おきつねさんとちょっと晩酌

木嶋うめ香

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クッキーを焼きながら1

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「……幸せになることを恐れない」

 そう呟いて、はっとして瞼を開いた。
 私、寝てた? え、寝てたの? お客さんがいるのに、それってなんて失礼なっ。
 夢を見ていた気がするけれど、何を見ていたか覚えていない。
 でも、何だか凄くすっきりした、沢山眠った後みたいに頭の中がすっきりとしているのはいいけれど、失礼な事をしてしまったのは変わらない。
 
「す、すみませんっ。私、寝ちゃってた。ごめんなさ……」

 慌てて謝りながら正面のソファーに座っている筈の今村さんを見れば、彼女はパウンドケーキを咥えていた。

「あ、あの、その」

 私がどれだけ寝ていたのか分からないけれど、三切れ残っていたパウンドケーキの最後の一切れが今今村さんが咥えているものの様だ。
 食べて貰えるのは嬉しい、それだけ気に入ってくれたってことだし、クッキーとパウンドケーキとホットサンドを食べた後で、パウンドケーキを三切れ食べていることになるんだけど、お腹壊さないのかそっちが心配だ。

「申し訳ございません。どうしても我慢が出来なくて」

 しょんぼりとしている今村さんは、年上なのになんだか可愛らしいと思う。
 大丈夫ですよ、と口を開きかけてテーブルの上の、クッキーを入れていた筈の入れ物に気が付いた。
 入れていた筈と思ったのは、中身が空だったせいだ。

「どちらも美味しくて、あと一枚、あと一切れと、本当に申し訳ございませんっ」

 こんなに全力で謝罪される事って、普通ない。
 しかも、本心から申し訳ないと言わんばかりの謝罪だ。
 でも、あと一枚、あと一切れって、それってなんていうか、可愛すぎない?

「今村さん、とりあえず服、査定お願いします」
「は、はいっ。それは勿論!」

 びくりと今村さんは肩を揺らし、声を上げる。
 私はちっとも怒ってないのに、その細い目は不安そうに見える。

「まとめてあるので、それを見て頂ければ大丈夫です。私、その間にクッキー焼きますね」
「……え?」
「さすがに作り過ぎかなって、クッキーの生地半分冷凍にしたんです。それ今焼いちゃおうかなって。冷めたのはサクサクで美味しいですけれど、焼き立てクッキーと冷たい牛乳の組み合わせもなかなかなんですよ。ほわほわって柔らかくてあったかくて、私は好きなんです」

 クッキーの生地は、取り出したらすぐに焼ける様に、成形済でラップに並べて冷凍してある。
 ちょっと小腹が空いた時に、一、二枚焼いて食べられる様にクッキー生地を残しておいたものだ。

「焼き立て、あったかくて柔らか」
「すぐに食べない分は、良かったら持ち帰って下さい」
「い、良いんですかっ! はっ、だ、駄目です。そんなの流石に頂きすぎですっ」

 今村さんは素直な人なんだろう。
 私の周囲に今までいなかったタイプだけど、こんな風に喜んでもらえるなら今村さんが好きな食べ物なんでも作ってあげたくなってしまう。

「迷惑でなければ、貰って下さい。今村さんにお話し聞いて貰えてなんだか凄く元気になれたので、だからお礼みたいなものです」
「そんな、私、ただ食べていただけです。ごめんなさい、美味しい物ばかりで理性が無くなってしまって」

 しょんぼりと肩を落としている今村さんを見ていたら、どうしてか神社の狐の像を思い出してしまった。
 小さな狐の像の傍の二体の狐の像はとても大きくて威厳があって、でも親しみを感じるものだ。
 
「私、誰かに自分が作った物を食べて貰うことが大好きなんです。だから謝られるより、美味しかったって思って貰える方が嬉しいです」
「美味しいです。凄く凄く美味しいです。あの、あの……クッキー、近田さんにも分けていいでしょうか」

 なぜか今村さんは急に近田さん、……管理人さんの名前を告げた。

「近田さん、管理人さんですね。勿論、今村さんに差し上げた後は今村さんの物ですから、管理人さんに渡して下さっても良いですよ。管理人さん、甘いもの好きなんですか?」
「……好きと言いますか、多分凄く凄ーく喜ぶと思いますので」

 甘いもの好きというより、クッキーが好きなんだろうか?
 首を傾げつつ、寝室にまとめて置いていた大量の服を入れた袋をリビングに運ぶと、テーブルの上を片付ける。

「こちらで全部ですね。確認させて頂きます」
「はい、よろしくお願いします」

 今村さんにお願いしてから、キッチンに入ってすぐオーブンを温める。
 冷凍庫からクッキーを取り出し、オーブンシートを敷いた二枚の天板に成形済のクッキー生地を並べていく。

「うーん、焼くのは二回かな」

 勢い余って大量にクッキー生地を作っていたらしく、天板に並べ終えてもまだ生地が残っている。
 自分で食べるだけなら一度にこんなに焼かないけれど、管理人さんにも渡すなら、沢山あってもいいかもしれない。むしろ今村さんのあの勢いなら、全部の生地を焼いてもぺろりと無くなってしまうかもしれない。

「ホットケーキ粉まだあったかな。よし、ある。バナナもあるし。今村さーん、バナナって食べられますか?」
「はい、好き嫌いはありません!」

 カウンター越しに声を掛けると、今村さんから明るい声で返事が返って来た。

「それは良かったです」

 じゃあ、炊飯器ケーキも作っちゃおう。
 電子レンジでバターを溶かし、ボウルに自作のホットケーキ粉と牛乳、砂糖、卵、熔かしバターを入れて軽く混ぜた後、フォークで潰したバナナを混ぜ込んでいる間に、オーブンの予熱完了の電子音が鳴った。

「天板を入れてっと」

 予備の天板にもオーブンシートを敷いて、クッキーを並べてラップを上からかけておく。
 炊飯器の内釜にバターを塗ってから、ボウルの中身を注ぎ入れてトントンと作業台に落としてから炊飯器にセットしてケーキモードでスイッチを押す。

「その間に洗い物っと」

 シンクの中に置きっぱなしの食器達を洗って、時間が余るなと考える。
 リビングに視線を向けると、今村さんは真剣な顔で服を一枚一枚見ながら、どこからか取り出したメモ帳に何かを書き込んでいる。あの様子だと、クッキーが全部焼きあがっても終わらなそうだ。
 
「紺さんにも何かお菓子作って行こうかなあ」

 紺さんのことを思い出したら、何だか懐かしい様な気持ちになった。
 どうしてだろう、出会ったばかりの人なのに、紺さんは昔からの知り合いの様な気がしてしまうのは。
 
 夢の中で話したことを忘れているなんて、この時の私は気が付いていなかったのだ。
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