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req.1 はじまりの一夜

2.王子の無茶振り

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 リュシメル=ララエティ。
 ホルド王国のララエティ公爵家の当主を務める弱冠十六歳の少女公爵だ。
 胸元まである柔らかな桃色の髪と空色の瞳が特徴的な愛らしい外見。年若く、女の身でありながら公爵家の当主を務めあげる才覚。
 まさに才媛と呼ばれるに相応しい少女。

 そう訊けば、誰もが羨むような非の打ち所のない天才美少女だと思うだろう。

 実際、リュシメルの周囲の評価はそうだった。
 しかし、人生イージーモード、順風満帆に見えるリュシメルには、悲痛なまでの悩みがある。

 お金だ。

 とララエティ家は公爵位を与えられた名門貴族でありながら、その家計は火の車だった。
 主に借金が原因で。

 亡くなった先代夫妻──つまり、リュシメルの両親が知り合いの借金の連帯保証人になったり、慈善事業の投資のために多額の借金をしてしまったのだ。
 結果、リュシメルが公爵を継いだ際にその気が遠くなりそうな程の莫大な借金を受け継いでしまった。
 両親は善人ではあったが、良くも悪くも世間知らずだったのだろう。リュシメルは借金にまみれたおかげで両親とは真逆の世間の粋も甘いも噛み分けることになったが。

 公爵家という立場上、自己破産など出来ず、とにかく節約して節約して、節約しまくって、何とか利子の支払いだけは果たしていた。

 が、いい加減首が回らなくなりそうになった時、救いの手が差し伸べられた。いや、悪魔の手かもしれなかったが。

 王太子であるトワル=スクエヴンが借金の肩代わりを申し出てきたのだ。
 勿論、無条件ではなかったが、当時はそのままでは使用人に支払う給料も用意出来なくほど切迫した状態だった。
 ララエティ家の使用人は皆、身寄りのない孤児を引き取って雇っていた。
 本来、貴族が平民を雇うことはないから、解雇しても天涯孤独な使用人たちは行く当てがない。
 そんな彼らを見捨てることなど出来る筈もなく、リュシメルはトワルの提案に頷くしかなかった。

 トワルの提示した条件は至ってシンプルなものだった。

 リュシメル=ララエティはトワル=スクエヴンの命令に絶対服従。

 つまり、自分の都合のいい手足として動けという話だった。

 以降、リュシメルはその契約に従い、時に雑用、時にややダークサイドに片足を突っ込んだ仕事を引き受けてきた。
 トワルの依頼は多岐に渡ったが、こなす度に報酬が支払われ、その約八割を返済に、残り二割を公爵家の維持費に当てることが出来た。

 契約が交わされたのが三年前。
 あれからいくつものとんでもない事件に巻き込まれ、いくつもの無茶振りに応じてきたが、今日、トワルの依頼のヤバさが最高記録を打ち出した。
 いや、まだ内容は訊いていないが、絶対そうなるに違いないという確信がリュシメルにはあった。

 だって、国王が死んでいる。それも他殺だ。
 国王の殺害現場に呼ばれ、一体何を要求されるのか。
 その時、リュシメルには最悪の予想が浮かんだ。
 どのみち、これを見てしまった以上もう逃げられない。ならばとリュシメルは意を決してトワルに訊ねた。

「あの、一応確認しておきますけど、王子が殺っちゃったわけじゃないですよね?」

「何言ってるの。そんな訳ないでしょ」

「ですよねぇ」

 何を言ってるんだ、こいつはと言いたげな視線を向けられたことは不本意だったが、殺人の片棒を担がされようとしている訳ではないようで、リュシメルはほっと胸を撫で下ろした。

(いくら、この血も涙もない笑顔の冷酷王子でも流石に父王殺しはしないか・・・・・・)

「全く、一体誰が殺ったんだろうねぇ? これでは早すぎる・・・・。父上には王家の膿全てを抱えて死んで貰う予定だったのに、計画にズレが生じたじゃないか」

「王子、私は何も訊いてませんからね」

 安心したのも束の間、トワルの口から非道な言葉が飛び出てきた。
 実の父親に対するあんまりな物言いに、リュシメルは内心どん引いていたが、それをわざわざトワルに告げるつもりはない。

「まぁ、いいや。もう計画は組み直したから。ただ、そのためには朝までにやっておかないといけないことがあるんだよね」

「つまり、その手伝いをしろと?」

「話が早いね」

 リュシメルは、心の中で溜息をついた。
 今は深夜二時手前だ。まだ日の登りが遅いとはいえ、朝までの時間は僅か数時間。
 何を手伝わされるかは知らないが、これほどの大事、よっぽどの面倒事になるというのは容易く想像出来る。

(完徹確定かぁ)

 まだまだ若いとはいえ、徹夜は健康に悪いし、お肌の大敵。
 貴族の女として身形にも気を使わなくてはいけないリュシメルは徹夜が嫌いだった。
 肌が荒れれば、いい美容液が必要になり、高級美容液を手に入れるためにはそれなりの出費が必要になる。
 そうすればララエティ家の財政を圧迫してしまう。
 ただでさえ、自身の食事はほぼ毎日三食、平民たちが営む商店街まで足を運んで貰った無料のパンの耳と、果物屋で売り物にならない痛みかけた果物を格安で買い取って作った自家製ジャムのみ。
 リュシメルは十六歳。育ち盛りの少女には厳しすぎる懐事情だった。
 かといって、美容に手を抜けば、重箱の隅をつつくかのような同性からの嫌みの雨が降ってくる。何せ、暇を持て余したご夫人方は人の粗を探すのが大好きなのだ。

 たかが一日。されど一日。

(いっそ、自作してみようかなぁ・・・・・・植物性のものなら、調べれば自分で調合出来そうだし)

「リュシメル、話を続けてもいいかな?」

「どうぞ~」

 美容液の作成方法について考えながら、トワルの話に耳を傾ける。
 トワルは言う。

「とりあえず結論と今回の依頼はこうだよ」

 眠気も思考も吹き飛ばす、無茶振りを。

「父上の死は隠蔽するから、リュシメルには父上を殺した犯人の捜索を手伝って欲しい」

「・・・・・・は?」

 突飛過ぎるトワルの言葉に、リュシメルは石像のように固まった。
 考えることを放棄しかけている頭でなんとか、依頼の内容を咀嚼して脳髄に叩き込む。
 そして、理解すると同時に──

「はぁああああああああああ!!!?」

 本日二度目の雄叫びが木霊した。
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