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これは夢なの?
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「由衣」
名前を呼ばれて振り返る。
私は東京の自分の部屋にいた筈なのに、振り返って見えた景色は祖母の家があったあの村だった。
遠くに低い山脈があって、周囲は田んぼとところどころに家が建っている。
家の北側には、この辺りで居久根と呼ばれている屋敷林が植えられている。
なぜここにいるのだろうと考えながら、私は口を開く。
「なあに?」
発した声が聞きなれた自分の声よりも高くて、まるで子供の声の様だと考えてから視線を下に向けると大きな花飾りがついたサンダルを履いていた。
これは、子供の頃に履いていたサンダルだ。
何歳頃だっただろう、小学一年? その位の年齢だったと思う。
着ている服もその頃に母が選んでくれたワンピースだ。
青いギンガムチェックの地に、ひまわりの柄が裾にぐるりと一列描かれていて、あの頃の私のお気に入りだった。
サンダルを履いた足の下は土の道、ところどころ雑草が生え石ころも見える。
アスファルトに舗装されていない道なんて、久しぶりに見た。
「由衣」
俯いてワンピースのひまわりの柄を見ていた私は、名前を呼ばれて顔を上げる。
少し離れたところに立っていた彼は、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。
彼、そう彼は私と同じくらいの年齢に見える男の子だ。
この間一緒に遊んだ、その時縫いぐるみを神社の狐さんに預けてそして無くしてしまった。
「縫いぐるみを探しに来たの?」
「縫いぐるみ、十和のこと?」
縫いぐるみの十和を無くしたのは、ずっとずっと前、子供の頃の話だ。
私はもう大人で、この村に祖母の家も先祖のお墓も無くなってしまった。
「由衣」
大人だと自覚したら、私の視界は急に高くなった。
花の飾りが付いたサンダルではなく、革製のヒールの高いパンプスを履いて、ひまわり柄が描かれたギンガムチェックのワンピースではなく、ボウタイのブラウスに膝丈のフレアスカートを着ていて、長くのばした髪をゆるく巻いている。
「由衣」
「私は子供じゃないの。縫いぐるみを無くしたのはずっとずっと昔のこと」
発した声は子供の高い声じゃなく、今の私の声が聞こえた。大人の私の声。
「私は子供じゃないの、もう大人になったのよ」
そう言った途端、男の子はぐんぐん背が伸びて私が見上げる程になる。
背が高すぎると思いながら顔を上に向けると、その顔は予想外の人のものだった。
「紺さん」
「由衣、驚いた顔をしてどうしたの?」
紺さんは私を由衣と呼び捨てにしたりしない。
そこで私は気がついた、これは夢だ。
「夢な……の?」
そう言おうとして、何かが喉に詰まったように苦しくなる。
今まで話せていたのに、声が出しにくい。
夢だと気がつくと、歩くのも言葉を発するのも苦労することがある。
今がその状態なのだ、多分。
「夢だよ、もうここに狐はいない」
「き……狐がいない?」
話しにくいと苦労しながら声を出していると、紺さんは私の額に手をおいた。
その途端、普通に話せるようになった。
「夢だよ、もうここに神の力は届かない。狐が焼けてしまったから」
狐と言われて以前に見た夢を思い出した。
縫いぐるみの十和を預けた、白い狐の像。
祖母の家からそう遠くない場所にあった稲荷神社の、一体だけの狐の像。
そういえば、あの神社は以前嵐で雷に直撃されて燃えてしまった。
何もかも焼けてしまった神社は、元々なにかの行事で他の神社から人が来る以外は無人のところだったし、村の人口も減っていて参拝する者も殆ど居なかったから、新しく建てず今は石碑だけ置かれているらしいと母が言っていた。
なぜ今まで忘れていたのだろう。
「由衣、昔遊んだこと覚えている?」
「ザリガニ釣り?」
「そう、一度だけ遊んだ。楽しかった」
紺さんは懐かしそうに目を細めながら、川のある方を指差す。
「楽しかった?」
指差した方角に見えるのは田んぼだけ、こうして見ると本当に家が少い。
スーパーがある町まで、車で三十分以上行かないと辿り着かない。そんなところなのだ。
「子供は殆どいないし、由衣が久しぶりに遊んでくれたんだ」
「そうなの? 兄は?」
「十三は勉強していただろ、暑いと言って外に出ないから会ったことないよ。それに子供でも狐が見える者は少ないから」
そう言えば兄は祖母の家で勉強しかしなかった。
畑の手伝いはたまにしていたけれど、私とは遊んでくれなかった。
でも狐? なぜ紺さんは狐なんて言うんだろう。
「由衣が一人は淋しいと言ったんだ。十和を狐の像の傍に置いてくれた」
ふにゃりと紺さんが笑う。
目を細めながら、私の左手を掴む。
「だけど十和も焼けてしまった。依代が無くなって形を保てなくなった。そのまま消えるのだと思った時、もう一度由衣に会いたいって思った」
紺さんに手を引かれ歩き始めるけれど、舗装されていない道をヒールの高い靴で歩くのは辛い。
「あっ」
デコボコ道によろけて転びそうになる。
「危ないよ」
紺さんに支えられて、抱きかかえられる様にしながら歩き続ける。
どこに行くのか、どこまで歩くのか分からないまま私は歩き続けた。
名前を呼ばれて振り返る。
私は東京の自分の部屋にいた筈なのに、振り返って見えた景色は祖母の家があったあの村だった。
遠くに低い山脈があって、周囲は田んぼとところどころに家が建っている。
家の北側には、この辺りで居久根と呼ばれている屋敷林が植えられている。
なぜここにいるのだろうと考えながら、私は口を開く。
「なあに?」
発した声が聞きなれた自分の声よりも高くて、まるで子供の声の様だと考えてから視線を下に向けると大きな花飾りがついたサンダルを履いていた。
これは、子供の頃に履いていたサンダルだ。
何歳頃だっただろう、小学一年? その位の年齢だったと思う。
着ている服もその頃に母が選んでくれたワンピースだ。
青いギンガムチェックの地に、ひまわりの柄が裾にぐるりと一列描かれていて、あの頃の私のお気に入りだった。
サンダルを履いた足の下は土の道、ところどころ雑草が生え石ころも見える。
アスファルトに舗装されていない道なんて、久しぶりに見た。
「由衣」
俯いてワンピースのひまわりの柄を見ていた私は、名前を呼ばれて顔を上げる。
少し離れたところに立っていた彼は、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。
彼、そう彼は私と同じくらいの年齢に見える男の子だ。
この間一緒に遊んだ、その時縫いぐるみを神社の狐さんに預けてそして無くしてしまった。
「縫いぐるみを探しに来たの?」
「縫いぐるみ、十和のこと?」
縫いぐるみの十和を無くしたのは、ずっとずっと前、子供の頃の話だ。
私はもう大人で、この村に祖母の家も先祖のお墓も無くなってしまった。
「由衣」
大人だと自覚したら、私の視界は急に高くなった。
花の飾りが付いたサンダルではなく、革製のヒールの高いパンプスを履いて、ひまわり柄が描かれたギンガムチェックのワンピースではなく、ボウタイのブラウスに膝丈のフレアスカートを着ていて、長くのばした髪をゆるく巻いている。
「由衣」
「私は子供じゃないの。縫いぐるみを無くしたのはずっとずっと昔のこと」
発した声は子供の高い声じゃなく、今の私の声が聞こえた。大人の私の声。
「私は子供じゃないの、もう大人になったのよ」
そう言った途端、男の子はぐんぐん背が伸びて私が見上げる程になる。
背が高すぎると思いながら顔を上に向けると、その顔は予想外の人のものだった。
「紺さん」
「由衣、驚いた顔をしてどうしたの?」
紺さんは私を由衣と呼び捨てにしたりしない。
そこで私は気がついた、これは夢だ。
「夢な……の?」
そう言おうとして、何かが喉に詰まったように苦しくなる。
今まで話せていたのに、声が出しにくい。
夢だと気がつくと、歩くのも言葉を発するのも苦労することがある。
今がその状態なのだ、多分。
「夢だよ、もうここに狐はいない」
「き……狐がいない?」
話しにくいと苦労しながら声を出していると、紺さんは私の額に手をおいた。
その途端、普通に話せるようになった。
「夢だよ、もうここに神の力は届かない。狐が焼けてしまったから」
狐と言われて以前に見た夢を思い出した。
縫いぐるみの十和を預けた、白い狐の像。
祖母の家からそう遠くない場所にあった稲荷神社の、一体だけの狐の像。
そういえば、あの神社は以前嵐で雷に直撃されて燃えてしまった。
何もかも焼けてしまった神社は、元々なにかの行事で他の神社から人が来る以外は無人のところだったし、村の人口も減っていて参拝する者も殆ど居なかったから、新しく建てず今は石碑だけ置かれているらしいと母が言っていた。
なぜ今まで忘れていたのだろう。
「由衣、昔遊んだこと覚えている?」
「ザリガニ釣り?」
「そう、一度だけ遊んだ。楽しかった」
紺さんは懐かしそうに目を細めながら、川のある方を指差す。
「楽しかった?」
指差した方角に見えるのは田んぼだけ、こうして見ると本当に家が少い。
スーパーがある町まで、車で三十分以上行かないと辿り着かない。そんなところなのだ。
「子供は殆どいないし、由衣が久しぶりに遊んでくれたんだ」
「そうなの? 兄は?」
「十三は勉強していただろ、暑いと言って外に出ないから会ったことないよ。それに子供でも狐が見える者は少ないから」
そう言えば兄は祖母の家で勉強しかしなかった。
畑の手伝いはたまにしていたけれど、私とは遊んでくれなかった。
でも狐? なぜ紺さんは狐なんて言うんだろう。
「由衣が一人は淋しいと言ったんだ。十和を狐の像の傍に置いてくれた」
ふにゃりと紺さんが笑う。
目を細めながら、私の左手を掴む。
「だけど十和も焼けてしまった。依代が無くなって形を保てなくなった。そのまま消えるのだと思った時、もう一度由衣に会いたいって思った」
紺さんに手を引かれ歩き始めるけれど、舗装されていない道をヒールの高い靴で歩くのは辛い。
「あっ」
デコボコ道によろけて転びそうになる。
「危ないよ」
紺さんに支えられて、抱きかかえられる様にしながら歩き続ける。
どこに行くのか、どこまで歩くのか分からないまま私は歩き続けた。
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