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第1章「火星へ」

操船(2)

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 中央3Dモニターに映った船体をスワイプさせて、全体を映そうとする。そう。「トレイン」の末端まで。
 船体映像がどんどん小さくなり、1本のコブのある糸のようになる。
 その映像の片隅に、「140.xx」という数字が出る。
 ここからが正念場だ。
 俺はめまぐるしく動く数字を睨みつつ、かすかにレバーを戻し軽くペダルを踏む。そしてすぐにはなす。
 数字は「180」を前後して、小数点以下を上下に揺れる。
 もう一度ペダルを踏む。すぐにはなす。「180.00」でぴったり止まった。
 空調は効いているが、汗がにじんでいた。

 船首から、牽引する鉱床岩石の後端までまっすぐになったという意味だ。そして安定した、と。
 これがずれていた場合、岩石塊の繋ぎ方にもよるが、頭、つまり船体の方が振られて最後はトレイン全体が蛇のように動き始める。
 そのときも、もちろんスラスターで制御できるがスラスター剤の無駄遣いになる。
 そのポイントとタイミングの見極めは、まだ人間の勘の方がコンピュータに勝る。
 俺は大きく息を吐いた。

「すげー! すげー! すげー!」 
 何が起きていて何をしたのかもわからないだろうに、ガキが歓声を上げた。
 が……次の「時間との勝負」は、コイツが肝になる。
 俺はガキを見て、もう一度ふうっと大きく息を吐いた。

 俺の仮説が正しければ、元気そうに見えても、このガキの胃腸は弱っている。
 喰えてオートミール、ヘタをすれば離乳食だろう。
 もちろん、どちらもこの船には積んでいないが、それらしいのなら作れる。

 今の人工重力は船体自転の副産物で、センターチューブ周辺は無重力のままだ。
 推進方向にかかっていたGは、スラスターを止めて加速を停止したため完全に消えている。
 この「自転」にしても、ベアリングの摩擦によって半月もあれば消える。
 それまでに、ガキの胃袋をそれなりの状態に戻さなければならない。

 ガキを気密室に放り込んで扉を閉めた。
 トイレルームに入った俺はチューブレーションを引っ張り出し、鍋にひねり出して目分量でエナジードリンクを混ぜてそれっぽいものを作った。
 粘性があって、スプーンですくうと、なだらかな山を作る。
 あ。たまたま人工重力が発生したからで、わざわざこのためにこのタイミングでスラスターを噴かすようなお人好しじゃないぞ! 

 試しに小指につけてなめたら、絶食を決意したくなるほど不味かった。
 もっとも、自分の息子の離乳食も似たようなものだったし、惑星や衛星コロニーよりもはるかに食料事情の劣る船内では殴っても諦めさせるしかない。

 ガキは前回吐いたトラウマからか皿にスプーンをつけるのをためらったが、空腹にはあがなえなかったらしく一口含んで……すぐウエっと吐いた。
 これでもムリだったか。
「まずー!」 
 ああ、そっちか。
 確かに俺も、心の準備なしにこんな物を口に入れられたら、間違いなく吐く。
 が、今胃袋を起こさないと火星に着く前に衰弱死するぞ。
 俺は薬箱からオブラートシートを取り出し、広げて床に並べた。
 それを餃子の皮に見立て、オートミールもどきを餡に見立てて、やはり餃子のように包んで閉じた。
 人工重力があるからできている芸当だが、それはライフル回転によるものなので、外殻が「床」になる。
 そこに胡座をかいて座り、10個ほど作った。
 ガキに目をやる。思わず後ずさるガキを捕まえて口に放り込み、有無を言わせずエナジードリンクで流し込む。
 人工重力のため、エナジードリンクは自重で喉の奥に消えた。

 3つ食べさせたところで、ガキが俺の腕をタップしてギブアップを伝えてきた。
 胃袋の限界か、それとも家畜に餌を食わすよりも非人道的な方法が悪いのか、素人には判断できない。
 ただ、ムリに詰め込んでまた吐かれたのでは意味がないので、今回はこれで諦めた。

 8時間後の食事では、涙を浮かべながらも5つ食べた。
「おっちゃん、料理下手すぎや」
「うるせー! 俺に料理の腕があったら、コックにでもなってるわ!」 
 これはウソだ。
 客の顔色を見て商売するなんて、それこそ俺の胃に穴が開いてしまう。
 今が何とかなってるのは、「客」がこのガキ1人だけだからだ。

 鍋に残った「謎物質」に、チューブレーションを追加する。
 宇宙船の中は無菌室で、もちろんレーションにも雑菌はいないから腐敗は心配しない。
 そうやって、徐々に固形物に近づける。

「苦行」は3日続いた。
 ガキだけではない。
 他人に残飯にも劣るものを食わせつつ、自分だけちゃんとしたものを食うのはきっと美味いと思っていたが、つい試食の時の味を思い出してしまい、何を食っても残飯にしか感じない。
 そんな俺を物欲しそうに見ているのをデコピンでふっとばすのは面白かったが、航海の唯一の楽しみとも言われる食事がこれではさすがにつらい。
 4日目に、俺の方が音を上げた。
 カレーだったから。
 スプーンをくわえて俺の方を見るガキに「食ってみるか?」と皿を渡したら、一心不乱に掻きこんだ。
 俺は最初の食事がフラッシュバックして内心それどころではなかったが、ガキの体調に変化はなさそうだ。
 頃合いを見て頭を1発殴って止めた。
「2人分って言ってるだろう!」 
 もっとも、すでに皿はほとんど空いている。
 今回の「カレー」は、なんとかしのげたようだ。

 ガキの体調が好転するのを待っていたかのように、ライフル回転の勢いが失われていく。
 つまり、人工重力も弱くなる。
 クラッチとベアリングを組み合わせて理論上の抵抗値はゼロだが、理論値は理論値として、現実に抵抗は存在する。
 もともと0.4Gあったものが半分になったとき、ガキに宣言した。
「そろそろ、この部屋を閉鎖する」と。

 シンプルを限界まで極めたような構造のライフスペースで、わざわざ案内をしなくてもガキも船内を大まかに理解しているらしい。
「なんでここ使えんくするん?」
 尋ねるガキに素っ気なく応えた。
「ここが使えなくなるのは、与圧を抜くからだ。
 今まで黙っていたけど、奥の鉄板1枚外は真空の宇宙だ。
 穴が空いたら……というか、オマエも1回自分でボタン押して部屋の中身下全部吸い出された現場にいただろう!」 
「あ!」 
 ガキの顔面が蒼白になる。
「したら俺が掃除の時、もしあのボタン押してたら……」
「オマエサイズのデブリが1つ増えて、俺があとから来た船に恨まれる」
 ガキは必死だったので覚えていないようだが、ボタンはアクリルカバーで覆われている。
 間違って押そうにも、「ついうっかり」レベルの力では、ボタンに触れることすらできない。
 緊急ハッチオープンの時に割ったアクリルカバーは、すぐに付け替えている。

「俺、トイレで寝るん?」
「バカヤロウ! そんなマネされたら俺が使えんだろう!
 ここ。センターチューブで寝ろ!」 
 問題は、俺がどこで眠るかだ。

 メシはコンピュータが勝手に作るから、俺は人数の設定を「1」から「2」にするだけでいい。
 食う量は増えるが、同時に「材料」も増えるので、問題はないだろう。
 若干だが、栄養を追加するための「食料素」の備蓄もある。
 あえて言うならガキが「材料」のからくりに気づいたときだが、イヤなら絶食でも何でもすればいい。
 全くメシのないライトスーツの中ならともかく、目の前にメシがあるんだ。本気でハラが減ったら食うだろう。

 それよりも、俺だ。
 航海士席にベルトで固定されて眠るのは拘束されているように窮屈でイヤだが、かといってセンターチューブで一緒に寝て変な気になったら大問題だ。
 色に狂った航海士に冷静な対応というか、有事の場合の非情な対応が躊躇なくとれるとは思えない。
 情に引っ張られてタイミングを逃し、もろとも散る可能性を否定できない。
「ああ。自由が失われていく!」
 似たような気持ちを、かつて味わったような気がするが、それがいつだったのか思い出せない。
 確実なのは、この仕事を選んだ最大の魅力である、勝手気ままな一人暮らしがスポイルされる。
 ま。気は持ちようか。
 どうせこれから俺はシートに座り、「勉強」にいそしまなければならない。
 疲れたらそのまま眠れると思えば、動かなくてすむだけマシととらえよう。
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