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第4章 「木星」

見小利則大事不成ー孔子……ってか!

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「じゃ、さっさとすましちまうか」
 そう言うと、用意された便箋にペンを走らせるようガキに言った。
「結果を尊重します」と「アンドリューに全権を一任します」だ。
 その後にサインだが、誰もガキのサインなんて知らない。
 俺はガキの髪の毛を2本、指に巻き付けて抜くと、それぞれの便箋に乗せた。
 サインの真偽を証明する術はないが、DNA鑑定をすれば……両親のDNAデータはあるだろう。
 今の技術なら、それで100%「娘」と突き止められる。
 髪の毛こそが本命で、サインがオマケだ。
 3つにたたみ、封筒に入れて蝋で閉じる。
 その蝋の刻印に、アンドリューのものを使うあたり、さすがに相手も抜かりはないか。

 それから1週間ほど、俺たちは端から見れば「おかしい?」と思えるほどに、規則正しい生活を送った。
「赤灯」が「白灯」になる朝6時にぴったり起きて、夜10時に寝る。
 朝食は屋敷のルームサービスで、コーヒーとトーストとフレッシュサラダを食い、庭を散策して、午前10時には居住区のある層に移動。
 街を散策してウインドウショッピングを楽しみつつ、昼飯をかねてジャンクフードにかぶりつく。
 夕方を告げる午後6時のサイレンが鳴る前には屋敷に戻り、屋敷の軽食室でランチメニューを頼む。
 トイレ以外は、風呂も含めて常に一緒で、同じベッドで眠りながら……これといった会話もない。

 風呂を一緒にしたのは、ガキが湯を張った風呂を知らなかったからだ。
 俺もメディアを通してしか知らないが、身体が全部沈むほどの凹みに湯を張って、身体を伸ばして浸かるらしい。
 惑星の表面ならともかく、コロニーでこんなマネをするのは、まさに「放蕩三昧」だ。
 シャワーは少し大きな船ならあるので、船乗りの躾をしようと考えた。
 ゼル状のソープムースではない、単純なソープを使うシャワーの場合、船乗りは立って頭からお湯を浴びるのではなく、まず全身を泡でつつみ、身体を丸めて、ごく少量のシャワーで泡を落とす。
 船乗りにとって、水は空気と同じくらい、場合によっては金塊以上の貴重品となることもあるのだから。
 水滴が身体を叩く快感はスポイルされてしまうが、この「作法」を知らないと、船乗りとして恥をかく。
 カージマーで教えてやれればよかったが、残念ながらあのポンコツにはシャワールームなどない。

 俺たちは、「『野心がないことを演じている』を演じている」と、見てもらわなければならない。
 そうすることによって、相手はありもない尻尾を探そうとし、そして見つけられない。
 ないのだから。
 ないものを「ない」と証明するのが不可能なように、「ない」尻尾はいくら探してもない。
 無為に相手の時間を浪費させ、カージマーの修理が終わるのを待つ。
 惣領選挙のナイーブな時期だ。証拠もなく荒事はできない……はず!

    ◇     ◇     ◇     ◇

 2週間とかからず、カージマーの修理は終わった。
 ユニット交換になったため、かえって工期が短縮できたのだとか。
 リムジンに乗せられた。
 向かいにはダラスだけで、アンドリューはもちろんジョンソンもいない。
 俺は内心、安堵した。

 もっとも確実で簡単なのは、カージマーもろとも「事故」で爆散させることだ。
 が、母親が違うとはいえ「妹」をそうするときには、自分の目で見届けたいというのが人情だろう。
 権力欲の前には人情などないかもしれないが、その時は例の「委任状」がアンドリューを止めてくれる。
 形だけとはいえ「支持者」を暗殺などしてしまえば「遺産分与を嫌った」と他の支持者に見なされて、彼らを離反させる。
「ガキの票をゼロにするか1にするか、あるいは30にするか」とは言ったが、「ヘタをすればマイナスにもなる」というのは、少し考えれば気がつくだろう。
 血統でなく才覚で3位に上がった男なら、気がつかないはずはない。
 今はとっとと木星を離れ、火星に向かうことがお互いにとってメリットで、そこでは利害が一致している。

 リムジンに乗ったままエレベーターを上がり、コロニー中央の宇宙桟橋へ。
 そこでボートに乗り換えて、宇宙に出る。
 ボートの窓から、見慣れた弾丸型のシルエットを持つ、小さな赤い船が見えた。
[カージマー18]だ。
 斜め前方に、カージマーとほとんど同じ大きさを持つシャトルブースターが4つ、後ろには250mクラスのライフル弾型の船が繋がれている。
 思わず口元が緩む。

 ボートはカージマーのハッチギリギリに寄せて、ドッキングポートを伸ばした。
 てっきり宇宙遊泳するものと思っていたが、金持ちの発想は違う。
 与圧はされているが、気密室の隔壁がスライドすると、気圧差で風が吹き込んできた。
 はっとしてダラスの顔を見るが、表情に特段の変化はない。
 アンドリュー達が悪意や殺意を持っていれば、カージマーの室内に有害物質を混ぜておくが、それもなさそうだ。
 いくら「あとで特効薬を使ってやる」と言われても、知っていれば無意識に顔が引きつる。
 知らされていないだけかもしれないが…………勘ぐりすぎか。
 ボートが桟橋に戻ったとき、ボートの中の空気が汚染されていれば、桟橋全体の対策が必要になる。
 コストや風評まで考えれば、割に合わなすぎる。

 ダラスは、カージマーの中にまでついてきた。
 機関士席に座る。
「兄さん、機関士の資格なんて持っていたのか?」
 問う俺に、ダラスは笑って応えた。
「ここはアンドリュー様のコロニーですよ。
 書類不備や勘違いなんてよくあること。
 文句があるなら俺じゃなく、直接アンドリュー様に言え! で、今まで言ってきた奴はいませんね」
「そりゃそうか」
 俺は苦笑するしかなかった。

 今度はダラスが質問してきた。
「クワジマ様。風呂はわかりますけどね。
 ベッドでは2週間、本当に何もありませんでしたね」
「ははは。見てたか聞いてたか? 期待してたんなら残念だったな!」
「はぐらかすなよ、おっさん」
「ああ。『様』付けはくすぐったくてダメだ。『おっさん』でたのむ。
 で、質問の答えだが……兄さんも病気になったとき、生殖器科じゃなくて泌尿器科に行く歳になったらわかるさ!」
 ダラスが吹きだした。
 俺自身、枯れ果ててしまうにはまだ早く、頑張れば「現役復帰」もできるだろうが、同じ船の中で男女の関係になることは事故の原因になる……が、船乗りでないダラスに、懇切丁寧に説明してやる義理もない。
「それは、できたらわからないまま死にたいね」
 ああ、それでいい。

「ブースター、リンクできた。出れるって!」
 今まで黙っていたガキが、声をあげた。
 コンソールテーブル中央の3Dモニターを見ると、カージマーの前方にグリーンの光点が4つある。
「出る!」
 セレクターダイアルを、普段のスラスターから「外部ブースター」に切り替えて、ペダルを静かに踏み込んだ。
 クン! という軽いGが生まれ、グリーンの光点が点灯から点滅に変わる。
 点滅のタイミングは、4器ぴったり同じ。
 ブースターの後ろに、強く白い光が確認できた。

 0.5Gでたっぷり6時間もかけて加速し、木星の重力圏を出た。
 強大な重力圏を持つ木星は、火星などよりもはるかに多くのブースターが必要になる。
 今回の「荷物」は船が1つだけなので4器ですんでいるが、巨大な岩石塊を連ねて引っ張るときには、30器以上をリンクさせる必要があることも少なくない。
 それはたいてい荷主が負担してくれるのが慣例だが、その理屈で言うと、引っ張っているDDH24の荷主は俺だ。
 それをアンドリューにねだった。
 古典でも、「小利を貪る者は大望を抱かない」という。
 執事長のジョンソンは苦い顔をしたが、アンドリューの目は、むしろ笑っていた。
 そうだ。徹底的にこちらを「小者」と見下してくれ。
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