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中編① 新たなる提案
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「ふ、ふふっ……あははは! 本当に笑える! 婚約破棄を提案した時のあの二人の顔ときたら!」
帰りの馬車の中。人目を憚る必要がないのをいいことに、私はお腹を抱えて思いっきり笑っていた。
何度思い出しても笑える。あれは傑作だった。
第二夫人になる話など受け入れられるわけないし、目撃者がいる以上、誤魔化しも効かない。
なら、向こう有責で婚約を破棄してしまうのが一番マシな判断だろう。
ダルは簡単に婚約破棄なんて出来るわけないと食い下がってきたけれど、そこは帰ってから父に進言すると言い張り、始業チャイムにかこつけてあの場から脱した。
それにしても、婚約破棄が難しいことがわかるなら、何故第二夫人の話が無謀だとは気づけないのか。
多分、物事が自分の都合よく運ぶと思ってるんだろうなぁ……。そんなわけないのに。
私には私の意思があるし、ダルの下僕じゃない。
正直、不貞云々よりも、私の意思を無視されたことが一番腹立つ。
むかっ腹を抑えているうちに馬車が止まり、自宅へ到着した。
馬車から降りると両頬を軽く叩いて気合いを入れる。
「さて、もうひと頑張りしますか」
何せこれから宣言通りに父に婚約破棄の進言をしなくてはいけないのだから。
「ただいま帰りましたー。お父様、失礼しまーす──っと、申し訳ありません。来客中でしたか」
帰宅して真っ直ぐにお父様の執務室へ向かうと、来客用のソファに見知らぬ青年が座っていた。
青年は私を見て目をぱちぱちしていたが、すぐに居住まいを正して会釈をしてきた。こちらも会釈を返すと、お父様がごほんっと咳払いをする。
「セラ、勝手に入室するのはよしなさい」
「ちゃんとノックしましたよ?」
「ノックしても部屋主の許可を待つ前に入ってきては意味がないだろう。何の用だ。察しの通り今は来客中だ。緊急の用でなければ後で──」
「いえ、わりと緊急のご用件です。申し訳ありませんが、お時間いただけますか?」
冗談抜きの真剣な声で頼むと、お父様も只事ではないと察した様子で来客していた青年に声をかけた。
「わかった。ジーク、すまないが少し時間を貰う。侍女に案内させるから別室で待っていてくれるか」
「俺は大丈夫ですよ。先程の話、ご検討お願いします、おじさん」
「……うむ」
やけに歯切れ悪く頷く父が呼んだ侍女に連れられ、青年が退室する。
彼は何者だろう? 父と親しげな様子だったが、あんな若い知人が父にいたのは意外だ。
「それでどうした?」
「お父様、実は──」
私は早速、今日学園で起こった出来事の一部始終を伝えた。
ダルに恋人がいたことから、第二夫人になるよう要求されたこと、そしてそれらに婚約破棄をすると答えたこと。
話せば話すほどにお父様の顔色がどんどん赤くなっていったが、終盤は昼の私同様に怒りが一周したらしく、平素の顔色に戻っていた。それでもこめかみに青筋が立っているのを見るに、腸は煮えくり返っているだろう。
話を聞き終えたお父様は、長く長ーく息を吐いた。あまりのことに心を整える必要があるのだろう。気持ちはよーくわかるので、お父様が落ち着くまで静かに待つ。
額を押さえながら俯くお父様はしばらくそうしていたが、考えが纏まったらしく顔を上げた。
お父様はなんと仰るだろう?
まぁ、これだけのことをされて反撃しない性格ではないし、貴族の当主らしい利益追求主義者だが、私に対する愛情がないわけでもないと思う。
これで万が一、我慢して第二夫人になれと言われたらすぐに家を飛び出して教会に駆け込んで修道女になってやる。慎ましやかな生活が性にあっているとは思ってないが、それでもダルの第二夫人になるよりは天国と地獄くらいの差がある。
それくらいの覚悟を固めていると、ようやくお父様が口を開いた。
「若造が随分と舐めた真似をしてくれたようだな……向こうが息子の愚かさをどこまで把握しているかは知らんが、そんな愚物を育てた時点で同罪だ。そんな家に娘を嫁がせては、こちらの不名誉にしかならん。セラ、わかった。婚約は破棄しよう」
低い声で告げられた決定に胸を撫で下ろす。
よかった。正直、婚約を破棄するに当たって、一番の難所は他家の当主ではなく、自分の父親だから。
ひとまずこれで道は確保出来たと言っていい。
とはいえ、懸念事項が全て払拭されたわけでもないから気は抜けないが。
「ありがとうございます、お父様。ですが、大丈夫ですか? 私からお願いしておいてなんですが、家格は向こうの方が上ですし──」
「案ずるな。例え格上だろうと、敵に回したくらいで折れるような柔な屋台骨はしていない。まぁ、幾許かの根回しは必要だろうがな」
わぁ、黒い笑顔。
お父様の言葉から、婚約破棄が原因で我が家が窮地に立たされるということはないようだ。
大人の世界は大人のお父様に任せるとして、目下、私がなんとかすべきは学園の方か。
明日には昼間のあれは学園中どころか、厩舎の馬にまで伝わっていることだろう。
人の口に戸は立てられない以上、それは仕方ない。諦めよう。肝心なのは私が不利に立たされないようにどう立ち回るかだ。
幸い、ダルがあんなに堂々と第二夫人にと言ってくれたおかげで、こちらはいくらでも被害者面が出来る。せいぜいアイリさんにも劣らぬ仮面を被って女優になりきろう。後で脚本を作らなきゃ。
明日からの身の振り方を考えながら、お父様と共に婚約破棄の軽い打ち合わせをしようとするが、詳しいことは晩餐の後にすることになった。
ああ、そういえばお客様が来てたんだっけ。
先程会釈を交わした青年の顔を思い出し、そういえば彼は誰なのかが気になってきた。
「お父様、先程のお客様はどなたなのですか? どういったご用件で訪ねて来られたのでしょう?」
「ん? ああ、彼か。彼はジークといってな。私の古い友人の息子だ。少々難しい頼まれ事をされてな──ん? ああ、いや。こうなったからには問題ないかもしれん」
お父様がうんうんと頷いて、嬉しそうな顔をする。何か問題がら解決したのであれば喜ばしいことだが、何故私をじっと見ているのだろう。
何か裏を感じて思わず身構えると、お父様はやけににこにこと上機嫌で、おもむろに言った。
「セラ、ひとつ提案があるのだが、お前の婚約破棄の成立後に──」
帰りの馬車の中。人目を憚る必要がないのをいいことに、私はお腹を抱えて思いっきり笑っていた。
何度思い出しても笑える。あれは傑作だった。
第二夫人になる話など受け入れられるわけないし、目撃者がいる以上、誤魔化しも効かない。
なら、向こう有責で婚約を破棄してしまうのが一番マシな判断だろう。
ダルは簡単に婚約破棄なんて出来るわけないと食い下がってきたけれど、そこは帰ってから父に進言すると言い張り、始業チャイムにかこつけてあの場から脱した。
それにしても、婚約破棄が難しいことがわかるなら、何故第二夫人の話が無謀だとは気づけないのか。
多分、物事が自分の都合よく運ぶと思ってるんだろうなぁ……。そんなわけないのに。
私には私の意思があるし、ダルの下僕じゃない。
正直、不貞云々よりも、私の意思を無視されたことが一番腹立つ。
むかっ腹を抑えているうちに馬車が止まり、自宅へ到着した。
馬車から降りると両頬を軽く叩いて気合いを入れる。
「さて、もうひと頑張りしますか」
何せこれから宣言通りに父に婚約破棄の進言をしなくてはいけないのだから。
「ただいま帰りましたー。お父様、失礼しまーす──っと、申し訳ありません。来客中でしたか」
帰宅して真っ直ぐにお父様の執務室へ向かうと、来客用のソファに見知らぬ青年が座っていた。
青年は私を見て目をぱちぱちしていたが、すぐに居住まいを正して会釈をしてきた。こちらも会釈を返すと、お父様がごほんっと咳払いをする。
「セラ、勝手に入室するのはよしなさい」
「ちゃんとノックしましたよ?」
「ノックしても部屋主の許可を待つ前に入ってきては意味がないだろう。何の用だ。察しの通り今は来客中だ。緊急の用でなければ後で──」
「いえ、わりと緊急のご用件です。申し訳ありませんが、お時間いただけますか?」
冗談抜きの真剣な声で頼むと、お父様も只事ではないと察した様子で来客していた青年に声をかけた。
「わかった。ジーク、すまないが少し時間を貰う。侍女に案内させるから別室で待っていてくれるか」
「俺は大丈夫ですよ。先程の話、ご検討お願いします、おじさん」
「……うむ」
やけに歯切れ悪く頷く父が呼んだ侍女に連れられ、青年が退室する。
彼は何者だろう? 父と親しげな様子だったが、あんな若い知人が父にいたのは意外だ。
「それでどうした?」
「お父様、実は──」
私は早速、今日学園で起こった出来事の一部始終を伝えた。
ダルに恋人がいたことから、第二夫人になるよう要求されたこと、そしてそれらに婚約破棄をすると答えたこと。
話せば話すほどにお父様の顔色がどんどん赤くなっていったが、終盤は昼の私同様に怒りが一周したらしく、平素の顔色に戻っていた。それでもこめかみに青筋が立っているのを見るに、腸は煮えくり返っているだろう。
話を聞き終えたお父様は、長く長ーく息を吐いた。あまりのことに心を整える必要があるのだろう。気持ちはよーくわかるので、お父様が落ち着くまで静かに待つ。
額を押さえながら俯くお父様はしばらくそうしていたが、考えが纏まったらしく顔を上げた。
お父様はなんと仰るだろう?
まぁ、これだけのことをされて反撃しない性格ではないし、貴族の当主らしい利益追求主義者だが、私に対する愛情がないわけでもないと思う。
これで万が一、我慢して第二夫人になれと言われたらすぐに家を飛び出して教会に駆け込んで修道女になってやる。慎ましやかな生活が性にあっているとは思ってないが、それでもダルの第二夫人になるよりは天国と地獄くらいの差がある。
それくらいの覚悟を固めていると、ようやくお父様が口を開いた。
「若造が随分と舐めた真似をしてくれたようだな……向こうが息子の愚かさをどこまで把握しているかは知らんが、そんな愚物を育てた時点で同罪だ。そんな家に娘を嫁がせては、こちらの不名誉にしかならん。セラ、わかった。婚約は破棄しよう」
低い声で告げられた決定に胸を撫で下ろす。
よかった。正直、婚約を破棄するに当たって、一番の難所は他家の当主ではなく、自分の父親だから。
ひとまずこれで道は確保出来たと言っていい。
とはいえ、懸念事項が全て払拭されたわけでもないから気は抜けないが。
「ありがとうございます、お父様。ですが、大丈夫ですか? 私からお願いしておいてなんですが、家格は向こうの方が上ですし──」
「案ずるな。例え格上だろうと、敵に回したくらいで折れるような柔な屋台骨はしていない。まぁ、幾許かの根回しは必要だろうがな」
わぁ、黒い笑顔。
お父様の言葉から、婚約破棄が原因で我が家が窮地に立たされるということはないようだ。
大人の世界は大人のお父様に任せるとして、目下、私がなんとかすべきは学園の方か。
明日には昼間のあれは学園中どころか、厩舎の馬にまで伝わっていることだろう。
人の口に戸は立てられない以上、それは仕方ない。諦めよう。肝心なのは私が不利に立たされないようにどう立ち回るかだ。
幸い、ダルがあんなに堂々と第二夫人にと言ってくれたおかげで、こちらはいくらでも被害者面が出来る。せいぜいアイリさんにも劣らぬ仮面を被って女優になりきろう。後で脚本を作らなきゃ。
明日からの身の振り方を考えながら、お父様と共に婚約破棄の軽い打ち合わせをしようとするが、詳しいことは晩餐の後にすることになった。
ああ、そういえばお客様が来てたんだっけ。
先程会釈を交わした青年の顔を思い出し、そういえば彼は誰なのかが気になってきた。
「お父様、先程のお客様はどなたなのですか? どういったご用件で訪ねて来られたのでしょう?」
「ん? ああ、彼か。彼はジークといってな。私の古い友人の息子だ。少々難しい頼まれ事をされてな──ん? ああ、いや。こうなったからには問題ないかもしれん」
お父様がうんうんと頷いて、嬉しそうな顔をする。何か問題がら解決したのであれば喜ばしいことだが、何故私をじっと見ているのだろう。
何か裏を感じて思わず身構えると、お父様はやけににこにこと上機嫌で、おもむろに言った。
「セラ、ひとつ提案があるのだが、お前の婚約破棄の成立後に──」
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