異世界捜索

宮沢ンゴ

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第5話 医療の国

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「腹減った」

「二度と言わないで」

 木々に囲まれた数時間変わり映えのしない風景の上で、不満を口にした俺はすぐにリリィに黙らせられた。
 丸二日間何も食べていないのだ。
 意味のない文句だって言いたくもなる。

 リリィの話によると、国境を超えるまで大した距離は無いらしい。
 犯罪直後の人間を連れて教会のあった町の馬車に乗るわけにもいかない俺は、泣く泣く絡みつくような日の光に耐えながら、隣国を目指して歩いていた。

 歩き始める前は自信満々だった彼女も、今や頭が首の位置まで垂れ落ちてしまっている。
 どう見ても限界はすぐそこだ。

「いや、流石に無理だろこれ以上は…。お前の計画性どうなってるんだ」

「うるさい」

 苦言を呈した俺の腹はリリィに溜まったストレスの捌け口となった。
 めり込んだ握り拳には空腹の女性とは思えない力がある。

 それだけの威力で殴られれば当然治りきっていない傷は口を開けてしまい、ろくに食事ができていない人間の貴重な貴重な血液が、汚れた布から大量に染み出した。

「ぐッ…お前、やって良いことと悪いことがだな…」

「あ」

 腹に穴をあけた張本人の気まずそうな声が聞こえたのを最後に、俺は道のど真ん中で意識を手放した。

 俺はこの女の前で何度気絶すればいいのだろうか。



 ◇



「私は悪くないんです」

「はぁ…」

 心地よい揺れによって、遠のいて消えた意識が俺の手元に戻ってきた。
 
 すぐ側でリリィが知らない声に呆れられているのが聞こえる。
 恥ずかしいので、頼むから大人しくしていてもらいたい。

 恐る恐る目を開けてみると、痛いほどだった日の光が窓の向こうから薄っすらと射し込んでいる。
 状況が呑み込めず一度目を擦ってから辺りを見回すと、そこは小綺麗な馬車の中だった。

「気が付かれたようですね」

 金色の丸眼鏡越しににこやかに笑いかけた男は、質感のよさそうな臙脂色えんじいろの衣服を身に纏っている。
 その物腰の柔らかさに表れているのは、社会的強者特有の余裕。
 裕福な人間であることはまず間違いない。

「私はルーク・デ・メディチ。ルークと呼んで下さい」

「俺は龍宮寺・フォン・優太。ユータと呼んで下さい」

 ルークと名乗る男の優雅な挨拶に対して喉が反射的に張り合ってしまい、全くもって下らない虚言が口を突いた。
 金だけは有り余っている実家に張り付いて生きていたため、一方的に高貴さを見せ付けられる状況に悔しさを感じてしまった結果だ。
 今や、貧乏人どころか無一文であることが本当に情けない。

「ユータさん、傷の具合は大丈夫ですか?」

「…そういえば!ってあれ、傷が無い?」

「あんた刺されて無かったんじゃない?」

「黙れ」

 俺に咎められた犯罪者は、窓の外を見て口笛を吹き始めた。
 どうやら、刺されたことを大して気にしていないのがバレてしまったらしい。
 被害者である俺が気にしていないからといって、加害者であるリリィが調子に乗って良いことにはならない。

 どうでもいいことに気を取られ腹の穴のことを完全に忘れていた俺は、ルークに言われて傷口を探し腹部を何度も抑えたのだが、そこにあるはずの傷は見つからなかった。
 もう一度見ても、やはり手術跡すらも無い生まれたままの状態だ。

「勝手ながら、私の魔法で治療させてもらいました」

「治療って言っても、あんなに深い傷だったのに…」

「我々の国、メドカルテは回復魔法の聖地ですから」

 疑問を浮かべた俺を見て、ルークは自らの胸に刺繍された紋章に手を当てる。
 固有名詞に更に混乱して目を丸くしていると、リリィが助け舟を出してくれた。

「あなたが倒れたところをたまたま通りかかったルークさんが魔法で治療して下さって、その上隣の国まで送ってくれてるのよ」
 
「なるほど、もう理不尽に歩かされなくていいのか…」

 この馬車が目的地まで運んでくれるということに、まず真っ先に胸を撫で下ろす。
 地獄のような飲まず食わずの徒歩移動が終わりを告げたという事実に、生を実感した。
 そして、急いで大恩人であるルークに目を向けると、彼は俺の頭に浮かんでいた感謝の言葉を察してはにかんだ。

「たまたま同じ目的地でしたから。お安い御用ですよ」

 眩しい。
 余りにも善人が過ぎる言動のせいで、日を背負っているのは俺たちなのにも関わらず、ルークに後光が差して見えてしまう。
 人間性の完全敗北を認めた俺は、仕方なく切り出した。

「龍宮寺優太です…」



 ◇



「なるほど…私にできる事があれば何でも言って下さい」

「まあ、私はなんとなく分かってたから今更ね」

 道中、旅の目的や異世界から来た事をルークとリリィに話した。
 何気ない会話の流れで聞かれたため勇気を出してカミングアウトしてみたが、温かい言葉が返ってきて嬉しくなってしまう。

 異世界からの転移に関しては信じてもらえるか不安だったが、セドリクと同様二人にもさほど驚かれなかった。
 他所の世界の人間など、此処では特別珍しくもないのだろう。

「ありがとうございます、ルークさん。命を助けてもらっただけでも感謝しきれないのに」

「せっかくですから気軽に呼び捨てて下さい。私もユータのような同い年の知り合いができて嬉しいんです」

「…ありがとう、ルーク」

 ルークの一方的な優しさは人間の喜びのツボを的確に捉えており、一つやり取りをする度に彼の事を好意的に思わせられてしまう。
 人たらしと呼ばれる人種と初めて関わったが、これは確かに抗い難い幸福感だ。

 そんな事を考えながら、頬杖を突いた俺がルークの表情を追っていると、外の景色の変化に気づいた彼がまたも笑顔を咲かせた。

「そろそろ着きますよ。我が国が気に入ってもらえると良いのですが」

 医療の国メドカルテ。
 人が一人立っているだけの検問所は実に簡易的であり、この辺りの治安の良さが窺える。
 馬車に乗ったまま門を越えると、堂々と聳え立つ円柱型の巨大な建造物が目を引いた。

「あの塔は?」

「あれは私の父が管理しているこの大陸最大の魔法医療施設、メドエストです」

「え、メドエストを管理って…」

 何かを察したリリィが会話に割り込んでまで聞き返す。
 そこまで彼女が食い付いた意味が分からずただぽかんとしていた俺の向かいで、ルークが頷いた。

「実は父が国王を務めているんです。…とはいえ私は第二王子ですけどね。国王になるのは何事もなければ兄でしょう」

「俺は王族に張り合ってたのか…」

 先程数分だけ抱いていた嫉妬心が馬鹿馬鹿しくなった俺は溜息を吐いた。
 
 どうやら俺はこの国の王子様に命を救ってもらったということらしい。
 国境の外で行き倒れていた見ず知らずの人間の命を気に掛けるなんて、人が良過ぎるのではないだろうか。
 天はこの男に二物も三物も与えている。
 お陰で俺も得をしてしまったため、述べておきたい文句など無いが。

「じゃあせっかくだしお願いがあるんですけど」

 ルークの肩書きを知ったリリィは、ここぞとばかりにパッと手を上げた。
 これだけ良くしてもらって、更に要望ができるとは図太い女である。
 
 ただ実際のところ、国家権力を持つルークとの縁は俺の目的にとってこれ以上無いチャンスなのだ。
 それを理解していたリリィは、言い出せない俺の代理で強請ってくれた。

「この大陸の医療や薬学について彼に調べさせてあげて欲しいの」

 リリィの要求に同調するように、俺もルークの目を見て口を結ぶ。
 すると、彼は大して考えもせずすぐに手を合わせて、パチンと気持ちの良い音を鳴らした。

「皆さんのボロボロの服を何とかしてから食事を済ませて、その後に関係者専用のメドエストの書庫に案内しましょうか。彼処であれば、この大陸の医療に関しての情報が纏めて手に入るはずです」

「いいのか!?」

「ユータの旅の手助けになるのであれば」

「良かったわね。大きな一歩じゃない」

 驚いた俺の様子にルークはふわりと微笑み、リリィも嬉しそうに足をぶらつかせた。
 これだけ人に恵まれると、元の世界にいた時のように一人に戻るのが怖くなってしまう。
 自らを取り囲む幸運に心の底から感謝しながら、瞼をぎゅっと閉めた俺は頭を下げた。

「ありがとう。この恩はどうにかして必ず返すよ」

 こうして俺たち三人は、メドカルテの中心街へ向かうこととなった。



 ◇



「人がいっぱいね!」

 物珍しそうにリリィが言った通り、メドカルテの中心街はかなりの賑わいを見せていた。
 初めて見る異世界の街に心躍らせたが、考えてみると、元の世界で街に出たことのない俺はこの光景を記憶の中の風景と比較することができない。

 規律を重んじる国民性なのか、出店や見世物などは無くさっぱりとした雰囲気で、綺麗に立ち並んだ店舗の横を人々が理性的にすれ違っている。

 その中でやや目立つのは、白いローブを纏った魔法使いの数だ。
 ルークがこの国を回復魔法の聖地だと言っていたが、きっとあれが回復魔法使いの一般的な装いなのだろう。
 しかし、大剣を背負ったいかにもな風貌の戦士もわずかながら人混みに紛れている。
 銃刀法があれば確実にしょっ引かれるような男に周囲が距離を置いていないことが、常識の違いを感じさせた。

「まずは服ですね。好きなものを選んで下さい」

「…俺たちは文字通りの一文無しだぞ?後悔するなよ?」

「実は私、お金だけは誰よりも持ってるんですよ」

「そりゃそうでしょうね」

 恩着せがましくならないようわざと自慢げに振る舞い丸眼鏡を光らせたルークに、リリィがやれやれと肩を竦める。
 ここまで気遣われてしまえば貧乏人に断る権利は無く、結局彼に全てを甘えることにした。
 
 できるだけ手短に選んだ俺は動きやすい黒い服と風よけのマントを、リリィは魔力が込められた青いローブを手に取った。

「どう、ユータ?似合うかしら」

「全く分からん。ルークに聞いてみたらいいんじゃないか?」

 質問された俺は真面目に答えたつもりだったが機嫌を損ねてしまったらしく、リリィにそっぽを向かれてしまった。
 一人でトレーニングウェアばかり着て過ごしてきた俺に、ファッションの良し悪しなどわかるわけがない。
 そんな無知な俺が適当に相槌を打つより良いかと思ったのだが、リリィにとっての正解では無かったのだろう。

 必要な物を買い揃えた俺たちが服屋から出るために少し歩き、アクセサリー売り場の前に出ると、ルークが徐に足を止めた。
 そこで少し考えた後、チラチラとこちらを見て何か言いたそうにしていることに気付いた俺は、何食わぬ顔をして彼の肩を叩く。

「欲しいなら買えばいいんじゃないか?勿論おごってはやれないぜ」

「そうじゃないんです。…あの、もしユータとリリィが良ければですが、出会いを記念して皆でお揃いのアクセサリーを着けませんか」

「別に構わないが、申し訳ないから安い奴にしてくれよ?」

「ええ、分かりました!分かりましたとも!」

 困ったように笑う俺とは違い陽を浴びた朝顔のように笑顔を咲かせたルークは、比較的安価な物の中から三つ色違いのアクセサリーを選び購入した。
 
 受け取った青いアクセサリーを鞄に取り付けてみると、経験したことのない充実感がある。
 ふと、ルークの方を覗き見ると、高級な衣服の上から石製の黄色い首飾りを巻き、幸せそうににやついていた。

 その後、ルークはこれから必要になるだろうと、服だけではなくオーソドックスな剣と杖も買い与えてくれた。
 武器屋には見たことも無いような巨大な剣まで置いてあり、バラエティに富んだ品揃えを眺めているだけで時間は刻々と過ぎていってしまう。

「無限に見ていられるな…いてっ」

「お腹空いた。早くご飯が食べたいわ」

 もう三十分は商品を眺めようと思っていた俺の脛が、リリィの靴に蹴飛ばされた。
 催促されたことで、俺も同じく腹が減っていたことを思い出す。
 男のロマンは空腹の辛さを超えることを学んだが、一度空腹に気が付いてしまうと、もうあの頃の俺には戻れない。

「すぐ側に酒場がありますから、そこに入りましょうか」

 俺たちの会話が聞こえていたルークは、リリィの機嫌が悪化しないよう、一番側にある酒場に案内してくれた。
 彼の身分に酒場の食事は不相応ではないかと思ったが、そういったことは全く気にしていない様子だ。

 テーブルに着いた俺たちは、お互いの生い立ちを話したが、良い家の息子という似た境遇もあり意気投合した。
 相性の良い人間に偶然出会えた喜びを噛み締めながら、ジャンキーな料理を口いっぱいに頬張ると、幸福感が広がり更に話が弾む。

「ユータ、手持ちの無いあなたにとって人生最後の美味しい料理かも知れませんよ。ちゃんと味わってください」

「此処にいる間は毎日脛かじってやるから心配すんな」
 
 食事中に軽口を叩き合う初めての感覚が温かい。
 世の中の学生たちにとってこれが特別ではないことなど分かっているが、随分と一人だった俺にはかけがえのない時間だ。

 酒場の料理は決して珍しいものではなかったが、今までの人生で一番の食事になっていた。

 当初、ルークに対しては恩に着てばかりの申し訳なさがあったが、そんな心苦しさは彼が冗談に笑う度に薄れ、飯を食い終わる頃には綺麗さっぱりなくなった。

「生き返る~」

 リリィら満足そうに膨れた腹をさすっている。
 教会でげっそりしていたのが嘘のようで、肌はつやつやだ。

「リリィさんは食べっぷりがいいですね。見習いたいです」

「お前はルークの上品さを見習えよ、リリィ」

「あんたは全面的に私を見習いなさい」

 ルークは俺たちのやり取りを眺めてくすくすと笑いながら、会計のために伝票を持つ。
 すると、気づいた店員が話しかけてきた。

「おや、もしかしてと思ったけど王子様じゃないかい?こんな店に食べに来てくれるなんて嬉しいねえ」

「素晴らしい料理でした。美味しかったです」

 ルークは何の恥ずかしげも無く素直な誉め言葉を返す。 
 伝票を受け取った店員も嬉しそうだ。

 王族にも関わらず気取らない柔和な人柄や国民を一方的に愛する優しさに、俺は誇らしさすら感じてしまっていた。
 今日出会ったばかりの俺がそんな感情を抱くのは、やはり烏滸がましいのだろうか。

「お連れさんは王子様とどういったご関係で?」

 突如、会話の矢印が俺たちの方へと方向転換される。
 店員に質問された俺たちがどう言えばいいのか返事に困っていると、代わりにルークが躊躇なく答えた。

「友達です」

 ルークの予想外の返答を聞いた俺は、喜びで涙が出そうになるのを下を向いて堪える。
 夢にまで見た初めての友達は、心から尊敬できる人だった。

「良かったじゃん」

 リリィは周りに聞こえないように小さく呟くと、何も言えなくなっていた俺を優しく肘で小突いた。
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