消えてしまってもまだ半分も減っていない。泡が消えてしまった生ビールって美味しさが半減してそうだと思いながら私はロックグラスの中の氷をカラカラと揺らしていた。
 課長がやって来たのはお店に入ってから三十分ほど過ぎた頃だっただろうか、個室のドアを開き中に入ってきた課長の顔はとても疲れている様に見えた。

「なんだなんだ、遠慮せずに食べてて良かったんだぞ」

 課長は、殆ど減っていない食べ物を見ながら神田さんの隣に腰を下ろすなりメニューを見始めた。
 
「適当に頼んでいいのかな? 食べられないものあるか?」

 三人が首を横に振ると、課長は躊躇いなくタブレットを操り注文を終えた。

「酔わない内に話をしておく、鈴木は表向き自己都合による退職になったが、実際は解雇だ」
「自己都合」
「それって」
「相手が取引き先だからですか?」

 戸惑う私と美紀ちゃんの声に重なり、神田さんは咎める様に課長に問い詰めた。

「そうだ。鈴木の実家は大口顧客の一つだからな。その息子を大っぴらに解雇するわけにはいかないそうだ」
「そんなのって」
「その代わり、鈴木の実家が君たちに支払う慰謝料と同額を会社からも君たちに支払うことに決まった」

 それって経理上はどんな扱いになるのだろう。「そんなの納得出来ない!」と大声を上げる神田さんを見ながら考えてしまう私はどうも感覚がおかしいのかもしれない。

「納得は出来ないだろうが、君たちが幾ら鈴木に金を渡していたのかも分からないし、三浦さんも正確にいくら盗られたのか分からないんだろ? 金庫の写真しか出さなかったということは、実際に取られた方は証拠がもう無いんじゃないか?」
「……どうしてそれを」
「君なら、盗られた証拠があるならそちらを見せる気がしたんだ。鈴木は指紋を拭いたか何かしてたのかな?」
「いえ、盗まれたと気が付く前に私が掃除して拭き取ってしまったんです。金庫の方は貯金箱のお金を盗まれたと確信してから見たので、写真を撮ることが出来たんですが」

 まさか衝動的に洗ってしまったとは言えず誤魔化すと、課長は「やっぱりそうなのか」と深く息を吐いた。

「やっぱり?」
「上が、証拠が出せるなら懲戒解雇も検討するとは言っていたんだが、その場合三人に被害届を出して貰わないといけなくなるんだ。窃盗罪、詐欺罪等になるのかどうかは社内では判断できないし、それが受理されるかどうかも分からない」
「それは……三又、四又ですね。それのトラブルだけじゃ被害届なんて受理されないでしょうし、私や美紀のお金の件だって本当に結婚を考えていた相手から合意の上で借りただけと言われたらそれまで。三浦さんのお金を盗んだのは証拠が殆どない」

 神田さんが言う通り、これだけでは被害届を出しても受理されるとは思えない。
 だったらお金で解決した方が話が早いのは確かだ。

「あの、透さんは」
「今日付けで退職、今上の人の監視の元私物を片付けている。私は君たちへ説明があるからこちらに来たってわけだな」
「そうですか」
「納得出来ないかもしれないが、被害届を出し受理された場合警察は被害事実を確認する為の捜査に入る。そうなると内容にもよるが取調べは被害者、目撃者、被疑者行われるだろう。そうなると……」
「騒ぎになりますね。会社も私達も嫌な思いしかしないし、その結果が証拠不十分で終わる可能性が高い?」

 花村さんと先輩が結婚を止めて、先輩が会社を辞めて地元に戻るだけでも社内の噂になるだろう。
 その上、私達三人の件で警察の捜査なんてことになったら、どれだけの騒ぎになるか分からない。

「私達もなにか会社の処分の対象に?」
「それは大丈夫だ。君達のメッセージのログを遡って確認したが、四人共鈴木と付き合っていたのは自分だけ他に相手がいると思っている様なやり取りは無かった。だからこそ鈴木の行いは悪質だと上は判断し、社から内密に支払うと決まったんだ」

 内密の支払い。それは、絶対に他言するなということ。

「犯罪者が出るかもしれないどころか、被害届を私達が出すだけでも醜聞になるから口止めということなのね」
「言い方は悪いがそういうことだ。すまないな、私が出来るのはこれが限界だった」

 課長は私達に頭を下げて、課長は何も悪くないのに何度もすまないと謝った後で、先輩の家から支払われる慰謝料と同額を社から受け取る代わりにこの件を他言及び被害届を出さない旨が書かれた誓約書を取り出したのだった。

「もやもやするけど、仕方ないのかな」

 課長から聞いた会社の決定を考えると納得出来ないけれど、納得出来なくても私達のプライベートな問題を会社が解決してくれてありがたいと思うべきなのかもしれない。
 どちらにしろ、もう先輩に会う事はないし、文句を言いたくても言う事も出来ない。

「これで終わりかあ」

 声に出しても、なんだか虚しくて。
 ぼんやりとホームに立ちすくんだまま、気が付けば電車を一本見送ってしまったのだった。

※※※※※※
犯罪とか被害届についてはなんちゃって設定ですが、会社から小さな罪でも犯罪者を出すのは避けるかなあと考えてこんな展開になりました。
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