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req.1 はじまりの一夜

1.真夜中の大事件

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 真夜中。

 風もない静かな夜だった。
 静寂と夜の空気は、リュシメルを深い眠りに誘うには充分だった。

「むにゃ・・・・・・パンの耳がこんなに・・・・・・これで一ヶ月は凌げる・・・・・・」

 とても高貴な身分の少女とは思えないような、切実な寝言が零れる。


 ふと、静寂が破られた。


 ──コンコンッ。


 何者かがリュシメルの寝室の窓を叩いたのだ。


 ガバリッ!


「──っ!」

 瞬間、リュシメルが跳ね起きる。
 立場上、物音には敏感にならざるを得ない環境で育ったリュシメルの耳は、どれ程熟睡していようと、どれ程小さな音だろうと反応する。

「んぅ・・・・・・こんな時間に何よぅ」

 寝惚け眼を擦りながらリュシメルは裸足のまま窓へ歩み寄り、警戒することもなく窓を開けた。
 広い貴族屋敷でよりによって人が寝ている部屋からノックをして強盗が入る筈もない。
 そもそもここは三階だ。それにリュシメルには物音に心当たりがあった。

『リュシメル=ララエティ。直ちに登城せよ。直ちに登城せよ。場所はE-12。繰り返す──』

(なんで、この鳩喋るんだろう?)

 ぼんやりとした頭でリュシメルは、何度目か分からない疑問を浮かべた。

 物音の正体は鳩だった。
 白い伝言鳩。
 伝書ではなく、伝言。何故──と、訊くのは野暮だろう。だってこの鳩は喋るのだ。
 どういう訳で鳩が喋っているかはリュシメルには分からなかった。
 だが、その伝言の主は誰かは明確だ。

「あー、分かった分かった──もう、今何時だと──深夜一時じゃねぇか・・・・・・こんな時間に呼び出すなんて、何考えてるのよ、あの王子」

 悪態と共にはぁ、と精神的な疲労混じりの溜息を吐く。
 リュシメルは伝言鳩用に元々設置していたT字型の止まり木に鳩を移すと、クローゼットを開いて簡単に着られるシンプルな黒いワンピースを手にする。
 ゆったりとした白い貫頭衣のような寝衣を脱ぐとベッドに投げ、ワンピースに袖を通した。

「さて、と」

 最短で支度を済ませたリュシメルは、靴下を履きながら片足だけで壁際に移動した。
 そして、コンコンと隣室に向けて壁を叩いた。
 五秒としないうちに、コンコンとノックが帰ってくる。
 それを確認するとリュシメルはコンコンコンっと三回ノックをした。
 これは、ちょっと出てくるという合図だ。
 隣室の人物にだけ外出を伝えておけば、使用人たちに主人の不在を気取られずに済むからだ。

「いってきまーす・・・・・・」

 小声で、誰に向けてでもなく、外出の挨拶をする。
 勿論、玄関から出る訳はない。
 ここは三階。どうするかと言うと、その答えはリュシメルの右手に握られていた。
 リュシメルが手にしているものは、鞭。
 その鞭は特別せいで、持ち手の中にトグロを巻く形で革紐の部分が仕舞えるようになっている。
 先っぽのテールを引っ張って、革紐を出すと、それを窓から放ち、一番近い木の枝に引っ掛ける。上手いこと戻ってきたテールを掴み、リュシメルは窓から飛び降りた。
 ガサリ、と枝が揺れ、葉が落ちる。

「よっ、と!」

 リュシメルは危うげなく地面に着地し、立ち上がった。
 鞭は柄尻のスイッチを押せば、直ぐに巻き戻される。コンパクトサイズに戻った鞭は太股に忍ばせた鞭用のホルスターに差し込む。
 そのまま庭の植木に隠れ、使用人に見つからないようにこっそりと敷地から抜け出した。

「全く、これで下らない用だったら流石に物申させてもらうからね!」

 睡眠妨害をされたリュシメルは不機嫌な表情を浮かべつつも、全速力で王宮へと向かった。



「ぜぇ・・・・・・はぁ・・・・・・こんな時間に何の用ですか? 王子──しかも、こんな場所に呼び出すなんて」

 伝言鳩で指名されたE-12とは限られた者しか知らない王宮の部屋を指す隠語だ。
 そして、E-12と設定された部屋は普段ならリュシメルが訪れる筈のない場所だった。

 何故なら、そこは後宮。それも国王の寝室の隣の部屋だったからだ。

「やぁ、リュシメル。こんな時間に足を運んでもらって悪いね。けど、緊急事態なんだ」

 リュシメルを呼び出した張本人。
 王太子・トワルは柳眉を八の字にして、リュシメルに謝った。

「・・・・・・まぁ、いいですけどね」

 申し訳なさそうな顔をされ、リュシメルはそれ以上の文句を言えなかった。
 相手が王子であり、身分の差もあるが、何よりリュシメルにはトワルに大きな借りがあるため、強く出られないのだ。

「──で? 一体何の用なんです? やる時は徹底的に。下準備の準備までして、不確定要素があれば決して動かない。徹頭徹尾油断なしの容赦なしな王子が緊急事態なんて言う以上、よっぽどのことなのでしょう?」

「うん、結構大変なことになっちゃって。百聞は一見にしかず。現状を把握して貰うなら、あれを見て貰った方がいいね。あ、先に言っておくけど、心の準備だけはしておいてね」

「言ってることが、全部不穏なんですが。一体何が・・・・・・って、ちょっと!」

 心の準備をしろと言いつつも、準備する時間を設けてくれないトワルはリュシメルの手を引くと、隣室──つまり、恐れ多くも国王陛下の寝室にノックもなく入った。

「ちょちょちょ──!? 王子ぃいいいいいいいい!!!! いくら王太子と言えど、勝手に陛下の寝所に立ち入るのはヤバ──」

 トワルの行動に度肝を抜かれていたリュシメルだが、国王の寝室に入り、その光景・・・・を目にした途端、思考が停止した。
 度肝を抜かれるどころの話じゃない。
 完全に予想の範囲外だった。

(心の準備しとけって──そんなレベルの状況じゃない)

 目の前に広がる光景に、リュシメルは思わずトワルをぶん殴りたくなったが、そこはぐっと堪える。
 パニック状態のリュシメルの内心などお構い無しに、トワルは現状を簡潔に──あまりにも簡潔かつ、淡白に告げた。

「陛下、暗殺されちゃったんだよねぇ」

 そう。リュシメルがトワルに見せられたものは、首を鋭利な刃物で切り裂かれ、無惨な姿となった国王だった。
 枕元を中心に、ベッドが血で真っ赤に染まっている。
 トワルがノックもなしに入室したのは、部屋の主がもう咎めることが出来ない状態だと知っていたからなのだろうと妙なところで納得してしまった。

 目の前の惨劇。国家の一大事。
 ぐちゃぐちゃになった頭で、リュシメルは国王の寝室が防音であることを知っていたので遠慮なく叫んだ。

「マジで大事件じゃねぇかぁあああああああああああああああ!!!!!!!!」
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