おきつねさんとちょっと晩酌

木嶋うめ香

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何が幸せなのか分からない

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「由衣?」

 名前を呼ばれて顔を上げると私の顔を覗き込むように、紺さんが身を屈めて私を見ていた。
 いつの間にか私は俯いて考え込んでいたらしく、紺さんは心配そうな顔をしている。

「祖母の言う幸せって何を指しているのかなって、思ってしまいました」

 祖母が私に言っていたことを思い出そうとしたけれど、上手く行かない。
 子供のころ祖母に、ああしろこうしろと言われたことは特に無かったと思う。
 母もそうだった。
 私はコツコツと宿題や予習復習をするタイプで、長期休みに出る大量の宿題は毎日きまった時間に片づけていたから「遊んでばかりいるけど宿題やったの?」なんてことも言われたことは無かった。
 
「おばあさんの思う幸せ」
「家は父がどうしようもない人だったから、結婚することが幸せとは祖母も母も思ってはいないでしょう。そうすると祖母が思う幸せってなんなのかなって」

 紺さんは「自分は狐だから、人の幸せは分からない」と困った顔で呟くけれど、私は人間だけど幸せってなんなのかよく分からない。

 幸せなんて、人の数だけ種類がある気がするし、そうでもない気もする。
 でも祖母は、母が父のことで苦労していたと知っているから、それなりの年になったら結婚して子供を産むのが幸せだとは思っていなかっただろう。
 だとしたら祖母の思う幸せって何なのだろう。
 
「長くこの村に居て、村の人達が生まれ育ち死んでいくのをただ見ていたよ。でも人の気持ちは良く分からない」
「見ていた?」
「うん、見ていた。由衣のおばあさんみたいに参ってくれていた人は見守るし望みがあれば叶えることもあった。でもその他の人はただ見ていただけ」

 神様ってそういうものなのか。
 なんでもかんでも見守っているっていうものなのかと思っていた。

「由衣のおばあさんのことも、由衣のことも見守っていた。由衣のおばあさんが由衣の幸せを願っていたから、そうなるといいなと思いながら見守っていたよ」

 身を屈めたままそう言ってから、紺さんは背筋を伸ばして石碑に視線を移す。
 ぽつりと置かれている石碑は、ただそこにある大きな石でしかないなと思う。
 そこに神聖さとか、厳かさとかは感じない。
 真新しい大きな石に何か文字が刻まれていて、ただそれだけ。

「あの石は何も見ていない。見守ってもいない。ここに神がいないから」

 紺さんは何の感情も読み取れない淡々とした口調で、事実だけを告げる。
 神社が焼けて何も無くなって悲しいとか、悔しいとかそういう感情も読み取れない。

「紺さんは考えないの? 幸せになりたいとか、そういうこと」
「考えないかな。でも今幸せなんだと思うよ」

 私の質問に、紺さんは笑顔で答える。
 石碑を見つめながら「ここに神はいない」と言っていた声とは違う。感情の籠った声でそう答える。

「幸せなんですか?」
「うん、由衣にまた会えたから」

 その答えに、どきりと心臓が高鳴った。
 私にまた会えたから、だから幸せ?

「ここが焼けて何も無くなって、ただ空気を漂うものになった」
「空気を漂う」

 オウム返しにそう言うと、紺さんは空を指さし話し始める。

「力が弱くなっていたから、依り代が無くなって意識を強く保てなくなっていた。何も考えられずただふわふわと漂いながら、ある日何かに引かれて今の場所に辿り着いた」

 今の場所とは、紺さんが今いる神社、稲荷さんのことだろうか。
 そう考えて、あの神社のお狐さんのそばにいつの間にか増えていた小さな狐の像を思い出した。

「あの小さな狐が紺さん?」
「そうだよ。あの神社に祀られた稲荷様の近くに由衣の気配を感じて、その周囲を漂っていた時に稲荷さんがあそこにいてもいいと許してくれた。稲荷の神の一柱としての力が無くなっていたから稲荷様の眷属になることでようやく形を保てるようになったんだ」
「そう……なんですか。私はあの町を凄く気に入ってマンションを買うって決めたんですけれど」

 私はあの町が何故か気に入って、すぐにあの町で暮らすことを決めた。
 丁度希望にあうマンションもあったし、縁があるんだなって感じだったけれど、そういうのとは違うのだろうか。

「由衣は稲荷様に縁があるから、稲荷様の力が強いあの町に惹かれたんだと思うよ」
「え、そんな理由? そ、そうなのかな」

 マンションを買うって決めたのは、勿論良い町だなって思ったから。
 だけど、そこに稲荷さんの力なんて理由は思いつく筈がない。

「じゃあ、紺さんと出会ったのは偶然じゃない?」
「形を保てる程の力はまだ無かった。由衣が像の前で眠り込んで、あのままだと凍え死んでしまいそうで、だから力が欲しいと願った。そうしたら人の形になれたんだ」

 お稲荷さんとお酒を狐の像の前にお供えして、お酒を飲んで眠り込んでしまった。
 あのままいたら私は死んでいたのか、それを知るとぞっとするけれど、でも当然だと思う。
 だってあんなに寒い夜、外で眠り込んでいたら凍え死んでも仕方ない。

「十和が鳴いたんだ。ずっと一緒に居て一つの小さな狐の像にいた十和が、由衣を助けたいと泣いて、だから二人で願ったんだ由衣を助けたいって、それに稲荷様が応えてくれた。由衣が稲荷寿司を狐の像に供えてくれたお礼だと言ってね。稲荷様も狐の像も供えて貰えなければ人の食べ物は食べられないから、あの稲荷寿司は元狐だった者の子孫が作ったものだけれど、それでも人になった者が作ったものだからね、久しぶりに食べられたと皆が喜んで協力してくれたんだ」

 あの夜、街灯の灯りの下でぽつりとあった屋台、あそこで買ったおいなりさんがまさか私を助けてくれたとは思わなかった。
 そして十和、あの子は私の縫いぐるみの十和だった。
 狐の縫いぐるみ、幼い頃に無くしてしまった縫いぐるみの十和が、私を助けたいと願ってくれたんだ。

「由衣、忘れないで。これだけは覚えていて」

 紺さんは、私の頬を撫でながら言う。

「由衣の幸せを、それだけを望んでいる。力が無くなった神の立場で、それだけを祈っていたんだ。今はほんの少しだけ戻った力が君の腕にある」

 紺さんは私の顔を、頬を大切なものだと言わんばかりに撫でながら、言葉を紡いでいく。

「幸せなら見ているだけで良いと思っていた。力が無いから、見ているだけ。そう思っていた。だけど由衣はとても傷付いて、悲しい辛いと泣いたから見ているだけでは駄目だと、そう思ったんだ。だから守るよ、祈りだけでなく君に繋がりをつけて、守る。大丈夫縛りはしない、ただ守りたいだけなんだ」
「紺さん?」

 頬を撫でている紺さんは、私を見つめ、そして何かを振り払うように顔を横に振った。

「由衣に守りを、由衣に仇なす者はそれ相応の罰を受ける様に、今出来る精一杯の守りを」

 精一杯の守り? それは力が弱ってしまった紺さんが出来ることなのだろうか。

「由衣、幸せになって」
「紺さん」
「由衣の幸せを、祈り守るよ。僕も十和も、だから幸せになることを恐れないで」

 そう言って紺さんは私をぎゅうっと抱きしめてくれたのだ。
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